174話 live my life
第二主日のアドベント礼拝が終わった。会衆席から立って教会を出ていく人たちを見送りながら、私は説教壇に飾られた蝋燭の二本目に炎を灯す。蝋燭は四本あり、すでに一本目は第一主日に使用済みだ。クリスマスまでの四日の主日、つまり日曜日に行われるアドベントの礼拝ごとに炎を灯すのが習わしなのだ。
使ったマッチを捨てようと歩き出した時、聖歌隊の少年に呼び止められた。
聖歌隊の出番はクリスマスイブで、今日は特に仕事はないが、品行方正が求められる彼らは礼拝にも欠かさず出席している。中でも今私を呼び止めた少年はとても熱心で、私もよく知っていた。一年前の夏、私に熱烈なラブレターをくれたのも彼だ。
「実は」と、彼は切り出した。
「恋愛の相談をしたいのです」
教会には様々な相談が寄せられる。生活上の相談や彼のような恋愛相談はもちろん、人生の重大な岐路についての相談も多い。私たちは相談される分野のプロではないが、親身になって話を聞き、その心の負担を少しでも軽くすることはできる。まして人間ではない、天使の私には、人間の悩みを真に理解できるとも限らない。けれど、彼らを善き方向へ導くことこそが使命だ。毎回、相談者に寄り添い、羽で包んでやるような心持ちで相談に乗ることにしている。
もう誰もいない会衆席に並んで腰掛けて、彼の話を聞くことにした。まだ十二歳ほどの少年は、赤毛をいじりながら話し出した。
「私はどうも、すぐに人を好きになってしまうみたいでして」
なるほど、と私は頷いた。
確かに彼が私にラブレターをくれたのも、聖歌隊に入隊するための手続きを私が教えたことがきっかけだった。それまでも同じように数多の人間に接してきた私を、ただそれだけで好きになったことからも、彼の言葉には真実味がある。
そういえば、私が彼の気持ちを受け止めるに留めた後、愛する悪魔のもとで働く使い魔の少女・ダイアナちゃんも、聖歌隊の男の子に好きだと言われたと話していたっけ。ダイアナちゃんの話から、その「男の子」というのも、今目の前にいる赤毛の少年だということがわかっている。
「最近覚えた俗な言葉では、そういうのを『惚れっぽい』というようですね……。あまり名誉なことではないようで」
使う言葉のいちいちが、年齢にそぐわず大人びた少年だ。そういえばもらったラブレターも、古風で詩的な言い回しだったっけ。
「それで悩んでいるのです。このように、会う人会う人すぐに好きになるというのは、本当に恋をしていると言えるのだろうか、と」
「ほう」
興味深い話題だ。私は少し前のめり、いや右隣に座る少年のめりになった。少年は気にせず続けた。
「どうも、ちょっと優しくしてもらったり、気にかけてもらえたりすると、もうその人のことを好きだと思ってしまうみたいなんです。でも、それは大人がするような、いえ、惚れっぽくない人たちがするような恋とは、違うような気がしてきまして。私の場合、その直前まで好きだった人がいても、すぐに別の人のことも好きになってしまうんです。普通の人たちは、好きな人がいればある程度の期間はその人のことを忘れられずに引きずったり、次に好きになる人に前の人を投影したりするようだと……ドラマや本で知ったのですが」
少年の話を聞きながら、私はこれまでに出会ってきた人間たちのことを思い出した。それはもう、色んな人間がいた。誰のことも好きになれないと悩む人もいたし、身分違いの恋に悩む人もいた。親友の恋人を好きになってしまった人もいたし、上司との不倫に悩む人もいた。最近までは、同性の友人に恋心を抱いて罪悪感に潰された人もいた。時代の移り変わりとともに価値観が多様化した現在でも、人は自分の感情を理解できず、制御できず、伝えることができず、悩み続けている。
そして、天使である私も……。敵である悪魔に心を乱されて、どうすることもできずに思い悩んだ日々があった。主にも相談できない、知られたくない恐ろしい罪を犯してしまったのだと、鬱々とした日々が。思えばあれは、それまでいくら聞いても真に理解できなかった人間たちの恋情を、心の機微を、理解することができた経験だったとも言えるのかもしれない。
「君は色々なドラマを見て、本を読んできたのだね」
「はい。この世の人たちが、どんなことを考えて生きるものなのか、学びたいと思いまして。恋愛ものだけではなく、幅広く摂取するよう心がけています」
人間の考えを知りたい……まるで私と同じだ。
