44話 十二月二十五日は外に出よう

 再び目を開いたとき、目の前に、天使の美貌があった。
「……あ? 天使……?」
「お前の天使だよ、マイラブ」
 おはよう、と歌うように囁くその声に、ようやく全身が眠りから覚めた。慌てて体を起こすと、寝台の縁に座った天使は面白そうに笑った。
「そんなに慌てないでくれ」
「いや、まさか天使サマが来るとは思っていなかったから……ちょっと待ってくれ、身なりを整える」
 指を鳴らして、髪型から服装までを一瞬で整える。しかし、先ほどの惚けたところを見られたのかと思うと、滅多に感じない羞恥に顔が熱くなる。いつもは、一夜を共にするときでさえ、ぼんやりしたところを見せないように気をつけているというのに。
 俺とは対照的に落ち着いた天使は、立ち上がろうとした俺をとどめ、隣に座るよう促した。
「ふふ。いつも完璧なお前の、ぼうっとした顔を見られるのも私だけなんだと思うと、嬉しくなってしまうな」
「わ、忘れてくれ……。ところで、今日は忙しいんじゃないのか」
 悪魔とは違って、天使はこの日、忙しくしている筈だ。イベントにかこつけて芽生えた信仰心を今後も継続させるため、あらゆる手を尽くして多くの人間の上に奇跡を降らせる仕事に追われているものと思っていた。特に、こいつは今、バチカンの下部組織に所属している身だ。ひょっとすると本部に呼ばれて過ごすかもしれない、とも聞いていたので、てっきり、教会の仕事を割り振られたのだとばかり。
 天使は俺の問いに、小さく首を振った。
「この間、今日は絶対に仕事をしないと言っていただろう。一日中、家に引きこもるって。それで思いついたんで、休みをいただいたんだよ」
「思いついたって、何を?」
 天使は、にこやかに答える。
「外に出て、一緒にクリスマスを過ごそう」
 言葉を失ってしまった俺の手を、天使は包み込むように握った。汚れを知らない純粋な視線が、俺を捉える。
「クリスマスは、もちろん、お前たち悪魔には刺激が強すぎるだろう。でも、とても美しい日なんだよ。この日にしか点灯しないイルミネーションもあるし、限定の紅茶やお菓子も販売されるんだ。一緒に歩いたら、絶対に楽しいよ」
「だがな、天使サマ……」
 今日という日がどれだけ濃厚な聖なる空気に満たされているものなのか説明しようとした俺の唇を、天使の細い指が止めた。
「大丈夫だよ。人間が放つ信仰心による聖なる空気と、本物の天使である私が纏う聖なる空気とでは、どちらの方が強いと思う?」
「それは……」
 言わんとしていることが、ようやく分かってきた。
 俺は、契約相手であるこの天使が放つ聖なる空気に触れても、何の問題もない。天使にしても同様で、俺の邪なる空気に触れても、何も起こらない。お互い、多少、ひりつくような感覚を覚えることはあれども、それによって傷つけ合うようなことにはならない。そして、人間の信仰心よりも天使の信仰心の方が強いのは、言うに及ばぬ事実……つまり天使は、己の聖性によって、俺を他の聖なる力から庇うと言っているのだ。
「天使サマ……」
「私と共にいれば、大丈夫さ。お前のことは、私が守るよ」
 その笑みは、純白の翼のように、俺の魂を抱いた。清浄な空気が、俺の体を覆っているのを意識する。
 ああ、初めて逢ったあのクリスマスから、何も変わっていない。この天使の潔白の魂は、いつでも俺を救い上げる。
「この日にお前に助けられるのは、二度目だな」
 俺の言葉に、天使は首を傾げた。
「え?」
「いや、何でもない。……そうとなれば出かけようか、エンジェル」
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