157話 名探偵によろしく

 家の周りに不審者がいた。
 お兄様のお家は、普通に購入したらいくらするのか私には予想もつかないくらいの高層マンションで、エントランスが黒い大理石というところからしてお兄様好みの物件だ。下校して、そのエントランスに続く玄関を開錠しようとした時に、怪しい人影に気がついた。玄関付近の生垣に、男がしゃがみ込んでいるのを感じる。
 使い魔である私は、お兄様のように立派な悪魔ではないけれど、なんとなく勘はいいのだ。最近、学校で注意喚起された不審人物かもしれない。私が開錠したら、それに便乗してこのマンションに不法侵入するつもりなのだ。
 そうはいかないわ。
 後ろに注意を払いながら、素知らぬ顔で開錠する。エントランスに入ってすぐ、閉まるドアの横に待機して……
 思った通りそそくさと入ってきた男の人に、魔法をかけた。金縛りの魔法だ。まだ若そうな男の人は困惑した様子で、そこだけ動かせるようにした頭を私に向けた。
「これはどういう……? お嬢ちゃんの仕業かい?」
「私はこのマンションの住人よ。でもお兄さんは違うみたいね。鍵を持ってないのに私と一緒に入って来たでしょう。警察を呼ぶわ」
「ちょっと待ってくれ!」
 男の人は悲痛な声をあげた。一体どんな言い訳をするのだろう、とちょっと気になって、取り出していたスマートフォンを一旦下げた。
「ぼくは決して犯罪者ではないんだ! むしろ犯罪者を追っている……」
「警察の人?」
「探偵だ!」
「なんだ」
 警察の人と言っていれば、金縛りを解いてあげたのに。
 とは言え、探偵だって気になる職業だ。警察を呼ぶ前に、ちょっとだけ事情を聞いてあげてもいいかもしれない。
「探偵さんは、ここの住人に用事なの? アポイントメントも取らずに?」
「それは……ここに、犯罪者の親玉が住んでいるという情報があって……」
 その言葉で、すぐにピンと来た。
 お兄様のことだ。
 お兄様は悪魔だから、当然、色々とよくない人たちと関わりがある、らしい。お兄様は私に配慮して、仕事の話を一切しないけれど……様子を見ていればわかる。もちろん、素の姿……黒髪黒目で長身イケメンの姿……ではなく、その場に相応しい姿に変身して仕事をしているみたいだけど、仕事の一つ一つから念入りに辿ったなら、もしかするとここに辿り着ける人も、いるのかもしれない。だとするとこの男の人は、かなり凄腕の探偵さんだということになる。
 私は改めて、自称探偵の男の人を見つめた。言われてみれば、ブラウンの地に黒いチェック柄のジャケットとスラックス、鹿撃ち帽というスタイルは、かなり探偵っぽい。顔立ちは……薄い印象だ。薄茶色の瞳に、短い茶髪。どこにでもいそうで、どこにでもすっと溶け込むことができそうな、探偵には向いていそうな顔だ。
「ここにはそんな、危ない人は住んでないわよ」
 我ながら驚くほどしれっと、嘘が口から飛び出した。けれど自称探偵の男の人は、私の言葉なんて微塵も信じていない様子だ。
「いや、ここにいるんだ。君は知らないだけだ。数々の事件の痕跡が、ここを指し示しているんだ……」
 困ったわね、と、探偵さんの話を聞きながら考える。このまま警察を呼んでこの人を引き渡したとしても、この調子なら懲りずにまたここへやって来るだろう。と言って、彼の記憶を消したとしても、これだけ頭の切れる人なら、またどうにかしてここまでやって来る可能性が高い。
 そして一番困るのは、この人をお兄様のもとに辿り着かせてしまったら、きっと、この人自身が酷い目に遭うだろう、ということだ。
「だからこの、よくわからないけれど動けないのを解いて……」
「よし、決めたわ」
 私は探偵さんに、頷いて見せた。困惑げな彼に向かって、ポンポン、と手を叩く。金縛りを解いて、直近数日間分の記憶を消して、元いた生垣の中へ、返してあげた。
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