169話 doll's emergency

 この季節でもクリスマスの雰囲気を全く出さないために緊急避難所としている近くの喫茶店で、俺はカミラが持参の血液パックを啜るのを眺めていた。吸血鬼らしく異様に整った顔立ちが、ウェーブがかったダークブラウンの長髪に包まれている。白いダッフルコートの裾から覗くワンピースは学校の制服だが……まだ放課後には少し早い。
「落ち着いたか」
 カミラは口元を拭い、頷いた。
「はい……。お見苦しいところをお見せしてしまいました、すみません」
「いや、君はダイアナの友人だし……珍しい種族だからな。それで、何があった?」
「実は」
 カミラは長いまつ毛を伏せた。
「ちょっと寝過ごしてしまって……」
「は?」
 予想外にどうしようもない言葉が飛び出して、俺は反応に窮した。いや、吸血鬼なんて珍しい種族のことだ、寝過ごす、という言葉を何か、普通とは違う意味合いで使っているのかもしれない……。
「十月に学校で行われた文化祭で、ちょっとはしゃぎすぎてしまって。疲れたのか、棺桶の中でいつもよりよく眠ってしまって……目が覚めたので登校しようと思ったら、外はいつの間にかクリスマスムードで、気分が悪くなってしまって」
 どうやら「寝過ごす」を普通の意味で使っているようだった。まあ、その規模が普通ではないが。
 だが、思ったほど重い事情ではなかったようだ。俺は少しほっとして、自分のコーヒーに口をつけた。吸血鬼も魔物の一種だ、クリスマスの気に当てられるのはよくわかる。だが、二ヶ月も寝過ごして……学校の方は大丈夫なのだろうか。
「なあ、カミラ嬢。そんなに無断欠席して、大丈夫なのか」
 カミラはあっけらかんと笑う。
「そこは大丈夫です、ダイアナのお兄様。家族が魔法で誤魔化してくれているはずです」
「そうか、それならいいんだが」
 そういえばカミラの家族は長い休眠期に入っているはずだが……まあ、カミラみたいに眠るのを嫌がった家族もいるのかもしれないな。
 カミラはうーんと伸びをして、腕時計を見た。
「あらっ、もう放課後。仕方ないわ、明日から学校に行くことにします」
「そうするといい。二ヶ月も休んでたんだから、今更一日や二日、どうってことないさ。そうだな……、クリスマスの期間はダイアナと一緒に登下校するといい。あいつには聖気避けを持たせる。弱い使い魔がクリスマス期間にお使いをする時使うものだ」
 ダイアナに持たせておけば、カミラ以外の吸血鬼に悪用されることもあるまい。
 カミラは嬉しそうに笑い、頭を下げた。
「ありがとうございます、ぜひお願いします」
 そこへ、明るい声が割り込んできた。
「あら、やっぱり! お兄様にカミラじゃない」
 喫茶店の入り口に、ダイアナが立っていた。後ろから顔を覗かせたのはマツリカだ。
「ゴブサタシテマス」
 カミラが突然日本語で言い、マツリカがぷっと吹き出した。
「どこで覚えたの、そんな日本語」
 女子三人は二ヶ月のブランクなど感じさせないフランクなやり取りで、おおよその事情を把握したらしい。唯一ただの人間であるマツリカも、カミラに何かしらの事情があるのだろうと察したようだ。俺が眺めている数分の間に話がまとまり、カミラとダイアナはクリスマス期間、一緒に登下校することで話がまとまった。
 ついでに、もう一つ別の提案が出たようだ。ダイアナが言う。
「そうだ、お兄様! これからマツリカを連れて帰ろうと思っていたのだけど、カミラも一緒に行ってもいい?」
「リビングから出ないなら好きにしろ」
「やーった! マツリカがね、日本のお祖母様からみかんをたくさん送られたんですって。こたつでみかんが最高なんだって教えてくれて。それで、去年から私たちのお家にはこたつがあるでしょう。みんなで入って、みかんを食べたいなって!」
「好きにしろ」
 女子三人はハイタッチを交わす。
 使い魔の少女と人間の少女と吸血鬼の少女とがこたつでワイワイ話しているのを想像するのは、悪い気分ではなかった。
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