微笑ましさを感じながらも表情には出さないようにして、私は彼の目を見た。澄んだ茶色の目が私を見返す。
「ドラマや本は、人間の経験や想像力の結晶で、得るところも多い。とても素晴らしいものだ。私も大好きだよ。けれどもそれは、人間そのものではないんだ」
少年の眉が少し寄る。真剣そのものだ。
「君は人間だ。ドラマや本じゃない。そうだね?」
「はい……少なくとも、自分ではそうだと思ってます、けど」
この歳にしてメタフィクションにも造詣があるのか、少年は自身なさげに頷いた。私はそんな彼を励ますように言った。
「人間である君の経験は、ドラマや本に勝る価値がある」
ちょうどステンドグラスを通して色づいた光が、少年を照らす。その瞳に反射する。
「さっき君は、ドラマや本で描かれるような『普通の人たち』と自分が違う、と言ったね。でもそれは当たり前なんだ。この世界には『普通の人たち』なんていない。この世界には、それぞれの考えと経験を持ち、苦しんで悩んで自らの選択をして、時に後悔したり失敗したりしながらも、それでもなんとか生きていこうとする人たちしかいないんだ」
難しい話かもしれない、とは思った。けれど、真剣に悩みを相談してくれた相手には、私の考えを、しっかり伝えなくてはいけない。
少年は瞬きすら忘れたように、私をじっと見つめている。
「君は君しかいない。君が生きるということは、ドラマにも本にも描かれない、君だけの生を歩むということに他ならないんだよ。だから……」
「私は、すぐに人を好きになる私として、まずは生きてみる他ない、ということですね」
私は頷いた。賢い少年だ。
「それに……私は思うんだ。人を好きになるというのは、簡単なことではない。その人の美点を知らなければ、見ようとしなければ、誰のことだって好きになんてなれない。でも、すぐに誰かを好きになれるという君は、会う人全ての美点に、すぐ気がつけるということだろう。それは紛れもなく、君の美点だよ」
ずっと張り詰めたようだった少年の表情が、柔らかくなった。照れたように俯いて「ありがとうございます」と言い、勢いよく立ち上がった。
「神父様のお陰で、少し気持ちが軽くなりました! 私は私でしかないし、比べられるような『普通の人たち』なんてのもいない。みんな、自分を生きるしかないんですね」
お辞儀をして、晴れやかな顔で少年は去った。小さな声で聖歌を口ずさみながら。
使ったマッチを捨てようと歩き出した時、聖歌隊の少年に呼び止められた。
聖歌隊の出番はクリスマスイブで、今日は特に仕事はないが、品行方正が求められる彼らは礼拝にも欠かさず出席している。中でも今私を呼び止めた少年はとても熱心で、私もよく知っていた。一年前の夏、私に熱烈なラブレターをくれたのも彼だ。
「実は」と、彼は切り出した。
「恋愛の相談をしたいのです」
教会には様々な相談が寄せられる。生活上の相談や彼のような恋愛相談はもちろん、人生の重大な岐路についての相談も多い。私たちは相談される分野のプロではないが、親身になって話を聞き、その心の負担を少しでも軽くすることはできる。まして人間ではない、天使の私には、人間の悩みを真に理解できるとも限らない。けれど、彼らを善き方向へ導くことこそが使命だ。毎回、相談者に寄り添い、羽で包んでやるような心持ちで相談に乗ることにしている。
もう誰もいない会衆席に並んで腰掛けて、彼の話を聞くことにした。まだ十二歳ほどの少年は、赤毛をいじりながら話し出した。
「私はどうも、すぐに人を好きになってしまうみたいでして」
なるほど、と私は頷いた。
確かに彼が私にラブレターをくれたのも、聖歌隊に入隊するための手続きを私が教えたことがきっかけだった。それまでも同じように数多の人間に接してきた私を、ただそれだけで好きになったことからも、彼の言葉には真実味がある。
そういえば、私が彼の気持ちを受け止めるに留めた後、愛する悪魔のもとで働く使い魔の少女・ダイアナちゃんも、聖歌隊の男の子に好きだと言われたと話していたっけ。ダイアナちゃんの話から、その「男の子」というのも、今目の前にいる赤毛の少年だということがわかっている。
「最近覚えた俗な言葉では、そういうのを『惚れっぽい』というようですね……。あまり名誉なことではないようで」
使う言葉のいちいちが、年齢にそぐわず大人びた少年だ。そういえばもらったラブレターも、古風で詩的な言い回しだったっけ。
