48話 あるエクソシストの執心

 黒髪の少女に化けたダイアナが手筈通りに天使と司祭を引きつけてくれたのを確認してから、俺は悠々とマンションを出た。並の使い魔には司祭や天使と直接接触するような仕事は危なくて任せられないが、特殊体質であるダイアナになら、この手の仕事を安心して任せることができる。やはり、あいつと契約してよかった。
 街の中心部に、仕事相手のひとりに借りさせた倉庫がある。そこで、密入国の斡旋者と偽造パスポートの製作者とが落ち合う段取りになっていた。俺は、それが完遂されるのを確認するだけだ。
 倉庫には既に人間たちが揃っていた。程よく充満した悪意に、身体が浮き立つようだ。仕事をひとつ終わらせられる充足を予感しながら、人間たちの間に立ったときだった。
 目の前の男たちから発せられるものとは違う、そして俺のものとも違う悪意が……霊的な悪意が、首筋を刺した。
「……誰だ」
 俺が呟くと、人間たちは不思議そうに顔を見合わせ、首を捻った。
「ボス……、誰もいませんよ。警察だってオレたちの動向には気がついていない……尾行もマークもされてませんぜ」
 そういう話ではない。
 俺がちょっと腕を上げると、男たちは揃って眠りの淵へと落ち込んだ。前後不覚になった彼らがお互いの体にもたれかかるように床に崩れたのを確認してから、俺は声を上げた。この倉庫内のどこかに潜んでいるらしい、俺以外の悪魔に。
「姿を見せろ。これからってときに無断で仕事場に入り込みやがって」
 悪魔の仕事は、基本的には不干渉が鉄則だ。なぜなら、ご主人サマから命じられている仕事の内容が、それぞれ違っているからだ。もちろん内容によっては協力体制をとることもあるが、そうでない場合の方が圧倒的に多い。悪魔はスタンドプレーが好きだし、何より、ご主人サマに献上する魂の数を独占したいのだ。手柄を分割するようなことは、なるべくなら避けたい。ましてや分割どころか奪うような真似をされたり、邪魔されたりするなどはもってのほかだ。仕事場はそれぞれの悪魔にとって、重要な、いわばナワバリだ。そこに無断で侵入されるということは、他のどんなことよりも許すまじき行為なのだ。
 俺の呼びかけ、というよりもほとんど恫喝どうかつに似た怒鳴り声に、潜んでいた悪魔が姿を現した。どんな奴かと思いきや、それは薄青い煙状の霊体で、人の形すらしていない、「半人前」だった。長いこと新しい同胞を作り出してこなかったご主人サマの気が変わったのか……俺も久しぶりに見る、人間の肉体を授かる前の、産まれたてと言っていい悪魔だ。その霊体はふわふわと浮かびながら、焦ったように倉庫の中を飛び回り始めた。それこそポルターガイストだ。幸い倉庫の中には眠りこけた人間たちの他には物はなく、本来ならその動きに呼応して乱舞するはずの家具の代わりに、はめ殺しの窓がビリビリと鳴った。
「ちっ……大人しくしないか」
 ただでさえ仕事を中断しているのに、騒がしくされて人が集まっては面倒この上ない。俺をここまで苛立たせる物は珍しい。
 恐らく、自我もまともに芽生えていないのであろう「半人前」の霊は、ちょこまかと動き回る。俺が捕まえようと腕を伸ばすと、慌てて眠っている男の体の中に飛び込んだ。
「ん……う……」
 男の顔が苦悶に歪む。本来なら肉体にひとつだけ割り当てられる精神が突然増えては、苦しいに決まっている。男の内部で、肉体の支配権を巡る争いが始まっているのだ。
 その行動を見て、ピンと来た。
 この霊体は、マイケルという司祭が最初に追っていた奴だ。
 そもそも人の間で活動するために人の形を取ることのできる俺たち悪魔が、人間の体にわざわざ入り込むことは稀だ。最初聞いたとき、少し不思議な気はしていたのだが……こいつが思慮分別もなく飛び回っていたのだとしたら、納得がいく。
