14話 Fly me to the moon.

 暖かな光を夢見ている。
 陽だまりのような心地よい温もりと、月の光のような静かな明るさを放つ、その光に触れたくて、俺は手を伸ばす。もう、何度繰り返したか知れない。その光に触れそうになる度に、たまらなくなって、手を下ろしてしまう。汚れた、醜いこの手が、あんなに美しい光に届いて良い筈がない。
 俺は何だ
 分からない。
 ここには何もない。暗闇があって、頭上に、暖かな光があって、ただそれだけだ。俺という何者かは、ひどく醜くちっぽけで、どうしようもなく、光に憧れている。憧れ、ただそれだけが、俺の意識を保たせている。
 もう随分長いこと、ここでこうして蹲っているが、きっとこの暗闇に終わりは来ない。理由も何もかも忘れてしまったが、それは分かっている。これは罰だ。俺が犯した罪への、終わることのない罰だ。決して触れ得ない光に憧れたことへの。
 ああ、暖かな光だ。羽虫が光に焦がれるように、下ろした手を、また伸ばしてしまう。決して届かない、また届いてはいけない光に、腕を伸ばしてしまう。気が狂いそうになる程に何回も繰り返し、そして何回も断念する。指先を、あとほんの僅か伸ばしさえすれば届くであろう距離まで近づけ、そして、諦める。繰り返される渇望と絶望に、俺という意識は少しずつ擦り減っていく。だが、これが罰だ。受け入れるしかない。
 もう何万回と繰り返した動作の合間に、意識の混濁が起こる。暗闇と同化するような、それは安息に似ている。憧れと安息の間で俺は絶えず揺らぎ、やがてまた、光に向かって手を伸ばすのだ。
 また、僅かな安息が終わった。再び、もうあるかも分からない魂の、その奥から湧いてくるような強い衝動に任せて、手を伸ばす。光はいつものように明るく、暖かく。
 そして、聞き覚えのある声が聞こえた。
 もう、聞くことが出来ないと思っていた声。澄んだ、全ての悪意を溶かしさってしまうような、……愛しい声。それが、光の中から聞こえてきた。言葉は分からない。けれど、それが俺を呼んでいるのだということは分かる。
 下ろしかけていた手を、伸ばした。いつも諦めていた、その最後の距離を縮めて、……俺はついに、光に触れた。
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