44話 十二月二十五日は外に出よう

 この街では、雪は積もらない。年がら年中どんよりとした雲に覆われ、カラッとした晴天とは縁の薄い国の首都として、冬も、その陰鬱とした空気を頑なに守りたがっているのだ。白くてふわふわした綿毛のような雪なんて、自分には似合わないとでも言うように。以前、愛する天使がそんな天候を憂いていたことを思い出す。俺はため息をつきつつ、外の白けた光を締め出すように、カーテンを閉めた。
 もう数世紀も前から続けている慣習を、守る日が来た。
 十二月二十五日。俺が、外に出ないと決めている日だ。
 人々の信仰心が最も強まるこの日は、俺に限らず、他の多くの悪魔たちも自主的に休養をとっていると聞く。昔の俺のように、この日に痛い目にあったやつも少なくないのだろう。それを分かってか、この日ばかりはご主人サマも、急な仕事を命じることはない。世間が盛り上がっている中、悪魔たちは各々の根城で静かに過ごす……今日は、そんな日だ。
 地上から何十メートルも離れた高層階では、子供たちのクリスマスキャロルも聞こえない。絞った照明の下、悪魔には不要の睡眠でもして無為な時間を削ってしまおうと考えた。どうせ急ぎの仕事もない。使い魔たちには一日の暇をやったので、眠りを妨げる者もあるまい。黒い寝台に横たわり、頭の中から余計なものを取り除いていく。ただ魂の器でしかない、五感を模倣しただけのこの肉体は疲れを知らず、つまりはその回復手段である睡眠も要らない。だから、眠気というものを催すことはない。俺たちが眠るためには、忘我に等しい意識の滅却が必要になる。それは仕事と同等の労力が必要になる作業だ。そういうこともあって、普通、悪魔は睡眠など考えもしない。俺もその例に漏れず、普段は眠ろうなどと思うことはない。そもそも膨大な仕事を常に抱えている身では、そんな考えが浮かぶ暇もない。
 だが、この日ばかりは話が別だ。十二月二十五日には、起きている方がよほど苦痛を感じる。科学というものが浸透する以前と比べれば人々の信仰心自体は薄まったとは言え、この日は普段、信仰など思い起こしもしない筈の人間たちでさえ祈りを唱え、讃美歌を歌い、神への感謝を口にする。その一挙手一動が聖的な力に変換されて、悪魔の肌を灼くのだ。こんな日に街を歩こうなんて、正気ではない。数世紀前の自分が、どれだけ愚かしいことをしたものか、今はよく分かる。
 とは言え、その愚かしい行動のお陰で、俺はあいつに出逢うことができたのだが。
 美しい天使の姿を思い出すと、せっかく散らしかけていた思考が再び纏まり始めてしまった。金色に輝く髪、見果てぬ楽園を思わせる蒼天の瞳。華奢な四肢、可憐な顔立ち。まだあどけない少年のように素直な気質を感じさせる、青年の形をとった、俺の最愛の存在。
 天使に恋する悪魔、なんて、妄想逞しい人間たちのたわごとだと思っていた。そもそも相容れない存在であり、生まれながらの天敵同士である存在が、惹かれ合うなどと。しかし、それは実際に起こった。もう遥か昔に思える、あの十二月二十五日に。
 散らし切れない思考が、あいつの姿に固まっていく。初めて逢ったあの日から今まで、俺の胸を占有するあいつのことを考えると、あまりの愛しさに、苦しささえ感じてしまう。その苦しさは過ぎた幸福からくるもので、俺の頭の芯を陶酔で満たす。普通なら何かを考えながら眠るなんてことはあり得ないのだが、意識がじんと痺れる心地よさに浸っているうち、自然と眠りに落ちていたらしい。
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