175話 doll's monologue
目の前に、クリスマスのご馳走が揃っている。今からチキンにかぶりつこうという瞬間に、くぐもったようなギターとドラムの音が響いた。私の大好きなパンクバンドのボーカルが、ひどく遠回りな愛の歌を歌い出した。
掴んでいたチキンが消え、ご馳走の数々が現実に薄まっていく。寝ぼけ眼で体のすぐ横に置いてあるスマートフォンの画面に触れると、けたたましい音楽は止まった。
「んー」
一瞬開いた目をまた瞑ると、再びご馳走の前に戻ることができた。……と思ったら、そこに並んでいるのはもはや典型的なご馳走ではなかった。チキンもポテトもサラダもプディングも、赤い液体をたたえたグラスに変わっている。
そうだわ、今の私にはこれがご馳走なんだわ……。
悲しい気分でグラスを手に取った私の耳に、今度は音楽ではない、もっと直接的で体を震わせる音が響いてきた。ゴウン、ゴウンという、大きな鐘を叩くような……。
「わかったわ、起きる、起きるから止めて!」
無情にも、音は止まない。私がすぐに二度寝してしまうことをわかっているのだ。狭い棺桶に反響する轟音は、耳や体をバラバラに壊してしまいそう。
急いで重い棺桶の蓋を開くと、ようやく音は止んだ。私の棺桶を叩いていた張本人……アリスお姉様が、手にしていた小さなハンマーを床に放り投げる。ゴン、と鈍い音がする。
「おはよう、カミラ」
「……おはようございます、アリスお姉様」
棺桶から出て、朝から煌々と室内を照らす電灯の下で登校の用意をする。アリスお姉様はさっさと部屋を出て行ってしまった。せっかくこの広いお屋敷の中、たった二人で起きている『家族』なのだから、もっとコミュニケーションをとったっていいと思うのだけど。
……まあ、アリスお姉様は他の家族の数百年の休眠を守る役目を担っているから、私と違って忙しいのだろう。
窓のない部屋で簡単な朝食……パックに詰められた血液ゼリー……を摂って、スマートフォンで天気をチェックする。
「うげ……」
どうやら地上では雪が降っているらしい。こんな体質になる前は夏の日差しを浴びるのが大好きだった私は、今でもやっぱり夏が好きだ。雪自体は綺麗で好きだけれど、その中を歩くのは寒くて嫌。夏の間は悪目立ちしていた、長袖ブラウスと黒タイツがしっくりくる季節なのは嬉しいけれど……。
制服のワンピースも冬仕様で暖かい。着替えながら、ふと自分の腕に目がいく。
白い、白すぎる肌。
「カミラは我が一族に仲間入りしてから、どんどん美しくなるな。吸血鬼は肌が白いほど美しい。カミラの肌はそれこそスノーホワイトだ」
そんな軽口を叩いていた男の顔が思い浮かぶ。私をその一族に引き入れた男……私を愛し、私が愛する男の、にやけた顔が。
「せっかく家族になったのに……いつまで眠ってんのよ」
私にとって家族というのは、揃ってどこにでも行く人たちのことだった。けれどどうやら、私が仲間入りを果たしたこの一族にとっては……長い眠りを共にする人たちのことだったらしい。
夏の海で一緒に泳ぎたかった。夏の山を一緒に登りたかった。冬だって、クリスマスの雰囲気を楽しんで、美味しいものを一緒に味わいたかった。雪も、あの男と一緒ならきっと楽しめたはずだ。
「私を一人にして。起きてきたら許さないんだから」
「そんなこと言うと、あいつ怖がって起きてこないかもよ」
いつの間にか戸口に立っていたアリスお姉様が言った。くっくと喉の奥で笑いながら。一族の吸血鬼は誰もそうだけれど、ハッとするような美人のアリスお姉様は、意地の悪い笑い方をしてもそれが逆に綺麗に見えるから凄い。
「アリスお姉様……聞いてました?」
「うん。カミラの独り言ってでかいんだよね」
アリスお姉様は黒くて長い髪を無造作に一つにまとめた。Tシャツにジャージというラフすぎる服装にぴったりのヘアスタイルだと思う。
「見ての通り私は今日も外に出るつもりはないから。この休眠期間中に外に出るのはカミラだけなんだから、気をつけてね。えっと……ダイアナちゃんだっけ? あの使い魔の子、もう門のところに立ってたよ」
「えっ」
慌ててスマートフォンを見ると、ダイアナとの待ち合わせ時刻をもう五分も過ぎていた。
「アリスお姉様、どうして先にそれを言ってくれないんですか!」
叫びながら、地上へ通じる階段を急いで登る。運動不足すぎる体にはきつい。
「カミラの反応が面白いからだよ」
あはははという笑い声を背中に聞きながら、玄関ホールの扉を開く。車止めのさらに向こう、正門の向こうに、ダイアナの金髪が見える。よかった、待っていてくれた。
