158話 favorite color

「お兄様の爪って黒いわよね」
 朝、いつものように私の髪の毛を整えてくれていたお兄様の手を見ていたら、いつも気になっていたことが口に上った。お兄様は机に置いていたヘアピンを取りながら「んー」と曖昧な相槌を打った。ひょっとすると、口にもピンを咥えていて、すぐに喋れないのかもしれない。私は目玉焼きの載ったトーストを頬張り、オレンジジュースと一緒に飲み下して、再び尋ねる。
「マニキュアを塗っているの?」
 いつもビシッと決めているお兄様のことだ、あり得ないことではない。黒髪黒目で、大好きな黒色の服しか着ないお兄様だから、お洒落でそうしているのかもしれない。
 でも、お兄様は笑み混じりで否定した。
「いいや。こいつは自前さ」
「そうなの」
「生まれつきの悪魔は、みんなそうさ。もっとも、俺以外の奴らは人間の中に混じった時に変だからって、普通の色に偽装してるがな」
 そういえば確かに、あの怖い眼鏡の悪魔も、雷や風のお姉様も、みんな爪は普通の色をしていた。雷のお姉様は黄色いマニキュアを塗っていた記憶がある。
「お兄様は偽装しないの?」
 なんとなく答えは予想できたけれど、敢えて聞いてみる。
「俺はこの色が気に入ってる。変える必要なんざないね」
「だと思った」
 お兄様の手が止まり、空中に手鏡が出現した。お兄様のヘアアレンジが終わったみたい。鏡の中の私は、いつものツインテールではなく、後頭部で作ったお団子に三つ編みを巻き付けたような髪型だ。なんとなく上品な雰囲気がある。
「まあ、可愛い! ありがとう、お兄様」
「どういたしまして、お嬢様」
 お兄様が冗談めかしてお辞儀をして、指を鳴らす。手鏡やその他の道具がパッと消えてしまった。いつもはそのままキッチンに行ってしまうお兄様が、まだ私の頭に視線を注いでいる気配がして、ちょっと振り向いた。
「どうかしたの?」
「ダイアナも、そろそろマニキュアなんかに興味が出てくる頃か?」
「なんだ、そんなこと」
 なんだかパパみたいなセリフがお兄様の口から出てきたことが面白くて、私はつい笑ってしまう。
「今のところは、特にないわ。私も、私の爪の色が気に入ってるの」
「そうか」
 お兄様の、切長の目がちょっと柔らかくなった。
「健康的な桜色だな」
「ええ。お兄様のお陰で、健康には自信があるわ」
 そもそも使い魔に病気なんて概念は、恐らくないのだけれど。
 お兄様は楽しそうに笑い、キッチンへ歩き出した。軽くこちらに振られた手に、黒い爪が光っていた。
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