172話 氷上の恋文
その頃、俺はこの国の片田舎で退屈な仕事に従事していた。時間ばかりかかってやることが少なく、暇を持て余す業務だ。あまりに退屈だったので、その冬の俺は空き時間に凍った池に出向いて、勝手気ままに滑ってばかりいた。ちょうど人間たちの間でもスケートが大流行した時期で、その街の人間たちもこぞって滑りに出ていたので、俺は特にひとけのない、氷の不安定な場所を選んで滑ることにしていた。
だが、俺がいつものように使い魔召喚の魔法陣を氷の上に描いている時、その男は現れた。
「ブラボー! やあ、とんでもない才能だな!」
ただの喝采なら無視したが、そいつはあろうことか、俺が今し方描ききった魔法陣に突っ込んできた。
「おい、そこに立つな……」
案の定、出現した使い魔と男は衝突した、いや、干渉し合った。幸運なことに使い魔が実体化していなかったので、男は立派なスーツが一瞬でびちゃびちゃになるくらいで済んだ。
「何だ何だ、何が起こった」
男は不思議そうに仕立てのいいスーツを撫でさすった。せっかく出てきてくれた使い魔は慌てふためいて空中に霧散してしまった。
「お前がそこに立つからだ。とっとと失せろ」
面倒になって指を鳴らそうかと思った時、男は「まあいいや」と言いながら、俺の両手を束ねて握った。
「君の技術を僕にも教えてくれ!」
「あ?」
「まあ、とにかく見ていてくれよ」
あっけに取られた俺の目の前で、男は先ほどの俺と同じように片足で滑り出した。一見すると同じ場所を何度もぐるぐる巡っているような不思議な動きだが……氷上を見ればその目論見がわかる。滑り終えた男の足元には、俺が描いたものよりは遥かに簡単な物ではあるが、人間にしてはレベルの高い、雪の結晶の図があった。
「どうだ、僕もなかなかのものだろう」
男はふふんと鼻を鳴らす。氷の上に図形を描くのはスペシャルフィギュアという種目として人気を博していた。男もそれを習っているのだろう。プロになるつもりなのかもしれない。
「そうだな、人間にしてはなかなかのものだ」
俺は素直に手を叩いた。スペシャルフィギュアは簡単に見えるかもしれないが、かなりの技術が必要とされる。俺のような悪魔は暇つぶしにいくらでも複雑な図形を描くことができるが、人間はそうもいかない。何せコレは、片足で一度も止まることなく一筆書きで完成させなくてはいけないからだ。
「だろう! もっと上手になったら都会に出て、この技術で有名になるんだ。もちろん先生はいるが、今、君のスケーティングを見てビビッときた! 君にも習えば、僕の技術はもっと向上する!」
ふうん、と俺は相槌を打った。まあ、暇つぶしにはもってこいかもしれない。
「別にいいぜ。俺は今、信じられないほど暇なんだ」
そういうわけで、俺は一時的にスケートを教えることになった。教えるとは言っても基本的な技術は持っている相手だ、簡単なコツを教えて、あとは地道に練習を見守るくらいのものだった。
練習の合間に、男はよく喋った。あまり喋ると転んだ時に舌を噛むぞと忠告したが、喋らないと気が済まないのか、絶えることなく喋り続けた。僕はこの街では金持ちとされる家に生まれ、小さい頃からスケートをして育った。みるみる上達し、今の所この街では敵うものはいない。都会に出て有名になって、稼ぐんだ……。
男の欲望は身分相応の平凡なもので、悪魔として魅力に感じる部分は特になかった。だが、ある時男から恋愛相談を受けた時に、出まかせではなくそれなりに使えるアドバイスをしてやろうと思ったのは、男がいい暇つぶしの相手になってくれたからだ。
「お前はお前の得意なことを活かせ。この数ヶ月で、随分上達しただろ」
男は意中の女性のために、数行の詩を作っていた。俺はそれを少しばかり添削し、アドバイスと共に返し、そのままその街を去った。タイミングよく、退屈な仕事が終わったのだった。
だが、俺がいつものように使い魔召喚の魔法陣を氷の上に描いている時、その男は現れた。
「ブラボー! やあ、とんでもない才能だな!」
ただの喝采なら無視したが、そいつはあろうことか、俺が今し方描ききった魔法陣に突っ込んできた。
「おい、そこに立つな……」
案の定、出現した使い魔と男は衝突した、いや、干渉し合った。幸運なことに使い魔が実体化していなかったので、男は立派なスーツが一瞬でびちゃびちゃになるくらいで済んだ。
「何だ何だ、何が起こった」
男は不思議そうに仕立てのいいスーツを撫でさすった。せっかく出てきてくれた使い魔は慌てふためいて空中に霧散してしまった。
「お前がそこに立つからだ。とっとと失せろ」
面倒になって指を鳴らそうかと思った時、男は「まあいいや」と言いながら、俺の両手を束ねて握った。
「君の技術を僕にも教えてくれ!」
「あ?」
「まあ、とにかく見ていてくれよ」
あっけに取られた俺の目の前で、男は先ほどの俺と同じように片足で滑り出した。一見すると同じ場所を何度もぐるぐる巡っているような不思議な動きだが……氷上を見ればその目論見がわかる。滑り終えた男の足元には、俺が描いたものよりは遥かに簡単な物ではあるが、人間にしてはレベルの高い、雪の結晶の図があった。
「どうだ、僕もなかなかのものだろう」
男はふふんと鼻を鳴らす。氷の上に図形を描くのはスペシャルフィギュアという種目として人気を博していた。男もそれを習っているのだろう。プロになるつもりなのかもしれない。
「そうだな、人間にしてはなかなかのものだ」
俺は素直に手を叩いた。スペシャルフィギュアは簡単に見えるかもしれないが、かなりの技術が必要とされる。俺のような悪魔は暇つぶしにいくらでも複雑な図形を描くことができるが、人間はそうもいかない。何せコレは、片足で一度も止まることなく一筆書きで完成させなくてはいけないからだ。
「だろう! もっと上手になったら都会に出て、この技術で有名になるんだ。もちろん先生はいるが、今、君のスケーティングを見てビビッときた! 君にも習えば、僕の技術はもっと向上する!」
ふうん、と俺は相槌を打った。まあ、暇つぶしにはもってこいかもしれない。
「別にいいぜ。俺は今、信じられないほど暇なんだ」
そういうわけで、俺は一時的にスケートを教えることになった。教えるとは言っても基本的な技術は持っている相手だ、簡単なコツを教えて、あとは地道に練習を見守るくらいのものだった。
練習の合間に、男はよく喋った。あまり喋ると転んだ時に舌を噛むぞと忠告したが、喋らないと気が済まないのか、絶えることなく喋り続けた。僕はこの街では金持ちとされる家に生まれ、小さい頃からスケートをして育った。みるみる上達し、今の所この街では敵うものはいない。都会に出て有名になって、稼ぐんだ……。
男の欲望は身分相応の平凡なもので、悪魔として魅力に感じる部分は特になかった。だが、ある時男から恋愛相談を受けた時に、出まかせではなくそれなりに使えるアドバイスをしてやろうと思ったのは、男がいい暇つぶしの相手になってくれたからだ。
「お前はお前の得意なことを活かせ。この数ヶ月で、随分上達しただろ」
男は意中の女性のために、数行の詩を作っていた。俺はそれを少しばかり添削し、アドバイスと共に返し、そのままその街を去った。タイミングよく、退屈な仕事が終わったのだった。