153話 続・小さな魔物

 網戸、というものの存在を、今日は初めて知った。今日遊びに行った、マツリカのお家で教わったのだ。
 マツリカは、数年前こちらに来るまでは日本に住んでいた。もちろん、ご家族もそう。もうこちらでの暮らしには慣れたみたいで、言葉で困ることもほとんどないみたいだけれど、文化の違いには時々戸惑うことがあるみたい。そういう時にはよく「日本ではこうなのよ」と面白そうに教えてくれるのだけど、網戸もそのひとつだった。
「マツリカ。実は前から気になっていたのだけど……この網は何?」
 マツリカのお家は、基本的にはこの国の郊外によくあるタイプの一軒家だ。漆喰の外壁が可愛くて、花やハーブが植えられた前庭には、時々ウサギも顔を出す。二階建てで、一階には使いやすそうなシンプルなキッチンとリビングなどがあり、マツリカの部屋は二階の廊下の突き当たりにある。私はいつもマツリカの部屋で、クッキーをつまみながらおしゃべりをするのだ。今日はその部屋に行く途中の窓が全て開いていたので、前にも一度ちらりと見て気になっていた、その網が目に入ったのだった。
「ああ、これ。これは網戸というのよ」
 マツリカは廊下の小窓を指差した。ハート型の窓には、磨りガラスの下に網戸が嵌っている。
「この国には網戸というものがないのよね。私たちはここに来てからそれを知って、慌てて注文したのよ」
 確かに、網戸なんて初めて聞いた。
「でも、何のために付けるの?」
「虫が入ってこないようにするためよ。この国は日本よりも緯度が高くて蚊はいないようだけれど、普通に蜂が入ってくるものだから」
 確かに、私は蚊をほとんど見かけたことがない。以前、お兄様のもとを訪れた使い魔の蚊さんが珍しく感じたことを思い出す。
「なるほどね。蜂が入ってきたらもう仕方ないものだと思っていたけれど、これはいいわね」
「でしょう。どうしてみんなつけないのか、不思議なのよね」
 マツリカは首を傾げた。

「お兄様。うちにも網戸をつけたらどうかしら」
 家に帰ってからそう提案すると、お兄様は「要らん」と言下に否定した。
「あら、どうして? 虫が入ってこないのはいいことじゃないの」
「ここは高層マンションの上層階だから、そもそもほとんど虫は来ないんだよ。それにな」
 お兄様はすいっと手を上げて私に見せた。その白くて長い指に、一匹の蚊が留まっているのがわかった。
「こいつらが入って来られなくなるのは困るからな」
「どうも、蛇の目の旦那の使い魔のお嬢様。お久しぶりですね」
 蚊が私を見上げて、小さな声で挨拶をした。私はちょっと会釈して、慌てて部屋を出た。
 やっぱり血を吸う生き物って、仲良くなれる気がしないわね。
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