197話 魔性の羽根
何もかもうまくいかない。営業の成績は振るわないし、上司からは激励という名の嫌がらせを受け、若手からは陰で笑われているようだ。家に帰っても妻はよそよそしいし、反抗期に入った息子からは「どうせろくな大学にも行かせてくれないんだろ」と突き放される。どこに行っても居場所がない。気軽に愚痴を言い合える友人もいない。重い体を引きずって、家路を辿る。不機嫌そうな妻の声や刺々しい息子の口調を思い浮かべると、過呼吸でも起こしそうになってくる……。
耐えられず、立ち止まった。そのまま家に帰りたくなかった。たまたま公園が目に入り、小さな街灯の光に照らされたベンチに座った。
「はあ……」
盛大なため息をついた時、一枚の羽根が目に入った。カラスのものかと思ったが、それよりも確実に大きい。光に照らされて、羽根は艶やかに輝いた。黒い中に奥行きがあり、見る角度によって微妙に深さの変わる色合いに、次第に目を離せなくなってくる。
気がつくと、俺はその羽根を手に取っていた。野生の鳥の落とし羽なんて汚い、という常識的な発想が、頭の奥に引っ込んでしまったみたいだった。
それで?
営業の成績が振るわないのは俺の責任じゃない。あんな取引先をあてがってきたのは上司じゃないか。そもそもこれまで未経験だった部署に異動させられたのだってそうだ。俺は悪くない。このままだとインセンティブが得られずに、給料が下がるのは確実だ。どうせ破滅するなら、会社の経費を使い込んでやれ。上司のSNSアカウントを使って顧客の個人情報をばら撒いてもいい。妻には離婚届を突きつけて、身の程を知らせてやる。そうなれば息子の進学の道も断たれるだろうが、俺の存在の大きさを思い知って、舐めた口を聞いたことを後悔させて
「綺麗な羽根ですね。私にも見せてくれませんか」
穏やかな声にハッとして、顔を上げた。女性的な顔立ちの、金髪の男が立っていた。一瞬コートかと思ったが、身につけているのはカソック。ということは……神父様だ。
「あ、ああ……はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
請われるまま神父の手に羽根を渡した途端、それまで目を離せなかった黒い羽根の魅力が、一気に消え失せた。俺はこの羽根の何に、そんなに惹かれていたのだろう。
それに……さっきまで、俺は何を考えていたんだろう? とても恐ろしい考えが次から次へと湧いて、それを止めることができず……自暴自棄になったが故の全能感に浸されて、まるで胸の内が真っ黒に染められて行くようだった。
「大丈夫ですよ。あなたの魂は潔白です」
神父様の言葉は不思議だったが、そのおかげで俺は心の底から安心した。ああ、俺の魂は潔白なんだ……。
「さあ、ご家族があなたを待っていますよ。気をつけてお帰りください」
「あ、ありがとうございます……」
不思議な気持ちで、俺は腰を上げた。少しだけ軽くなった体で、再び家路を辿り始めた。
耐えられず、立ち止まった。そのまま家に帰りたくなかった。たまたま公園が目に入り、小さな街灯の光に照らされたベンチに座った。
「はあ……」
盛大なため息をついた時、一枚の羽根が目に入った。カラスのものかと思ったが、それよりも確実に大きい。光に照らされて、羽根は艶やかに輝いた。黒い中に奥行きがあり、見る角度によって微妙に深さの変わる色合いに、次第に目を離せなくなってくる。
気がつくと、俺はその羽根を手に取っていた。野生の鳥の落とし羽なんて汚い、という常識的な発想が、頭の奥に引っ込んでしまったみたいだった。
それで?
営業の成績が振るわないのは俺の責任じゃない。あんな取引先をあてがってきたのは上司じゃないか。そもそもこれまで未経験だった部署に異動させられたのだってそうだ。俺は悪くない。このままだとインセンティブが得られずに、給料が下がるのは確実だ。どうせ破滅するなら、会社の経費を使い込んでやれ。上司のSNSアカウントを使って顧客の個人情報をばら撒いてもいい。妻には離婚届を突きつけて、身の程を知らせてやる。そうなれば息子の進学の道も断たれるだろうが、俺の存在の大きさを思い知って、舐めた口を聞いたことを後悔させて
「綺麗な羽根ですね。私にも見せてくれませんか」
穏やかな声にハッとして、顔を上げた。女性的な顔立ちの、金髪の男が立っていた。一瞬コートかと思ったが、身につけているのはカソック。ということは……神父様だ。
「あ、ああ……はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
請われるまま神父の手に羽根を渡した途端、それまで目を離せなかった黒い羽根の魅力が、一気に消え失せた。俺はこの羽根の何に、そんなに惹かれていたのだろう。
それに……さっきまで、俺は何を考えていたんだろう? とても恐ろしい考えが次から次へと湧いて、それを止めることができず……自暴自棄になったが故の全能感に浸されて、まるで胸の内が真っ黒に染められて行くようだった。
「大丈夫ですよ。あなたの魂は潔白です」
神父様の言葉は不思議だったが、そのおかげで俺は心の底から安心した。ああ、俺の魂は潔白なんだ……。
「さあ、ご家族があなたを待っていますよ。気をつけてお帰りください」
「あ、ありがとうございます……」
不思議な気持ちで、俺は腰を上げた。少しだけ軽くなった体で、再び家路を辿り始めた。