34話 貴方のお仕事
「まったく……あのボンボンが俺のターゲットだったから良かったものの、そうじゃなかったら気がつけなかったかもしれないぞ。天使サマ、仕事のやり方というものをもう少し考えてくれ」
海辺の邂逅の翌日、私のアパートを訪れた彼は、前に来たとき同様に、大きなため息をついた。私は私で、仕事の邪魔が入ったということとはまったく違うところで、何かモヤモヤするものを感じていた。これは、確か前にも感じたことのある感情だ。確か……。
「天使サマ、聞いてるか?」
「聞いてるさ。大丈夫だよ、私は人間の少女ではない。自分の身くらい守れたし、彼の魂を善に導くことだって出来たさ」
「いや、危なかっただろ。あのな、ああいう根性の腐った人間は、見ず知らずの女子どもに諭されたくらいで宗旨替えなんかしない。それ以前に、常時、麻薬と睡眠薬を隠し持ってるような男に、人間の身体で太刀打ち出来ると本当に思ってるのか」
悪魔の言葉に、愕然とする。麻薬と睡眠薬……確かに何世紀も昔から、魂の汚れた人間はそういうものを使って他の人々を陥れてきた。だが、昨日の男がそこまでだったとは、まったく気が付かなかった。
「……まあ、俺が天使サマに偉そうに言えた話じゃないんだが……」
不思議なことをちらっと言い、悪魔は私の髪を撫でた。
「とにかく、お前の身に何もなくて良かった。いくら奇跡を起こせると言っても、人間の姿のときに薬物で意識を混濁させられては、どうしようもないからな。俺は俺で、任務を果たせた訳だし」
「……! それだ、それだよ。お前、あの後、あの男と……」
「あ? そりゃあ誘惑したんだから、最後まで仕事をやり遂げたぜ。やることをやって……ああ」
悪魔はそこで、私の顔を見て、嬉しそうに笑った。
「そうか。天使サマ、また嫉妬してくれたのか。なんだ、てっきり仕事の邪魔をしたから怒ってるのかと」
「……だって、あんな……お前の仕事を間近で見たのは初めてだったから……」
あんな風に、人間の耳元で囁いて。あんな風に触れて。そして、……。
「そんな顔をしないでくれよ、エンジェル。あんなのは単なる仕事だ。全部、演技さ。あのボンボン、俺のおだてと身体に、すっかり骨抜きになったがな……中身のない、空っぽな容器に恋したようなもんだ」
「でも、お前がいつも、ああいうことをしているんだと思うと……」
言葉に詰まる。
悪魔の言うことは分かるが、演技なのだとしても、そういうことをしているのだと考えることが、既に胸を重くさせる。私以外の誰かと、そんなことを……。
「ああまったく、俺の天使サマは、本当に可愛くて困るな」
悪魔の声が耳元で聞こえ、気がつくと、そのがっしりとした腕の中に抱きしめられていた。冷たい体温に、甘い吐息。胸の中はまだざわついているが、ひどく落ち着く温度に、目を閉じる。
「俺にとって、意味があるのはお前だけなんだ、天使サマ。他の何もかもは、どうだって良いんだ。分かるだろ」
「うん……」
「俺のために嫉妬してくれるのは本当に嬉しいんだけどな。それでお前が傷つくのでは困る。だから、何度でも言う。俺にとって意味があるのは、お前だけだ」
繰り返される言葉に、いつしか胸の中のわだかまりが溶けていった。それと同時に、今までとはまた違った思いが湧いてくるのを感じる。なぜこれまで、気がつかなかったのだろう。
私は、悪魔の優しい顔を見上げた。
「なあ、ラブ。私はお前にそう思ってもらえることがとても嬉しいけれど、なんだか少し、寂しくもあるんだ」
「寂しい?」
不思議そうなその顔に、指で触れる。
「お前に、私だけしか意味がないなんて、悲しいな。世界はこんなにも美しいのに、お前の中に私しかいないのだとしたら、私は寂しい。お前の世界を、もっと美しくて鮮やかなもので埋めてやりたい」
「天使サマ……」
驚いたような顔をする彼の身体を、しっかりと抱きしめる。幸福に弱い悪魔は少しふらつき、それでもそのまま持ち堪えた。
「ありがとう、天使サマ。俺は宇宙で一番幸福な悪魔だ」
「ふふ。それなら私は、宇宙で一番幸福な天使だな」
二人して笑いあい、お互いの幸福な表情を確認して、身体を離す。そこで、悪魔が思い出したように声を上げた。
「そうだ、天使サマ。昨日のお前の姿についてなんだが……」
