やり直して、やり直して
そのマフラーを見つけたのは、母の遺して行った荷物をだいたい整理し終えた、冬の初めのことだった。私の好きな、鮮やかなグリーンの毛糸。編み物が好きだった母は、昔から冬になると家族に帽子や手袋、マフラーを編んでくれたものだった。
でも、このマフラーは初めて見たな。
私以外に誰もいない実家は静かで、リビングの椅子に掛けられていたそれを取り上げるときの微かな音も、大きく聞こえた。手に取って見ると、母の丁寧な仕事ぶりがよく分かった。均等で綺麗な編み目だ。いつも鼻歌混じりに手を動かしていた姿が目に浮かぶ。
「あれ。でも、これ……」
手に持ってみて分かったけれど、このマフラー、編みかけだ。明るい緑の帯の端に、まだ編み棒がついている。
未完の作品を置いて、行ってしまったわけだ。
「えー……でも私、編み物なんて分からないぞ……」
思わずひとりごちる。手先が器用だった母とは違い、私は不器用で、料理も編み物もその他のあらゆることにおいても、とにかく繊細な仕事はからきしだった。すいすいと棒を動かして毛糸を作品に仕立てていくその手際に憧れて何度か習おうとしたけれども、その度に断念したものだ。
しかし、目に飛び込んでくるような緑色が、「完成したらきっとお前は気に入るぞ」と語りかけてくる。柔らかい糸の手触りが、耳に蘇る母の声が、そっと背中を押す。
『間違えたらほどけばいいの。やり直して、やり直して、最終的に出来上がれば』
「そっか、うん。そうだよな」
世の中には、やり直しが効かないことはたくさんある。間違えたらそれでおしまい、そこから先は何ひとつ進みようも完成のしようもない、そんなことが。
けれど、これは違う。
それから私は、整理し終えた母の荷物から編み物の本を引っ張り出し、その他の道具も拝借して、ひとり暮らしの自分の部屋へ持ち帰った。手付かずのままだった同色の糸をどうにか足して、そこからまた少しずつ、編み進めて行った。
慣れない作業に元々の不器用が重なって、なかなか進展しなかった。毎日の仕事は夜遅くまでかかり、他に見たい動画ややりたいゲームもあったから、後回しになることもあった。けれど、何をしていたとしても、いつも頭の隅にマフラーがあった。鮮やかなグリーンの糸の束が、私を待っていた。
仕事で嫌なことがあっても、友人と喧嘩して落ち込んでも、どんなときでも私のペースで進めることのできる、編みかけのマフラーが部屋にあった。悲しくてどうしようもなくて、やるせなくて何も手につかなくて、そういうときでも、不思議と手が編み棒に向かった。
何度も何度も間違えて、何度も何度も糸をほどいて、何度も何度もやり直した。そんなことを繰り返しながら編み進めているうちに、母との記憶が少しずつ思い出された。
幼稚園の頃、好きなアニメのキャラクターがプリントされた友人の手袋を羨ましがって、母が編んでくれた手袋を雪に埋めてしまったこと。他に誰も手編みの帽子なんてしてないと言って、綺麗に編んでくれたそれを学校にかぶっていこうとしなかったこと。中学生になって興味が出てきて、母に習ってみたものの上手く出来ず、癇癪を起こして道具を仕舞い込んでしまったこと。高校から大学にかけては編み物のことなんて頭に浮かびもせず、社会人になってから、その貴重さと温かみを理解したこと。
どんなときでも、母は私に編んだものを押し付けず、私の態度に怒りもしなかった。
『間違えたらほどけばいいの。やり直して、やり直して、最終的に出来上がれば』
「そっか。だから母さんは怒らなかったんだね」
もうすぐマフラーが編み終わる。母が編んだ部分と私が編み始めた部分が、まるで段差のようにはっきり分かって、思わず笑ってしまう。
冬の終わり、初めての糸始末に苦戦しながら、次は何を編もうかな、なんてことを考え始めていた。
でも、このマフラーは初めて見たな。
私以外に誰もいない実家は静かで、リビングの椅子に掛けられていたそれを取り上げるときの微かな音も、大きく聞こえた。手に取って見ると、母の丁寧な仕事ぶりがよく分かった。均等で綺麗な編み目だ。いつも鼻歌混じりに手を動かしていた姿が目に浮かぶ。
「あれ。でも、これ……」
手に持ってみて分かったけれど、このマフラー、編みかけだ。明るい緑の帯の端に、まだ編み棒がついている。
未完の作品を置いて、行ってしまったわけだ。
「えー……でも私、編み物なんて分からないぞ……」
思わずひとりごちる。手先が器用だった母とは違い、私は不器用で、料理も編み物もその他のあらゆることにおいても、とにかく繊細な仕事はからきしだった。すいすいと棒を動かして毛糸を作品に仕立てていくその手際に憧れて何度か習おうとしたけれども、その度に断念したものだ。
しかし、目に飛び込んでくるような緑色が、「完成したらきっとお前は気に入るぞ」と語りかけてくる。柔らかい糸の手触りが、耳に蘇る母の声が、そっと背中を押す。
『間違えたらほどけばいいの。やり直して、やり直して、最終的に出来上がれば』
「そっか、うん。そうだよな」
世の中には、やり直しが効かないことはたくさんある。間違えたらそれでおしまい、そこから先は何ひとつ進みようも完成のしようもない、そんなことが。
けれど、これは違う。
それから私は、整理し終えた母の荷物から編み物の本を引っ張り出し、その他の道具も拝借して、ひとり暮らしの自分の部屋へ持ち帰った。手付かずのままだった同色の糸をどうにか足して、そこからまた少しずつ、編み進めて行った。
慣れない作業に元々の不器用が重なって、なかなか進展しなかった。毎日の仕事は夜遅くまでかかり、他に見たい動画ややりたいゲームもあったから、後回しになることもあった。けれど、何をしていたとしても、いつも頭の隅にマフラーがあった。鮮やかなグリーンの糸の束が、私を待っていた。
仕事で嫌なことがあっても、友人と喧嘩して落ち込んでも、どんなときでも私のペースで進めることのできる、編みかけのマフラーが部屋にあった。悲しくてどうしようもなくて、やるせなくて何も手につかなくて、そういうときでも、不思議と手が編み棒に向かった。
何度も何度も間違えて、何度も何度も糸をほどいて、何度も何度もやり直した。そんなことを繰り返しながら編み進めているうちに、母との記憶が少しずつ思い出された。
幼稚園の頃、好きなアニメのキャラクターがプリントされた友人の手袋を羨ましがって、母が編んでくれた手袋を雪に埋めてしまったこと。他に誰も手編みの帽子なんてしてないと言って、綺麗に編んでくれたそれを学校にかぶっていこうとしなかったこと。中学生になって興味が出てきて、母に習ってみたものの上手く出来ず、癇癪を起こして道具を仕舞い込んでしまったこと。高校から大学にかけては編み物のことなんて頭に浮かびもせず、社会人になってから、その貴重さと温かみを理解したこと。
どんなときでも、母は私に編んだものを押し付けず、私の態度に怒りもしなかった。
『間違えたらほどけばいいの。やり直して、やり直して、最終的に出来上がれば』
「そっか。だから母さんは怒らなかったんだね」
もうすぐマフラーが編み終わる。母が編んだ部分と私が編み始めた部分が、まるで段差のようにはっきり分かって、思わず笑ってしまう。
冬の終わり、初めての糸始末に苦戦しながら、次は何を編もうかな、なんてことを考え始めていた。
1/1ページ