183話 白魔の村の魔女

 雪深い山の中で、俺は目の前に広がる白い景色を眺めていた。数キロ先に村があるきりの土地に、人の気配はない。ここは木々もまばらだ。斜面にはくるぶしのあたりまで雪が積もっているが、その上には獣の足跡が点々とあるきりだ。少し先で、雪の重みに耐えかねた木の枝がしなり、どすっという音と共に軽くなった。
「ここか」
 俺の言葉に、隣に立っていたジャックフロストが「ああ」と頷いた。
「どうだろう、魔力の痕跡はあるかな。僕はそういうの苦手で」
「痕跡はある。辿れるほど残してくれてはいないが、これは明らかに運搬魔法の跡だ」
 雪や霜を操る妖精であるジャックフロストは、俺たち悪魔のように他者の魔力痕を感知する能力はそこまで高くない。それで、俺に助力を仰いだというわけだ。
 ジャックフロストは「あーあ」とため息をついた。その吐息から、雪の結晶が発生してパキパキと音を立てた。
「じゃあやっぱり、僕が降らせた雪が、盗難の憂き目に遭っているというわけだ。やんなっちゃうね」
 今は俺と同じくらいの年齢の男の姿をとっているジャックフロストは、青い髪をかき回して「あーあ」と繰り返す。
「積もり過ぎれば雪崩を起こして散らし、雪が不足していれば降らせ……僕がどれだけ苦心して、環境を調節していると思ってるんだか」
「安心しろ。雪泥棒は俺が捕まえてやる。まあ、とりあえずここら一帯と近隣の村の調査もしないといけないな……」
 そんな話をしていると、背後から落ちた枝を踏む音が聞こえた。振り向くと、栗毛の少年が針葉樹の後ろから俺をじっと見つめていた。エレメンタリースクールの、まだ低学年くらいの年齢だろう。その口元がアワアワと動き、俺と目が合ってすぐに背を向けて走り去ってしまった。
「おや? 人間の男の子か。元気がいいね」
 子供好きなジャックフロストは途端に機嫌を直したが、俺は少年の口の動きが気になっていた。あの少年は確かに、こう言っていた……『白魔と喋ってる』。

 栗毛の少年は村からかなり外れた、山際の、ほとんど小屋と言っていいような小さな家に駆け込んで行った。暖炉の火に当たりながらうとうとしていた老婆は、眠そうな目で少年を迎えた。
「おかえり。どうしたんだい、そんなに慌てて」
「おばあちゃん! 今ね、白魔と喋ってる男の人がいたんだよ! きっと悪魔に違いないよ」
 老婆はうんうんと頷いて、少年の冷えた頬を両手で包んで温めた。
「お前は私に似たからねえ。それは本当だろうと思うよ。けれど、お前まで村の皆のように、あれを白魔などと呼ぶんじゃない。確かに、白いボヤッとした人影にしか見えないし、あれが出ると必ず大雪が降るけれども……別に悪いことをしているわけじゃないんだから。あれは雪のバランスをとっている、妖精でしかないんだよ」
「でも、おばあちゃん……」
 少年は尚も、自分が見た黒ずくめの男がどれだけ不気味だったかを訴える。老婆はうんうんと頷きながら、その頭を撫でてやる。
「ふふ。蛇の悪魔、お前すごいあの子に怖がられてるな」
 小屋の窓から様子を眺めていた俺を、ジャックフロストが肘で小突いた。俺たちは姿を消して、あの少年の後を追ってきていたのだった。
「お前だって『白魔』って呼ばれてるらしいじゃないか」
「あ、そうだった。全く、人間は酷いよなあ。僕みたいに人間に対して好意的な魔物なんて、そんなにいないってのに」
 確かに、時には人間に協力したり、小さな子供と一緒になって遊んだりと、ここまで人間好きな魔物はあまりいない。……だが、その呼称に関しては……。
 白いコートに白いブーツ、白い手袋を身につけ、時折口から雪を吐くジャックフロストは、俺の視線に嫌そうな顔をした。
「何だよ」
「いや。……それにしてもこの家だけ、随分と村から離れてるんだな。さらには山際、か」
 小屋に続く小道は少年が雪かきしているのだろう、細く村の方へ続いているが、それにしたって少年の足では、村まで一時間はかかるだろう。見た限り車もないようだ。
「これでは雪崩が起きたら救助も来ないし、ひとたまりもないな……」
 俺の呟きに、ジャックフロストは非難されたかのような顔でこちらを見た。
「そうならないように、僕があちこち調整しているんじゃないか」
「そうだな。わかってるよ」
 俺は再び、窓の内側に注意を向けた。少年と老婆のやりとりは、ジャックフロストと喋っている間にもしっかり聞き取ってはいた。なかなかに興味深い、示唆に富んだ会話に、俺は耳を傾ける。
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