170話 happy rubber duck
ラバー・ダックは黄色いゴム製のアヒルで、主に子供のお風呂のお供として活躍している。俺の家には元々なかったし、これから先も存在しないはずだったのだが、ひょんなことから使い魔として転がり込んできた元人間の少女ダイアナが時々買ってくるせいで、気がついたらネットいっぱいに溜まっていた。黄色いのだけじゃなくて赤や青、緑や虹色なんてのもあり、よく見たら王冠をかぶっていてどう考えてもバランスの悪い物もある。
「ダイアナ。このアヒル、必要以上にあるだろ。三十個のアヒルなんて本当に風呂に浮かべて使ってるのか」
俺の指摘に、ダイアナは笑顔で頷いた。
「ええ。全ていっぺんに浮かべる時もあるけれど、大体は日替わりで五羽ずつ一緒に入ってるの」
「そ、そうか……」
必要ないものは処分しろ、と続けたかったのだが、使っていると言われてしまっては仕方がない。俺の家はどこも黒一色に統一しており浴室も例外ではないのだが、ダイアナが使う時だけ、非常にカラフルなことになっているらしい。
「まあ、使った後ちゃんと乾燥させて整頓しているから、今のところはよしとするが……流石にこれ以上増やすんじゃないぞ。小遣いを無駄にしすぎだ」
ダイアナは、ええ〜と悲嘆の声を上げた。
「誰にも迷惑かけてないもの、いいじゃない」
「いや、お前はもう少し金銭管理能力を身につける必要がある」
「ちゃんとやりくりしてるのに。今月だって、お小遣いの半分はちゃんと残してあるわ」
「おい、今月はまだ始まって三日なんだが」
ため息が出る。
悪魔である俺は基本的には飲食不要だし、何をするにしても魔法で店員やネットシステムの認識を誤魔化して仕舞えばいいから、金銭なんてものとは無縁だ。だが、元人間であり、人間の友達と一緒に人間として振る舞うことにしているダイアナは別だ。元がお嬢様だから庶民的な感覚とは縁遠いとしても、保護者からもらった小遣いを上手にやりくりして過ごすくらいはして欲しい。
色々抜けているが善良で正義感に溢れたダイアナには、真っ当な人間を演じて生活できるようになって欲しいのだが、……。
「ん? こいつは」
ネットの中のアヒルを見つめながら説得の方便を考えていた俺は、一匹、妙なアヒルの存在に気がついた。他のアヒルは色彩に溢れ、白い物でもきっちり塗料が塗られていることがよくわかる作りだが……その一匹だけは目やクチバシの色まで白っぽく薄れており、元々は別の色だったものが退色したことが見て取れる。
「ダイアナ、このアヒルは何だ?」
俺がネットからそれを取り出すと、ダイアナは少しの間考えた様子だったが、「ああ!」と手を叩いた。
「今年の夏、お兄様と天使様と一緒に行った海辺で拾ったの! なんだか可哀想で。ちゃんと洗ってはあげたのだけれど、流石に一緒にお風呂には入ってないわ」
「海で……」
俺は自分の脳内からラバー・ダックに関する情報を引っ張り出した。確か、ラバー・ダックは変わった事故に遭遇したことがあったはずだ。
手繰り寄せた情報と目の前のアヒルを照合して、俺は一つの確信を得た。
「こいつはフレンドリー・フローティーズ流出事故の被害者……いや、生還者と言うべきかもな」
「え?」
フレンドリー・フローティーズ流出事故は、一九九二年に起きた。コンテナ船から、三万個近いフローティーズ、つまりは浮かぶおもちゃたちが太平洋に流出したのだ。それらは海流に乗り、何万キロも漂流し、ハワイやアラスカやアメリカ、そしてこの国の沿岸にまで流れ着いたという。海洋学者が海流の研究に役立てて有名になった。
そして、今では……。
「フローティーズはコレクターたちの収集対象となり、超高値で取引されているんだ」
俺の説明を興味深そうに聞いていたダイアナは「大変な冒険をしてきたのね!」と、白く色褪せたアヒルを撫でた。
「つまりだ、ダイアナ。こいつを売ればその売上金はそのままお前の小遣いになる。かなりの大金をゲットできるぜ」
ダイアナは、俺の言葉にきょとんとした。青い瞳にクエスチョンマークが浮かんでいる。
「いや、だからな。これまでの話の流れを考えてみろ。俺は自分の所持金をうまくやりくりするようにという話をしていたんだから、お前が自分で大金を手に入れたなら、それをどう使おうが文句は言わない。そいつを売った金でまた新しいアヒルを買ったって怒らないぜ」
「売らないわよ」
即答したダイアナは、相変わらず不思議そうに俺を見る。
「だってコレクターの人たちって、普通の人間でしょう。私のようにずっと生きていられないでしょう。コレクターの人が死んでしまったら、誰がこの子を保管して大切にしてあげられるの?」
使い魔の少女は、手のひらの中のアヒルを撫で、ネットに戻した。それは他のアヒルたちと楽しげに、ネットの中で揺れる。
「なるほどな。お前の考えはわかった。オーケイ、別に絶対売れなんて言うつもりもないからな。……お前は天使サマみたいだな、本当に」
「え?」
ダイアナは自分の金色のツインテールに触れた。
「いや、外見じゃなくてな。あー、外見も似てるが。そうじゃなくて……」
