42話 特別な日
突如として入った予定外の仕事に、苛立ちを隠せなかった。今日は大切な用事が入っているというのに。しかし、ご主人サマからの直接のオーダーを無視する訳にもいかない。ご主人サマに従うことは、俺の存在理由そのものでもあるのだ。だが、しかし……なぜ、よりによって、今日なのか。今日のために、直近で入っている仕事を一週間先の分まで片付けて、準備万端、整えていたというのに。
「はあ……」
思わず、ため息が漏れた。待ち合わせ場所で待っているはずの愛する天使の顔を思い浮かべながら、スマートフォンを取り出した、そのときだった。
「ご主人様」
重宝している使い魔の一匹、コウモリがぱたぱたと翼をはためかせながら俺を見上げて、悪魔以外には超音波としか捉えられない、彼ららしい声で言った。
「お仕事は、私たちで協力すれば何とかできると思います。ご主人様は、気にせずお出かけください」
思わず、その小さな頭を無言で見つめてしまった。いつもいつも気を回してくれてありがたいとは思っているが、流石に、仕事をまるまる押し付けるような真似はできない。
「気持ちはありがたいが……、でもそんなことはできない。第一、ご主人サマから言いつかった仕事は、お前たちコウモリ族には」
「お兄様の使い魔は、他にもいるでしょう?」
俺の言葉を遮って現れたのは、金髪碧眼の少女の姿をした使い魔、ダイアナだった。コウモリが、その肩の上にすいと留まる。いつの間にか、随分と仲良くなっていたようだ。
ぽかんと口を開く俺に、ダイアナは言う。
「お兄様、私たち使い魔は、お兄様のために働く存在なんでしょう? それに、いつもお兄様にはよくしてもらっているのだから、時々は恩返しくらいさせてもらわなきゃ、落ち着かないわ」
「いや、だが……お前とコウモリたちだけでは」
「分かってるわ。だから他の使い魔たちにも聞いてみたんだけど、みんな、お兄様の役に立ちたいって」
使い魔は、使役する悪魔に従わなくては生きていけない。そこには動かし難い法則があるのみで、恩義などという人間めいた感情が入り込む余地はない、はずだ。少なくとも俺は、そう思っていた。だが、使役される側のこいつらは、そうではなかったようだ。
「……分かった。ありがとう、恩に着る」
スマートフォンをしまいながら言うと、ダイアナは笑った。
「お兄様って、時々、本当に面白いわ。それじゃあ、あの麗しい天使様に、よろしくと言っておいてね」
「ああ」
忠義な使い魔たちにうなずいて、俺は居室を飛び出た。
暖かそうなコートを着込んだ人間たちで賑わう雑踏に、天使はいた。時間を気にしたりするような様子もなく、のんびりと空を見上げている。駆け寄ると、その表情は花が咲くように明るくなった。
「今日のこの日に会えて、嬉しいよ、ラブ」
「ああ、俺もだ、エンジェル」
もう二度と会えないと覚悟を決めて別れたあの夜から百年をかけて再会した、あの日。月の上で、ずっと焦がれていたその愛を受け取ったあの日から、今日で一年になる。この日だけは、一日、こいつと一緒にいたかった。
柔らかく微笑む青い瞳に、胸が温かくなるのを感じる。体温などない、悪魔の胸が。
「ああ、そうだ。ダイアナがよろしくと言っていた」
並んで歩き出しながら言うと、天使は嬉しそうに目を細めた。
「そうか。私からもよろしくと伝えておいてくれ。ふふ。お前の周りに、お前を慕っている者がいて、私は嬉しいよ」
以前、俺にはお前しかいないと伝えたとき、この天使が寂しそうな顔をしていたのを覚えている。俺のことを、本当に俺のためを思って、純粋に幸せを願ってくれているのだ。
「……ありがとう、天使サマ」
「え? なんだい、急に」
