165話 ノスタルジア

 夏休みの終わりは、学生にとって夏の終わりそのものだ。私とカミラは、マツリカの手助けのおかげでどうにか宿題を終わらせることができた。明日からまた学校で会いましょう、と別れて、一人で帰り道を歩く。なんとなく少しだけ寄り道したくなって、気が向いた方角に足を向けた。
 見覚えのある道だ、と気がついたのは、広々とした庭が見えて来てからだった。塀や柵の向こうに木々が茂って、その奥に、記憶の中にあるものと変わらないお屋敷が見える。
 お兄様に命を救われたあの日までの短い間、住んでいた家だ。
 あの事件の後、色々あって一時期はここに近寄ることも禁じられていた。今は特に禁じられてはいないのだけれど、見たら辛くなると思ったから、今日まで近寄れずにいた……。
「どうして私……」
 辛くなるのはわかっているのに。
 それでも、足は止まらなかった。お屋敷を正面から見ることのできる正門前まで行き、悪いなとは思いながら、敷地内に目をやった。よく手入れされた前庭の花々越しに、今の住民の影が見える。オレンジ色の灯り、何人かの人影。大きい影が一つ、忙しそうに立ち働いていて、小さい影が二つ、元気に走り回っている。犬も飼っているようだ。
 暖かな団欒。幸せな家族の光景。
 私はすぐにそこから目を逸らし、まだ明るい前庭を眺めた。薔薇のアーチの周りにラベンダーやアガパンサス、咲き始めたジャパニーズ・アネモネなどたくさんの花々が揺れている。小さい子供用の、木でできたブランコのそばに、同じく木製のテーブルと椅子が置いてある。
 そうか、私はこれを見たかったんだ。
『これからたくさんの花を植えよう』
 パパママと私がここに引っ越して来たのはちょうど今時期、夏の終わり頃で、しばらく人が住んでいなかったらしいこのお屋敷やお庭は、あまり手入れがされていなかった。だからパパが、そう言ったのだ。
『私も植えたいお花がたくさんあるわ。まずはイングリッシュラベンダーでしょう……』
 ママが指折り花の種類を挙げ始め、私も一緒になってワクワクして来たことを覚えている。
『私も花を育てたい!』
『もちろん、ダイアナのスペースも用意しよう。前のお家みたいにプールはないけれど、代わりにこの庭を三人で作っていこう』
『楽しみね』『うん!』
 今、私たちの次に住むことになったらしい別のご家族が、私たちの夢を実現してくれている。
 風が、花々の香りを運んできた。その香りを胸いっぱいに吸い込んで、私は再び歩き出す。
 私が帰る場所は今、お兄様のお家だ。
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