天使の家の寝室を思い出す。奇跡で圧縮してどうにか保管できていた、無数の思い出の品々。捨てられずに溜まっていく一方の、宝物たち。
「一度、天使サマの寝室を見せてもらうといい。これからのお前の生き方の、参考になるだろうよ」
「天使様の……?」
首を傾げるダイアナに、微笑みが漏れた。
「ダイアナ。このアヒル、必要以上にあるだろ。三十個のアヒルなんて本当に風呂に浮かべて使ってるのか」
俺の指摘に、ダイアナは笑顔で頷いた。
「ええ。全ていっぺんに浮かべる時もあるけれど、大体は日替わりで五羽ずつ一緒に入ってるの」
「そ、そうか……」
必要ないものは処分しろ、と続けたかったのだが、使っていると言われてしまっては仕方がない。俺の家はどこも黒一色に統一しており浴室も例外ではないのだが、ダイアナが使う時だけ、非常にカラフルなことになっているらしい。
「まあ、使った後ちゃんと乾燥させて整頓しているから、今のところはよしとするが……流石にこれ以上増やすんじゃないぞ。小遣いを無駄にしすぎだ」
ダイアナは、ええ〜と悲嘆の声を上げた。
「誰にも迷惑かけてないもの、いいじゃない」
「いや、お前はもう少し金銭管理能力を身につける必要がある」
「ちゃんとやりくりしてるのに。今月だって、お小遣いの半分はちゃんと残してあるわ」
「おい、今月はまだ始まって三日なんだが」
ため息が出る。
悪魔である俺は基本的には飲食不要だし、何をするにしても魔法で店員やネットシステムの認識を誤魔化して仕舞えばいいから、金銭なんてものとは無縁だ。だが、元人間であり、人間の友達と一緒に人間として振る舞うことにしているダイアナは別だ。元がお嬢様だから庶民的な感覚とは縁遠いとしても、保護者からもらった小遣いを上手にやりくりして過ごすくらいはして欲しい。
色々抜けているが善良で正義感に溢れたダイアナには、真っ当な人間を演じて生活できるようになって欲しいのだが、……。
「ん? こいつは」
ネットの中のアヒルを見つめながら説得の方便を考えていた俺は、一匹、妙なアヒルの存在に気がついた。他のアヒルは色彩に溢れ、白い物でもきっちり塗料が塗られていることがよくわかる作りだが……その一匹だけは目やクチバシの色まで白っぽく薄れており、元々は別の色だったものが退色したことが見て取れる。
「ダイアナ、このアヒルは何だ?」
俺がネットからそれを取り出すと、ダイアナは少しの間考えた様子だったが、「ああ!」と手を叩いた。
「今年の夏、お兄様と天使様と一緒に行った海辺で拾ったの! なんだか可哀想で。ちゃんと洗ってはあげたのだけれど、流石に一緒にお風呂には入ってないわ」
「海で……」
俺は自分の脳内からラバー・ダックに関する情報を引っ張り出した。確か、ラバー・ダックは変わった事故に遭遇したことがあったはずだ。
手繰り寄せた情報と目の前のアヒルを照合して、俺は一つの確信を得た。
「こいつはフレンドリー・フローティーズ流出事故の被害者……いや、生還者と言うべきかもな」
「え?」
フレンドリー・フローティーズ流出事故は、一九九二年に起きた。コンテナ船から、三万個近いフローティーズ、つまりは浮かぶおもちゃたちが太平洋に流出したのだ。それらは海流に乗り、何万キロも漂流し、ハワイやアラスカやアメリカ、そしてこの国の沿岸にまで流れ着いたという。海洋学者が海流の研究に役立てて有名になった。
そして、今では……。
「フローティーズはコレクターたちの収集対象となり、超高値で取引されているんだ」
俺の説明を興味深そうに聞いていたダイアナは「大変な冒険をしてきたのね!」と、白く色褪せたアヒルを撫でた。
「つまりだ、ダイアナ。こいつを売ればその売上金はそのままお前の小遣いになる。かなりの大金をゲットできるぜ」
ダイアナは、俺の言葉にきょとんとした。青い瞳にクエスチョンマークが浮かんでいる。
「いや、だからな。これまでの話の流れを考えてみろ。俺は自分の所持金をうまくやりくりするようにという話をしていたんだから、お前が自分で大金を手に入れたなら、それをどう使おうが文句は言わない。そいつを売った金でまた新しいアヒルを買ったって怒らないぜ」
「売らないわよ」
即答したダイアナは、相変わらず不思議そうに俺を見る。
「だってコレクターの人たちって、普通の人間でしょう。私のようにずっと生きていられないでしょう。コレクターの人が死んでしまったら、誰がこの子を保管して大切にしてあげられるの?」
使い魔の少女は、手のひらの中のアヒルを撫で、ネットに戻した。それは他のアヒルたちと楽しげに、ネットの中で揺れる。
「なるほどな。お前の考えはわかった。オーケイ、別に絶対売れなんて言うつもりもないからな。……お前は天使サマみたいだな、本当に」
「え?」
ダイアナは自分の金色のツインテールに触れた。
「いや、外見じゃなくてな。あー、外見も似てるが。そうじゃなくて……」
天使の家の寝室を思い出す。奇跡で圧縮してどうにか保管できていた、無数の思い出の品々。捨てられずに溜まっていく一方の、宝物たち。
「一度、天使サマの寝室を見せてもらうといい。これからのお前の生き方の、参考になるだろうよ」
「天使様の……?」
首を傾げるダイアナに、微笑みが漏れた。