37話 悪魔は猫がお好き
目を覚ますと、黒いテーブルに突っ伏していたことが分かった。
「ここは……」
ゆっくり悪魔の部屋を見回しているうちに、記憶が戻ってきた。そうだ、私は猫の変身が解けなくて……。
「おはよう、エンジェル。よく寝られたか」
「あっ……!」
後ろから声をかけられて、思わず勢いよく立ち上がってしまった。振り返ると、黒髪の男が私を見下ろしていた。
「え、なんで……え?」
「はは。まあ落ち着いて、紅茶でも飲めよ」
落ち着くことなど到底出来ない、と思いつつも、熱い紅茶に砂糖を溶かしていただく。いつもの味と香りに、ほうと息が漏れる。
向かいに座った男は、頬杖をついて私の様子を眺めていたが、私が息をついてから口を開いた。
「俺がお前の魂を、見分けられないわけがないだろう」
と、いうことは……。
「最初から」
「気がついてたさ。カラスに襲われている、いたいけな子猫を助けてやろうと思ったのは本当だがな。でも、近寄って見たら俺の天使サマじゃないか。流石にちょっと驚いた」
「な、なんで……」
恥ずかしさに顔から火が出るような心持ちで尋ねると、「あまりに可愛かったもんで、つい」という言葉が返ってきた。
「か、可愛かったって……。まさか」
「いいや」
私の言葉を全て先取りしていく悪魔は、首を振って否定した。
「変身が解けなかったのは、俺のせいじゃないぜ。ありゃ、悪魔の中で俗に言う『しゃっくり』だ」
思いがけない言葉に何も言えないでいる私に、悪魔は「つまりだな」と続ける。
「変身ってのは繊細な仕事なんだ。天使は悪魔と違って、あまりその機会がないからよく分かってないんだろうがな。一瞬で体の組成を変化させるんだ、ご主人サマからいただいたありがたい器とは言え、なかなかの大仕事なんだよ。だから、ときには不具合が生じることもある」
たしかに、言われてみればその通りだ。
人間を誘惑するという性質上、頻繁に変身するのが悪魔なら、人間の中に混じって継続的に善を推奨していく天使は、殆ど変身しない。だから、変身というものにはあまり気を払ったことがなかった。天使の間で、そういう話になったこともない。しかし悪魔の言う通り、体を変化させるというのは、主の御業に近い大仕事だ。これまでの間に不具合がひとつも起きなかった方が、不思議なのかもしれなかった。
「不具合の原因は色々ある。そのときのコンディションだったり天候だったり風向きだったり、何者かの介入だったり」
介入。ピンとくるものがあった。
「カラスか」
「ご名答。変身を行う、もしくは解除するタイミングってのは、最もデリケートな瞬間なんだ。そのときに何かに邪魔立てされたり、もしくは気を取られたりしたら、不具合が発生しやすいんだよ」
それで『しゃっくり』か。
妙に納得のいくネーミングに、深く頷く。
「お前がすぐに変身を解かないから、多分そういうこったろうと踏んで、連れ帰ったわけさ。こういうのは時間さえおけば解決するもんだからな」
「そうだったのか……。それは、ありがとう」
私の礼に、悪魔は首を振った。
「いいや、俺の方こそ。あんなに可愛い猫は、長いこと生きてきて初めてだったぜ」
「や、やめてくれ……」
餌付けされたり猫じゃらしで遊ばれたりしたなんて、恥ずかしくて仲間には言えない。
しかし、恥ずかしさとはまた別に、あんなに可愛いがってもらえるなら、またあの姿になるのもいいかもしれない、などと思ってしまう自分がいる。猫として、頭や背中や腹や喉を、あの長い指でたっぷり撫でてもらえたら、どんなに気持ちいいだろう。
「……まあ、お前のためなら、また変身してもいいけれど」
私の言葉に、悪魔は「そりゃあ楽しみだな」と笑った。
「ここは……」
ゆっくり悪魔の部屋を見回しているうちに、記憶が戻ってきた。そうだ、私は猫の変身が解けなくて……。
「おはよう、エンジェル。よく寝られたか」
「あっ……!」
後ろから声をかけられて、思わず勢いよく立ち上がってしまった。振り返ると、黒髪の男が私を見下ろしていた。
「え、なんで……え?」
「はは。まあ落ち着いて、紅茶でも飲めよ」
落ち着くことなど到底出来ない、と思いつつも、熱い紅茶に砂糖を溶かしていただく。いつもの味と香りに、ほうと息が漏れる。
向かいに座った男は、頬杖をついて私の様子を眺めていたが、私が息をついてから口を開いた。
「俺がお前の魂を、見分けられないわけがないだろう」
と、いうことは……。
「最初から」
「気がついてたさ。カラスに襲われている、いたいけな子猫を助けてやろうと思ったのは本当だがな。でも、近寄って見たら俺の天使サマじゃないか。流石にちょっと驚いた」
「な、なんで……」
恥ずかしさに顔から火が出るような心持ちで尋ねると、「あまりに可愛かったもんで、つい」という言葉が返ってきた。
「か、可愛かったって……。まさか」
「いいや」
私の言葉を全て先取りしていく悪魔は、首を振って否定した。
「変身が解けなかったのは、俺のせいじゃないぜ。ありゃ、悪魔の中で俗に言う『しゃっくり』だ」
思いがけない言葉に何も言えないでいる私に、悪魔は「つまりだな」と続ける。
「変身ってのは繊細な仕事なんだ。天使は悪魔と違って、あまりその機会がないからよく分かってないんだろうがな。一瞬で体の組成を変化させるんだ、ご主人サマからいただいたありがたい器とは言え、なかなかの大仕事なんだよ。だから、ときには不具合が生じることもある」
たしかに、言われてみればその通りだ。
人間を誘惑するという性質上、頻繁に変身するのが悪魔なら、人間の中に混じって継続的に善を推奨していく天使は、殆ど変身しない。だから、変身というものにはあまり気を払ったことがなかった。天使の間で、そういう話になったこともない。しかし悪魔の言う通り、体を変化させるというのは、主の御業に近い大仕事だ。これまでの間に不具合がひとつも起きなかった方が、不思議なのかもしれなかった。
「不具合の原因は色々ある。そのときのコンディションだったり天候だったり風向きだったり、何者かの介入だったり」
介入。ピンとくるものがあった。
「カラスか」
「ご名答。変身を行う、もしくは解除するタイミングってのは、最もデリケートな瞬間なんだ。そのときに何かに邪魔立てされたり、もしくは気を取られたりしたら、不具合が発生しやすいんだよ」
それで『しゃっくり』か。
妙に納得のいくネーミングに、深く頷く。
「お前がすぐに変身を解かないから、多分そういうこったろうと踏んで、連れ帰ったわけさ。こういうのは時間さえおけば解決するもんだからな」
「そうだったのか……。それは、ありがとう」
私の礼に、悪魔は首を振った。
「いいや、俺の方こそ。あんなに可愛い猫は、長いこと生きてきて初めてだったぜ」
「や、やめてくれ……」
餌付けされたり猫じゃらしで遊ばれたりしたなんて、恥ずかしくて仲間には言えない。
しかし、恥ずかしさとはまた別に、あんなに可愛いがってもらえるなら、またあの姿になるのもいいかもしれない、などと思ってしまう自分がいる。猫として、頭や背中や腹や喉を、あの長い指でたっぷり撫でてもらえたら、どんなに気持ちいいだろう。
「……まあ、お前のためなら、また変身してもいいけれど」
私の言葉に、悪魔は「そりゃあ楽しみだな」と笑った。