女難

 ヒガシは怖がる俺と違い、あの女に腹を立ててくれた。
「小風が前を向いてる隙に荷物からスマホを抜き取って、アカウントを特定したんだろ。あの執念深さならパスコードくらい把握しててもおかしくないしな」
 家の合鍵まで作られてたりして、という言葉が冗談に聞こえず、俺の顔はこわばった。
「とにかく、ここまできたら流石に見逃せない。俺がガツンと言って来てやる」
「いや、いいんだ、マジでいいから」
 今にも殴り込みに行きそうなヒガシを慌てて止める。
「何だよ、お前のためだろ」
「あの表情……お前は見てないだろうけど、マジでヤバかったんだよ。逆恨みされても困るし、ここは穏便に」
 仕方なさそうに座り直したヒガシは「それなら」と、ある提案をしてくれた。
「極力、一緒にいられる時には一緒にいてやるよ」
 その言葉通り、ヒガシはそれからずっと、大学構内では側についてくれるようになった。睨みを効かせてくれたお陰か、それからは付きまとわれる回数が減ってきた。
「ヒガシのお陰だよ。ありがとう」
 メッセージを受け取ってからちょうど二週間目、その日一日あの女の姿を見なかったので、俺はヒガシに頭を下げた。奢った定食を平らげながら、ヒガシは「いいってことよ」と笑った。
「それより相原さんと明日だろ。うまくやれよ」
「うん。女の子とデートって初めてで、緊張する」
 しかも相手があの相原さんだ。
 あれから色々話が進み、一緒に買い物でもということになったのだった。これまで女子とは普通に話してきたけれど、明確に好意を持っている相手と二人きりなんて初めてだ。
「小風みたいに真面目な奴は今どきなかなかいないよ」とヒガシは笑った。
 翌朝、駅前広場で相原さんと落ち合った。最近暑くなってきたからか薄着の彼女は、バイト先の黒Tシャツとジーパンの時とは全然雰囲気が違い、ドキッとする。
「おはようございます、先輩」
「おはよう。いい天気になってよかった。それじゃあ、どこに行こうか」
 あれこれ話しながら街中を歩き、彼女に似合う服を一緒に選び、安すぎず高すぎないレストランに入った。この後は映画でも……と思っていた矢先、さっきから聞き手に回っていた相原さんが、思い切ったように口を開いた。
「先輩」
「え? 何、どうしたの」
 それまで隣を歩いていたから気づかなかったけれど、正面から見るとその顔は蒼白で、何かに耐えるように眉根が寄せられていた。いつもの明るい表情ではない。
「どこか体調悪いの?」
「いえ、違います」
 それでも尚、迷うように視線を泳がせて、彼女は言った。
「ずっとついて来ている女の人、先輩の彼女さんですか? 怖い顔で私を睨んで」
 ひゅっと喉が鳴った。
 ずっとついて来ている女の人?
 冷や汗がダラダラと脇の下を伝う。呑み込んだ唾の音がやけに耳に響く。
「もしそうなら、先輩から言っておいてください。私そんなつもりじゃありませんって。すみません、今日はこれで!」
 俺の答えを待たず、彼女は店を出て行ってしまった。俺は辺りを見回した。店の隅に……いた、あの女だ。
「おい!」
 近づいて声をかけると、女は嬉しそうに俺を見た。
「あんなのより私の方が小風君を想ってるって気がついた?」
「どうでもいい。君のことは何とも思ってないんだ、もう付きまとわないでくれ!」
 女の顔が、みるみる歪む。叫び出すかと一瞬身構えたが、それは一瞬で収まった。
「そんなことないでしょ。小風君は優しいもの」
「お前な……!」
「また後で、ゆっくりお話ししましょう」
 女は俺の横を通り、姿を消した。後にはただ俺だけが残された。
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