「それで悩んでいるのです。このように、会う人会う人すぐに好きになるというのは、本当に恋をしていると言えるのだろうか、と」
「ほう」
興味深い話題だ。私は少し前のめり、いや右隣に座る少年のめりになった。少年は気にせず続けた。
「どうも、ちょっと優しくしてもらったり、気にかけてもらえたりすると、もうその人のことを好きだと思ってしまうみたいなんです。でも、それは大人がするような、いえ、惚れっぽくない人たちがするような恋とは、違うような気がしてきまして。私の場合、その直前まで好きだった人がいても、すぐに別の人のことも好きになってしまうんです。普通の人たちは、好きな人がいればある程度の期間はその人のことを忘れられずに引きずったり、次に好きになる人に前の人を投影したりするようだと……ドラマや本で知ったのですが」
少年の話を聞きながら、私はこれまでに出会ってきた人間たちのことを思い出した。それはもう、色んな人間がいた。誰のことも好きになれないと悩む人もいたし、身分違いの恋に悩む人もいた。親友の恋人を好きになってしまった人もいたし、上司との不倫に悩む人もいた。最近までは、同性の友人に恋心を抱いて罪悪感に潰された人もいた。時代の移り変わりとともに価値観が多様化した現在でも、人は自分の感情を理解できず、制御できず、伝えることができず、悩み続けている。
そして、天使である私も……。敵である悪魔に心を乱されて、どうすることもできずに思い悩んだ日々があった。主にも相談できない、知られたくない恐ろしい罪を犯してしまったのだと、鬱々とした日々が。思えばあれは、それまでいくら聞いても真に理解できなかった人間たちの恋情を、心の機微を、理解することができた経験だったとも言えるのかもしれない。
「君は色々なドラマを見て、本を読んできたのだね」
「はい。この世の人たちが、どんなことを考えて生きるものなのか、学びたいと思いまして。恋愛ものだけではなく、幅広く摂取するよう心がけています」
人間の考えを知りたい……まるで私と同じだ。
微笑ましさを感じながらも表情には出さないようにして、私は彼の目を見た。澄んだ茶色の目が私を見返す。
「ドラマや本は、人間の経験や想像力の結晶で、得るところも多い。とても素晴らしいものだ。私も大好きだよ。けれどもそれは、人間そのものではないんだ」
少年の眉が少し寄る。真剣そのものだ。
「君は人間だ。ドラマや本じゃない。そうだね?」
「はい……少なくとも、自分ではそうだと思ってます、けど」
この歳にしてメタフィクションにも造詣があるのか、少年は自身なさげに頷いた。私はそんな彼を励ますように言った。
「人間である君の経験は、ドラマや本に勝る価値がある」
ちょうどステンドグラスを通して色づいた光が、少年を照らす。その瞳に反射する。
「さっき君は、ドラマや本で描かれるような『普通の人たち』と自分が違う、と言ったね。でもそれは当たり前なんだ。この世界には『普通の人たち』なんていない。この世界には、それぞれの考えと経験を持ち、苦しんで悩んで自らの選択をして、時に後悔したり失敗したりしながらも、それでもなんとか生きていこうとする人たちしかいないんだ」
難しい話かもしれない、とは思った。けれど、真剣に悩みを相談してくれた相手には、私の考えを、しっかり伝えなくてはいけない。
少年は瞬きすら忘れたように、私をじっと見つめている。
「君は君しかいない。君が生きるということは、ドラマにも本にも描かれない、君だけの生を歩むということに他ならないんだよ。だから……」
「私は、すぐに人を好きになる私として、まずは生きてみる他ない、ということですね」
私は頷いた。賢い少年だ。
「それに……私は思うんだ。人を好きになるというのは、簡単なことではない。その人の美点を知らなければ、見ようとしなければ、誰のことだって好きになんてなれない。でも、すぐに誰かを好きになれるという君は、会う人全ての美点に、すぐ気がつけるということだろう。それは紛れもなく、君の美点だよ」
ずっと張り詰めたようだった少年の表情が、柔らかくなった。照れたように俯いて「ありがとうございます」と言い、勢いよく立ち上がった。
「神父様のお陰で、少し気持ちが軽くなりました! 私は私でしかないし、比べられるような『普通の人たち』なんてのもいない。みんな、自分を生きるしかないんですね」
お辞儀をして、晴れやかな顔で少年は去った。小さな声で聖歌を口ずさみながら。