何か変なところでもあったのだろうか、と思わず身構えてしまった私に、彼は照れたように言った。
「目の保養に、また見せてくれないか」
海辺の邂逅の翌日、私のアパートを訪れた彼は、前に来たとき同様に、大きなため息をついた。私は私で、仕事の邪魔が入ったということとはまったく違うところで、何かモヤモヤするものを感じていた。これは、確か前にも感じたことのある感情だ。確か……。
「天使サマ、聞いてるか?」
「聞いてるさ。大丈夫だよ、私は人間の少女ではない。自分の身くらい守れたし、彼の魂を善に導くことだって出来たさ」
「いや、危なかっただろ。あのな、ああいう根性の腐った人間は、見ず知らずの女子どもに諭されたくらいで宗旨替えなんかしない。それ以前に、常時、麻薬と睡眠薬を隠し持ってるような男に、人間の身体で太刀打ち出来ると本当に思ってるのか」
悪魔の言葉に、愕然とする。麻薬と睡眠薬……確かに何世紀も昔から、魂の汚れた人間はそういうものを使って他の人々を陥れてきた。だが、昨日の男がそこまでだったとは、まったく気が付かなかった。
「……まあ、俺が天使サマに偉そうに言えた話じゃないんだが……」
不思議なことをちらっと言い、悪魔は私の髪を撫でた。
「とにかく、お前の身に何もなくて良かった。いくら奇跡を起こせると言っても、人間の姿のときに薬物で意識を混濁させられては、どうしようもないからな。俺は俺で、任務を果たせた訳だし」
「……! それだ、それだよ。お前、あの後、あの男と……」
「あ? そりゃあ誘惑したんだから、最後まで仕事をやり遂げたぜ。やることをやって……ああ」
悪魔はそこで、私の顔を見て、嬉しそうに笑った。
「そうか。天使サマ、また嫉妬してくれたのか。なんだ、てっきり仕事の邪魔をしたから怒ってるのかと」
「……だって、あんな……お前の仕事を間近で見たのは初めてだったから……」
あんな風に、人間の耳元で囁いて。あんな風に触れて。そして、……。
「そんな顔をしないでくれよ、エンジェル。あんなのは単なる仕事だ。全部、演技さ。あのボンボン、俺のおだてと身体に、すっかり骨抜きになったがな……中身のない、空っぽな容器に恋したようなもんだ」
「でも、お前がいつも、ああいうことをしているんだと思うと……」
言葉に詰まる。
悪魔の言うことは分かるが、演技なのだとしても、そういうことをしているのだと考えることが、既に胸を重くさせる。私以外の誰かと、そんなことを……。
「ああまったく、俺の天使サマは、本当に可愛くて困るな」
悪魔の声が耳元で聞こえ、気がつくと、そのがっしりとした腕の中に抱きしめられていた。冷たい体温に、甘い吐息。胸の中はまだざわついているが、ひどく落ち着く温度に、目を閉じる。
「俺にとって、意味があるのはお前だけなんだ、天使サマ。他の何もかもは、どうだって良いんだ。分かるだろ」
「うん……」
「俺のために嫉妬してくれるのは本当に嬉しいんだけどな。それでお前が傷つくのでは困る。だから、何度でも言う。俺にとって意味があるのは、お前だけだ」
繰り返される言葉に、いつしか胸の中のわだかまりが溶けていった。それと同時に、今までとはまた違った思いが湧いてくるのを感じる。なぜこれまで、気がつかなかったのだろう。
私は、悪魔の優しい顔を見上げた。
「なあ、ラブ。私はお前にそう思ってもらえることがとても嬉しいけれど、なんだか少し、寂しくもあるんだ」
「寂しい?」
不思議そうなその顔に、指で触れる。
「お前に、私だけしか意味がないなんて、悲しいな。世界はこんなにも美しいのに、お前の中に私しかいないのだとしたら、私は寂しい。お前の世界を、もっと美しくて鮮やかなもので埋めてやりたい」
「天使サマ……」
驚いたような顔をする彼の身体を、しっかりと抱きしめる。幸福に弱い悪魔は少しふらつき、それでもそのまま持ち堪えた。
「ありがとう、天使サマ。俺は宇宙で一番幸福な悪魔だ」
「ふふ。それなら私は、宇宙で一番幸福な天使だな」
二人して笑いあい、お互いの幸福な表情を確認して、身体を離す。そこで、悪魔が思い出したように声を上げた。
「そうだ、天使サマ。昨日のお前の姿についてなんだが……」
何か変なところでもあったのだろうか、と思わず身構えてしまった私に、彼は照れたように言った。
「目の保養に、また見せてくれないか」