182話 stay by my side
その日は教会での仕事が休みだったので、家で本棚の整頓をしていた。天界・地獄についての資料が、もういっぱいになっている。本当はあまりやりたくないのだが、奇跡で本を圧縮してしまうしか……。
そんなことを思っていると、スマートフォンにメッセージが届いた。見ると、私の愛する悪魔からだ。簡単なやり取りの末、これから家に来るという話になった。慌てて積み重ねた本を棚に戻していると、横から伸びてきた腕が、一冊の本を取り上げた。
「クリスマス説話集か」
「ラブ、早かったんだね」
言いながら見ると、ただでさえ白っぽい彼の顔色が、いつも以上に白くなっていた。
「わっ……大丈夫か」
「大丈夫……」
そうは言うが、どう見ても体調が悪そうだ。天使でも悪魔でも、体調を崩すなんてことは通常はありえない。毒を盛られたり呪いをかけられたり、とにかく何らかのイレギュラーな事態だ。
「一体、何が……」と言いかけて、私は先ほど男が手に取った本の表紙に目をやった。クリスマス説話集。
「そうか、聖気酔いか……」
クリスマス時期、目の前の男に限らず、悪魔というものは弱体化する。クリスマスがどうというのではない、クリスマスに刺激されて人々の信仰心が高まるためだ。普段ほとんど神のことなど思い起こさない人間であっても、この時期は気分が高揚し、忘れていた信仰心を掘り起こす。元々信仰深い人間は、さらにその気持ちを深める。また、信仰心のこもった聖歌・讃美歌は、力のある悪魔にさえダメージを与えかねない。だから、高位の悪魔であるこの男ですら、今時期に外を歩くのはかなりきついようだ。
「ちょっと休めば良くなる……悪いが、ここで休ませてくれないか」
「もちろんだよ」
立っているのが辛そうな彼に、私はソファを勧めた。男は長身を投げ出すようにソファに身を沈め、目を閉じる。常にピシッとしていて姿勢を崩すことさえない彼の、こんなに弱々しい様子を見るのは胸が痛い。
「何か、私にできることはあるか?」
男はちょっと間を置いて、「……そばにいてほしい」と言った。痛んでいた胸が、途端にキュンと疼く。何だろう、この感じは。
「もちろん、そばにいるよ」
ソファの脇にしゃがみ込んで、男の髪を撫でる。一見すると整えられて硬そうな彼の髪は、柔らかく手に馴染む。男が、少し気分を落ち着けたように息を吐いた。目元を覆っていた彼の手が、私の手を握る。温度というもののない彼の手に、私の体温が移っていく。
「ありがとう……」
ほとんど吐息のような声が、私の手に力を入れさせた。
「……何だかこんなに弱々しいお前を見ていると、人間や他の生命に対するのとはまた違った庇護欲に駆られてしまう。……変な感じだよ」
ただ庇ってやりたいというのとはまた違う、……おかしな話だが、私は弱っている恋人を、可愛いと思っている。さっきの胸の疼きが、今も続いている。これは、何かの錯覚ではないだろうか。
「……マジか……。天使サマにもそんな感情が芽生えるんだな」
男はちょっと笑い、「それならもう少し甘えてもいいか」と尋ね、続けた。
「膝枕してくれ」
「なんだ、そんなことか。いいよ」
私は男の頭があった場所に座り、再び彼の頭を戻した。ソファの位置関係上、膝というよりは太ももに、彼の頭は載った。
うう、と男が呻く。
「ど、どうした? やっぱりやめておくか」
「いや、そうじゃない……幸せすぎて、目眩が……」
そう言えばこの男は、幸福を感じすぎても体に良くないのだった。彼には悪いが、私はちょっと笑ってしまった。
「聖気酔いか幸せ酔いか、どちらかにしてくれよ」
「すまない……」
男は呻きながらも呼吸を落ち着けた。
「こうしていると、あの時を思い出すな……。天使サマが俺を見つけ出してくれた、あの時……」
「そうだね。あの時は大変だったな」
私の前からいなくなった男と百年越しに再会した時も、私は横たわる彼の頭を抱えたものだった。
「もう随分前のことのように思うけれど、実質、あれから数年しか経っていないんだな。何だかびっくりだ」
「そうだな……」
これだけ時間があっという間に過ぎ去ったのは、彼と出会う前と比べて、私の世界がぐっと広がったからだろう。様々なことを彼と共に経験し、彼を介して多くの人や魔物と知り合い、……それに伴って、自分の中にあるとは思っていなかった感情も、たくさん知った。
「これからも、お前と一緒に世界を広げていきたいな」
「…………」
「…………?」
悪魔の反応がない。軽く頬を叩くと、意識を取り戻した。気絶していたらしい。
「幸せすぎて気絶するお前の体質、時々怖い」
「……すまない……。でも、意地でお前の言葉は聞いてたよ」
聞こえていたのか。それも怖い。
悪魔はまだ気分が悪いだろうに、微笑んだ。
「そうだな。もっと色々な所に行って、食べているお前を見て、レジャーもして、……できることがたくさんあるな」