不思議そうなその頬に、軽く口付ける。くすぐったそうに笑いながら、天使は俺の手を取った。どんよりとしていた雲の切れ間から穏やかな陽光が差し始め、葉を落とした木々の間から、赤い実を啄む小鳥たちが囁きを交わし合う。
俺たちは、その中を、再び歩き始めた。
「はあ……」
思わず、ため息が漏れた。待ち合わせ場所で待っているはずの愛する天使の顔を思い浮かべながら、スマートフォンを取り出した、そのときだった。
「ご主人様」
重宝している使い魔の一匹、コウモリがぱたぱたと翼をはためかせながら俺を見上げて、悪魔以外には超音波としか捉えられない、彼ららしい声で言った。
「お仕事は、私たちで協力すれば何とかできると思います。ご主人様は、気にせずお出かけください」
思わず、その小さな頭を無言で見つめてしまった。いつもいつも気を回してくれてありがたいとは思っているが、流石に、仕事をまるまる押し付けるような真似はできない。
「気持ちはありがたいが……、でもそんなことはできない。第一、ご主人サマから言いつかった仕事は、お前たちコウモリ族には」
「お兄様の使い魔は、他にもいるでしょう?」
俺の言葉を遮って現れたのは、金髪碧眼の少女の姿をした使い魔、ダイアナだった。コウモリが、その肩の上にすいと留まる。いつの間にか、随分と仲良くなっていたようだ。
ぽかんと口を開く俺に、ダイアナは言う。
「お兄様、私たち使い魔は、お兄様のために働く存在なんでしょう? それに、いつもお兄様にはよくしてもらっているのだから、時々は恩返しくらいさせてもらわなきゃ、落ち着かないわ」
「いや、だが……お前とコウモリたちだけでは」
「分かってるわ。だから他の使い魔たちにも聞いてみたんだけど、みんな、お兄様の役に立ちたいって」
使い魔は、使役する悪魔に従わなくては生きていけない。そこには動かし難い法則があるのみで、恩義などという人間めいた感情が入り込む余地はない、はずだ。少なくとも俺は、そう思っていた。だが、使役される側のこいつらは、そうではなかったようだ。
「……分かった。ありがとう、恩に着る」
スマートフォンをしまいながら言うと、ダイアナは笑った。
「お兄様って、時々、本当に面白いわ。それじゃあ、あの麗しい天使様に、よろしくと言っておいてね」
「ああ」
忠義な使い魔たちにうなずいて、俺は居室を飛び出た。
暖かそうなコートを着込んだ人間たちで賑わう雑踏に、天使はいた。時間を気にしたりするような様子もなく、のんびりと空を見上げている。駆け寄ると、その表情は花が咲くように明るくなった。
「今日のこの日に会えて、嬉しいよ、ラブ」
「ああ、俺もだ、エンジェル」
もう二度と会えないと覚悟を決めて別れたあの夜から百年をかけて再会した、あの日。月の上で、ずっと焦がれていたその愛を受け取ったあの日から、今日で一年になる。この日だけは、一日、こいつと一緒にいたかった。
柔らかく微笑む青い瞳に、胸が温かくなるのを感じる。体温などない、悪魔の胸が。
「ああ、そうだ。ダイアナがよろしくと言っていた」
並んで歩き出しながら言うと、天使は嬉しそうに目を細めた。
「そうか。私からもよろしくと伝えておいてくれ。ふふ。お前の周りに、お前を慕っている者がいて、私は嬉しいよ」
以前、俺にはお前しかいないと伝えたとき、この天使が寂しそうな顔をしていたのを覚えている。俺のことを、本当に俺のためを思って、純粋に幸せを願ってくれているのだ。
「……ありがとう、天使サマ」
「え? なんだい、急に」
不思議そうなその頬に、軽く口付ける。くすぐったそうに笑いながら、天使は俺の手を取った。どんよりとしていた雲の切れ間から穏やかな陽光が差し始め、葉を落とした木々の間から、赤い実を啄む小鳥たちが囁きを交わし合う。
俺たちは、その中を、再び歩き始めた。