「司祭を連れてきて邪魔だてした上、仕事場に侵入……それだけでは飽き足らず、更には俺の仕事そのものを奪うつもりか?」
 男の肉体の中でうごめく霊体を睨みつけると、その動きは鈍くなった。瞬きをせずに睨み続けながら、腕を男の体の中に差し入れる。ひんやりとした悪魔の感触を捉え、ずるりと引き抜く。男が小さく叫び声を上げるが、そのまま、また深い眠りに落ち込んでいく。
 霊体は俺の手の中でジタバタと暴れた。が、それを逃すような俺ではない。と言って同胞を殺したいわけではないので、力を緩めず、入れ過ぎもせず、その魔的な魂とでも呼ぶべきものに言う。もう決して俺の仕事の邪魔をしないように、教育する。
「無事に肉体を得て一人前の悪魔としてやっていきたいのなら、少なくとも俺のことくらいは覚えておくんだな。また一度でも周りをうろつくようなことがあれば、今度はこんなものでは済まさない」
 手に力を込めると、霊体は苦しげに震える。自身の存在が消失するかもしれないという根源的な恐れは、世界に産み落とされて間もない、こんな霊体にも生じるのだ。
「いいか。今後一切、俺に関わるな。姿を見せるな。気配を感じさせるな。肉体を得た後も、絶対にだ」
 霊体がひときわ恐ろしげに震えたのを確認してから、パッと手を開く。解放された半端な悪霊は、空中に霧散するように逃げて行った。まったく、余計な手間をかけさせられたものだ。
 ふう、と息をついたところで、倉庫の扉が開く音がした。
「……っ!」
 慌てて振り向くと、そこに立っていたのはカソックを着込んだ若い司祭……マイケルだった。
「……おや、司祭サマ。また会いましたね……」
 せっかく離れた場所まで誘い出しておいたというのに、なんて執念深くて足の速い人間だ。俺は内心舌を巻きながら、素早く状況を確認する。がらんとした倉庫、足元には昏睡状態の男どもが二人。そこに突っ立っている俺ひとり。……今回ばかりはもう、こいつの記憶を消して逃げる他あるまい。
 司祭は、いつも通りに真剣な顔つきで、ツカツカと近づいて来る。後ろ手に指を鳴らす用意をしたとき、残った左手を、両手でガシッと握られて、当惑する。何か攻撃するつもりなら、自らの両手を塞ぐなんてあり得ない。こいつ、どう言うつもりだ。
 司祭は、輝く瞳で俺を見上げた。
「ぼくは勘違いしていました……、貴方もエクソシストだったのですね!」
「…………は?」
 自分の、非常に間の抜けた声が、倉庫に響く。あまりに予想外の言葉に、思考が追いつかない。待て待て、こいつは何を言っているんだ。
 ポカンとする俺に構わず、司祭は興奮した口調で続けた。
「貴方が悪霊を祓う一部始終を、そこからこっそり見ていたのです。この人たちは被害者なんでしょう。貴方から邪悪の匂いがするのは、貴方が邪悪を追いかけて祓う立場にあるから……ぼくに正体を明かさなかったのは、ぼくがまだまだ半人前だから、危ない目に遭わせないように……そうだったんですね!」
「…………」
 ここまでいいように解釈されるとは。
 流石の俺も、すぐには返す言葉が思い付かない。黙って、その嬉しそうな童顔を見つめるしかない。司祭は飛び跳ねそうな勢いで、俺の手を握りしめて放さない。
「それにしても、悪霊を素手で祓ってしまうなんて聞いたことがありません! 素敵です! どこの教会に所属してらっしゃるんですか? ああ、それよりもお名前は? ……どうしましょう、感動しすぎて……」
 興奮のあまり混乱している様子の司祭は、黙ったままの俺にほとんど詰め寄らんばかりに身を寄せ、熱烈な愛でも吐くように言った。
「お願いです、ぼくを弟子にしてください!」
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