50話  Holy valentine for you.

『明日から一週間、遠方に行かなくてはならないんだ。その間、連絡は取れなくなるけれど、心配しないでくれ』
 愛しい天使からそんなメッセージが届いてから、三日が経った。もう何度目になるか知れない、スマートフォンに表示されるその文面の確認を行い、続けて画面に指を滑らせる。俺がそのあと送ったメッセージも、表示させる。
『承知した、出張だな。とは言え、朝と晩に、メッセージくらいは送らせてくれ。返信は不要だ。俺がただ、送りたいだけだから』
 これに、既読を示すマークはついていない。きっと出張準備で忙しいのだろうと思って気にせず、翌日の朝と晩にもメッセージを送った。それにも、既読マークはつかなかった。現地入りしてきっとバタバタしているのだ、と思って、次の日にも同じように送った。しかし、既読はつかない。ここまできて俺は、さすがにおかしいぞと思い始めた。
 天使は悪魔と同様に、人間についてのあらゆる知識を持っている。しかし悪魔とは違い、技巧までは兼ね備えていない。それは人間への誘惑には必要だが、導きには不必要なものだからだ。だから、昨今の急激な科学の発達に悪魔がよく対応するのに比べ、天使たちはのんびりと構えているように思える。無論、天使たちも電子技術を利用した啓蒙活動や、悩める子羊の救助活動を行ってはいるが……悪魔ほど、その情報網を活用しきれてはいない。そうした例に漏れず、俺の愛すべき天使も、機械の扱いにはそれほどけてはいなかった。親切な同僚に助けてもらって白いスマートフォンを購入し、つい最近では同僚たちについて行きたいからと新品のパソコンとタブレットまで揃えて張り切ってはいたが、使っているところを見たことは、あまりない。電子書籍版の聖書と睨めっこしていた記憶しかない。
 そんな天使だが、仕事で使うからか、はたまた俺がひっきりなしにメッセージを送るせいか、メッセージアプリだけはちゃんと使いこなせていた。天使らしくマメな性格のため、返事が返ってくるまでに何日も空くなどということは、一度もなかった。
 それなのに。もう、三日も、既読すらつかないのだ。
 深いため息が出る。確かに俺は、返信は不要だと送った。しかし、既読すらつかないなんて、あり得ない。あの天使の几帳面さを知っているから、尚のこと、そう思う。返信できないまでも、しっかりアプリを開いて文面を見る、あいつはそういう天使だ。
「お兄様。画面を見ていても、返信がくるわけじゃないわよ」
 呆れ、ではなく、心配を滲ませた、可愛らしい声がした。使い魔のひとり、人間の少女の姿をしたダイアナが、隣に座って俺を見ている。
「分かってるさ。分かってる」
 しかし、なかなか電源を落とすことができない。今この瞬間にでも既読がつくのではないか、あいつに俺の言葉が届くのではないか。そんなことを思うと、指が動かない。
「あの天使様のことだから、ひょっとしたらスマホを家に忘れちゃったのかもしれないわ、お兄様。ほら……なんていうか、天使様、ちょっと、その……天然なところがおありだから」
「……あいつは確かに、少々天然かもしれないが……、こと仕事に関しては、手落ちなくやり遂げるやつなんだ。出張にスマホを忘れるなんて真似はしない」
「うーん。それじゃあ、スマホを見る暇もないくらい、お忙しいとか……。あ、もしかしたら、出張先は電波の入らない田舎なのかも」
 あり得ない話ではない。教会の仕事がそこまで忙しくなるとは思えないが、電波の入らない田舎の教会に派遣されたという可能性は、大いにある。あいつが今、関わっている仕事のことを考えると、かなり確からしく思える線だった。
「奇跡調査なら、田舎に行かされるというのも、あり得るかもしれないな……」
「そう、きっとそうよ! もう、お兄様ってば、やっぱりあの天使様のことになると全然別人になるんだから」
 今度は少し呆れたように、けれどかなりホッとしたように、ダイアナは笑う。言われてみれば、電波が入らない場所にいるかもしれない、などという簡単な推測ができないなんて、ダイアナの言う通り、俺らしくもない。あの天使のことになると、どうも頭の回転が空回りしてしまうようだ。
 しかし、そういうことなら話は早い。
 俺はさっさと立ち上がった。悪魔が使う言葉ではない気もするが、善は急げだ。
「お兄様?」
「エンジェルがどこに出張しているのか、確認してくる。一週間も、メッセージのひとつも届けられないなんて、俺にとってはあまりに苦行だからな……顔を見に行く」
「お兄様……」
 ダイアナが、困ったような顔で俺を見上げる。
「お兄様って……」
「なんだ」
「……本当に、あの天使様のことが、大好きなのね……」
 自明の理だ。
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