「そうそう。でもまずは今、元気を取り戻さなきゃね!」
「違いない」
私と悪魔は、それから長い間、語り合った。
そんなことを思っていると、スマートフォンにメッセージが届いた。見ると、私の愛する悪魔からだ。簡単なやり取りの末、これから家に来るという話になった。慌てて積み重ねた本を棚に戻していると、横から伸びてきた腕が、一冊の本を取り上げた。
「クリスマス説話集か」
「ラブ、早かったんだね」
言いながら見ると、ただでさえ白っぽい彼の顔色が、いつも以上に白くなっていた。
「わっ……大丈夫か」
「大丈夫……」
そうは言うが、どう見ても体調が悪そうだ。天使でも悪魔でも、体調を崩すなんてことは通常はありえない。毒を盛られたり呪いをかけられたり、とにかく何らかのイレギュラーな事態だ。
「一体、何が……」と言いかけて、私は先ほど男が手に取った本の表紙に目をやった。クリスマス説話集。
「そうか、聖気酔いか……」
クリスマス時期、目の前の男に限らず、悪魔というものは弱体化する。クリスマスがどうというのではない、クリスマスに刺激されて人々の信仰心が高まるためだ。普段ほとんど神のことなど思い起こさない人間であっても、この時期は気分が高揚し、忘れていた信仰心を掘り起こす。元々信仰深い人間は、さらにその気持ちを深める。また、信仰心のこもった聖歌・讃美歌は、力のある悪魔にさえダメージを与えかねない。だから、高位の悪魔であるこの男ですら、今時期に外を歩くのはかなりきついようだ。
「ちょっと休めば良くなる……悪いが、ここで休ませてくれないか」
「もちろんだよ」
立っているのが辛そうな彼に、私はソファを勧めた。男は長身を投げ出すようにソファに身を沈め、目を閉じる。常にピシッとしていて姿勢を崩すことさえない彼の、こんなに弱々しい様子を見るのは胸が痛い。
「何か、私にできることはあるか?」
男はちょっと間を置いて、「……そばにいてほしい」と言った。痛んでいた胸が、途端にキュンと疼く。何だろう、この感じは。
「もちろん、そばにいるよ」
ソファの脇にしゃがみ込んで、男の髪を撫でる。一見すると整えられて硬そうな彼の髪は、柔らかく手に馴染む。男が、少し気分を落ち着けたように息を吐いた。目元を覆っていた彼の手が、私の手を握る。温度というもののない彼の手に、私の体温が移っていく。
「ありがとう……」
ほとんど吐息のような声が、私の手に力を入れさせた。
「……何だかこんなに弱々しいお前を見ていると、人間や他の生命に対するのとはまた違った庇護欲に駆られてしまう。……変な感じだよ」
ただ庇ってやりたいというのとはまた違う、……おかしな話だが、私は弱っている恋人を、可愛いと思っている。さっきの胸の疼きが、今も続いている。これは、何かの錯覚ではないだろうか。
「……マジか……。天使サマにもそんな感情が芽生えるんだな」
男はちょっと笑い、「それならもう少し甘えてもいいか」と尋ね、続けた。
「膝枕してくれ」
「なんだ、そんなことか。いいよ」
私は男の頭があった場所に座り、再び彼の頭を戻した。ソファの位置関係上、膝というよりは太ももに、彼の頭は載った。
うう、と男が呻く。
「ど、どうした? やっぱりやめておくか」
「いや、そうじゃない……幸せすぎて、目眩が……」
そう言えばこの男は、幸福を感じすぎても体に良くないのだった。彼には悪いが、私はちょっと笑ってしまった。
「聖気酔いか幸せ酔いか、どちらかにしてくれよ」
「すまない……」
男は呻きながらも呼吸を落ち着けた。
「こうしていると、あの時を思い出すな……。天使サマが俺を見つけ出してくれた、あの時……」
「そうだね。あの時は大変だったな」
私の前からいなくなった男と百年越しに再会した時も、私は横たわる彼の頭を抱えたものだった。
「もう随分前のことのように思うけれど、実質、あれから数年しか経っていないんだな。何だかびっくりだ」
「そうだな……」
これだけ時間があっという間に過ぎ去ったのは、彼と出会う前と比べて、私の世界がぐっと広がったからだろう。様々なことを彼と共に経験し、彼を介して多くの人や魔物と知り合い、……それに伴って、自分の中にあるとは思っていなかった感情も、たくさん知った。
「これからも、お前と一緒に世界を広げていきたいな」
「…………」
「…………?」
悪魔の反応がない。軽く頬を叩くと、意識を取り戻した。気絶していたらしい。
「幸せすぎて気絶するお前の体質、時々怖い」
「……すまない……。でも、意地でお前の言葉は聞いてたよ」
聞こえていたのか。それも怖い。
悪魔はまだ気分が悪いだろうに、微笑んだ。
「そうだな。もっと色々な所に行って、食べているお前を見て、レジャーもして、……できることがたくさんあるな」
「そうそう。でもまずは今、元気を取り戻さなきゃね!」
「違いない」
私と悪魔は、それから長い間、語り合った。