150話 my favorite things.
年がら年中、雨の多いこの国では、にわか雨は珍しいことではない。もともと快晴ということが少なくて、暑くても空は曇っているので、そこに冷たい風が吹いてきたなと思うともう、無数の水滴が降り注いでくるのだ。今日も、家路を急いでいる時に、さあっと冷たい風が吹いた。
「降り出しそうね……」
呟きながら折り畳み傘を取り出そうとしていると、さっき吹き抜けた冷たい風が、舞い戻ってきた。そんなことってあるかしら。
驚いて顔を上げると、そこには中性的な女の人が立っていた。真っ白い、耳のあたりまでのボブヘアーがさらさらと揺れ、直線的に切り揃えられた前髪の下から、特徴的な目が私をじっと見つめている。
黒目の中に、白く渦を巻く風。
「風のお姉様」
「奇遇だな。蛇の悪魔の使い魔の少女」
風のお姉様は私の顔を、と言うより、私の頭の辺りを見ているみたいだった。身長が高いのもあるけれど、風の渦巻く瞳はどこにピントを合わせているのかよくわからない。
「風のお姉様は、これからお仕事?」
「そうだ。これから、ここら一帯の気温を下げて雨を降らす」
「やっぱり雨なのね。傘を持って来てよかったわ」
取り出した折り畳み傘を開こうとすると、風のお姉様がちょっと首を右に傾けた。
「その傘では少し濡れる」
「あら。そうなの? でも仕方ないわ、これしか持ってないの」
風のお姉様は傾けた首をそのままに、数秒、黙り込んだ。そして突然右手を挙げて、人差し指で空気をかき混ぜるような動作をした。その指先が、微かに揺らいで見える。目を凝らすと、小さなつむじ風が巻き起こっているのが分かった。
「まあ」
驚いている私には構わず、風のお姉様がその指で私の折り畳み傘に触れた。ミニつむじ風は消えてしまった。
「あらあら」
「雨避けのまじないだ。見ていろ」
ぽつぽつと降り出した雨粒が、私の顔に当たりだした。けれど、私の手の中にある折り畳み傘の上に降って来た雨粒は、何かに弾かれたように、進路を変えてしまった。
「すごい」
「空気の流れが傘を覆っているんだ。蛇の悪魔の元に帰るまでの間くらいは保つだろう」
傘を差してみると、いつも聞こえる雨粒の音が何も聞こえない。私の周りだけ、雨が避けているのがわかる。
「ありがとう、風のお姉様! でも、なぜこんなに良くしてくれるの?」
私と風のお姉様は先日顔を合わせただけで、特に何かやりとりを交わした訳ではない。風のお姉様と仲の良い、雷のお姉様とはよくお話するけれど……。
風のお姉様は、ようやく、右肩についていた首を元に戻した。そして、少しだけ口角を上げた。冷静な印象のお顔が、途端に柔らかくなる。
「お前は雷の悪魔のお気に入りだろう。それに、蛇の悪魔に預けたフーリンも、お前のことが好きみたいだからな。私が好きな者たちが好きな者は、私も好きだ」
風のお姉様はそれだけ言って、気がついたらもういなくなっていた。吹いて行った風の名残が、爽やかに香った。
風のお姉様の言った通り、家に帰るまで、傘も私も濡れずに済んだ。
「降り出しそうね……」
呟きながら折り畳み傘を取り出そうとしていると、さっき吹き抜けた冷たい風が、舞い戻ってきた。そんなことってあるかしら。
驚いて顔を上げると、そこには中性的な女の人が立っていた。真っ白い、耳のあたりまでのボブヘアーがさらさらと揺れ、直線的に切り揃えられた前髪の下から、特徴的な目が私をじっと見つめている。
黒目の中に、白く渦を巻く風。
「風のお姉様」
「奇遇だな。蛇の悪魔の使い魔の少女」
風のお姉様は私の顔を、と言うより、私の頭の辺りを見ているみたいだった。身長が高いのもあるけれど、風の渦巻く瞳はどこにピントを合わせているのかよくわからない。
「風のお姉様は、これからお仕事?」
「そうだ。これから、ここら一帯の気温を下げて雨を降らす」
「やっぱり雨なのね。傘を持って来てよかったわ」
取り出した折り畳み傘を開こうとすると、風のお姉様がちょっと首を右に傾けた。
「その傘では少し濡れる」
「あら。そうなの? でも仕方ないわ、これしか持ってないの」
風のお姉様は傾けた首をそのままに、数秒、黙り込んだ。そして突然右手を挙げて、人差し指で空気をかき混ぜるような動作をした。その指先が、微かに揺らいで見える。目を凝らすと、小さなつむじ風が巻き起こっているのが分かった。
「まあ」
驚いている私には構わず、風のお姉様がその指で私の折り畳み傘に触れた。ミニつむじ風は消えてしまった。
「あらあら」
「雨避けのまじないだ。見ていろ」
ぽつぽつと降り出した雨粒が、私の顔に当たりだした。けれど、私の手の中にある折り畳み傘の上に降って来た雨粒は、何かに弾かれたように、進路を変えてしまった。
「すごい」
「空気の流れが傘を覆っているんだ。蛇の悪魔の元に帰るまでの間くらいは保つだろう」
傘を差してみると、いつも聞こえる雨粒の音が何も聞こえない。私の周りだけ、雨が避けているのがわかる。
「ありがとう、風のお姉様! でも、なぜこんなに良くしてくれるの?」
私と風のお姉様は先日顔を合わせただけで、特に何かやりとりを交わした訳ではない。風のお姉様と仲の良い、雷のお姉様とはよくお話するけれど……。
風のお姉様は、ようやく、右肩についていた首を元に戻した。そして、少しだけ口角を上げた。冷静な印象のお顔が、途端に柔らかくなる。
「お前は雷の悪魔のお気に入りだろう。それに、蛇の悪魔に預けたフーリンも、お前のことが好きみたいだからな。私が好きな者たちが好きな者は、私も好きだ」
風のお姉様はそれだけ言って、気がついたらもういなくなっていた。吹いて行った風の名残が、爽やかに香った。
風のお姉様の言った通り、家に帰るまで、傘も私も濡れずに済んだ。