雪がちらつく空に向かって日傘を広げ、友達の名前を呼ぶ。振り向いた笑顔に向かって手を振り、歩き出す。
楽しい一日が始まる。
掴んでいたチキンが消え、ご馳走の数々が現実に薄まっていく。寝ぼけ眼で体のすぐ横に置いてあるスマートフォンの画面に触れると、けたたましい音楽は止まった。
「んー」
一瞬開いた目をまた瞑ると、再びご馳走の前に戻ることができた。……と思ったら、そこに並んでいるのはもはや典型的なご馳走ではなかった。チキンもポテトもサラダもプディングも、赤い液体をたたえたグラスに変わっている。
そうだわ、今の私にはこれがご馳走なんだわ……。
悲しい気分でグラスを手に取った私の耳に、今度は音楽ではない、もっと直接的で体を震わせる音が響いてきた。ゴウン、ゴウンという、大きな鐘を叩くような……。
「わかったわ、起きる、起きるから止めて!」
無情にも、音は止まない。私がすぐに二度寝してしまうことをわかっているのだ。狭い棺桶に反響する轟音は、耳や体をバラバラに壊してしまいそう。
急いで重い棺桶の蓋を開くと、ようやく音は止んだ。私の棺桶を叩いていた張本人……アリスお姉様が、手にしていた小さなハンマーを床に放り投げる。ゴン、と鈍い音がする。
「おはよう、カミラ」
「……おはようございます、アリスお姉様」
棺桶から出て、朝から煌々と室内を照らす電灯の下で登校の用意をする。アリスお姉様はさっさと部屋を出て行ってしまった。せっかくこの広いお屋敷の中、たった二人で起きている『家族』なのだから、もっとコミュニケーションをとったっていいと思うのだけど。
……まあ、アリスお姉様は他の家族の数百年の休眠を守る役目を担っているから、私と違って忙しいのだろう。
窓のない部屋で簡単な朝食……パックに詰められた血液ゼリー……を摂って、スマートフォンで天気をチェックする。
「うげ……」
どうやら地上では雪が降っているらしい。こんな体質になる前は夏の日差しを浴びるのが大好きだった私は、今でもやっぱり夏が好きだ。雪自体は綺麗で好きだけれど、その中を歩くのは寒くて嫌。夏の間は悪目立ちしていた、長袖ブラウスと黒タイツがしっくりくる季節なのは嬉しいけれど……。
制服のワンピースも冬仕様で暖かい。着替えながら、ふと自分の腕に目がいく。
白い、白すぎる肌。
「カミラは我が一族に仲間入りしてから、どんどん美しくなるな。吸血鬼は肌が白いほど美しい。カミラの肌はそれこそスノーホワイトだ」
そんな軽口を叩いていた男の顔が思い浮かぶ。私をその一族に引き入れた男……私を愛し、私が愛する男の、にやけた顔が。
「せっかく家族になったのに……いつまで眠ってんのよ」
私にとって家族というのは、揃ってどこにでも行く人たちのことだった。けれどどうやら、私が仲間入りを果たしたこの一族にとっては……長い眠りを共にする人たちのことだったらしい。
夏の海で一緒に泳ぎたかった。夏の山を一緒に登りたかった。冬だって、クリスマスの雰囲気を楽しんで、美味しいものを一緒に味わいたかった。雪も、あの男と一緒ならきっと楽しめたはずだ。
「私を一人にして。起きてきたら許さないんだから」
「そんなこと言うと、あいつ怖がって起きてこないかもよ」
いつの間にか戸口に立っていたアリスお姉様が言った。くっくと喉の奥で笑いながら。一族の吸血鬼は誰もそうだけれど、ハッとするような美人のアリスお姉様は、意地の悪い笑い方をしてもそれが逆に綺麗に見えるから凄い。
「アリスお姉様……聞いてました?」
「うん。カミラの独り言ってでかいんだよね」
アリスお姉様は黒くて長い髪を無造作に一つにまとめた。Tシャツにジャージというラフすぎる服装にぴったりのヘアスタイルだと思う。
「見ての通り私は今日も外に出るつもりはないから。この休眠期間中に外に出るのはカミラだけなんだから、気をつけてね。えっと……ダイアナちゃんだっけ? あの使い魔の子、もう門のところに立ってたよ」
「えっ」
慌ててスマートフォンを見ると、ダイアナとの待ち合わせ時刻をもう五分も過ぎていた。
「アリスお姉様、どうして先にそれを言ってくれないんですか!」
叫びながら、地上へ通じる階段を急いで登る。運動不足すぎる体にはきつい。
「カミラの反応が面白いからだよ」
あはははという笑い声を背中に聞きながら、玄関ホールの扉を開く。車止めのさらに向こう、正門の向こうに、ダイアナの金髪が見える。よかった、待っていてくれた。
雪がちらつく空に向かって日傘を広げ、友達の名前を呼ぶ。振り向いた笑顔に向かって手を振り、歩き出す。
楽しい一日が始まる。