146話 in the blue water

 こんなに暑い日が続いてばかりいると、以前住んでいたアメリカのお家の、お庭を思い出す。二十五メートルほどで水深は一メートルそこそこの、それなりにちゃんと泳ぐことのできるプールがあったのだ。あのお家に住んでいたのは数年前のことだから、私は全然泳げなかったはずだけれど、休日にはママが泳ぎを教えてくれたっけ。
 回想していると、何だかプールに行きたくなってきた。
「プール? ああ、行ってこい」
 地下書庫で何やら難しそうな分厚い本と睨めっこしていたお兄様が、軽く頷いた。
「忙しいのはよくわかっているのだけど……、お兄様も一緒に泳がない?」
「ああ? 俺が?」
 なぜ、と言わんばかりに面倒そうな声だ。
「私、プールの授業でそんなにいい成績を取ったことがないのよ。お兄様に教えてもらえたら嬉しいな、って」
「夏の間、俺たち悪魔は忙しいんだ。流石にプールにまで付き合ってられん」
 開放的になりがちな夏は、人間への誘惑に最適な季節なのだと、前にレクチャーを受けたことがある。確かに最近、お兄様はあちこちに出かけたりして忙しそうだ。
 仕方ないわね、と地上へ続く階段を上り始めると、「あ、いや、ちょっと待て」と呼び止められた。
「プール自体なら用意してやらんこともない。詳細はうまいこと自分で誤魔化して、マツリカ嬢でも誘えばいい」
「お兄様、ありがとう! 大好きよ!」
 いや、最近水棲の魔物の研究をするために水槽を用意していたんだよ、とか何とか、お兄様は口の中でぶつぶつ言った。

 それは本当に、水槽と呼ぶのが似つかわしかった。私が昔ママと泳いだようなものより水深は三倍ほど深く、しかも全てガラス張りだから、中の様子が外から丸わかりだ。幅は五メートルほど、長さはプールと同じく二十五メートルほどある。深さが三メートルほど、ということは、まず私たちは三メートルほどの高さを登らなくてはならない……はずだったのだけど、事前に見た私が怖がったためか、マツリカがやって来るまでに水槽は床に埋め込まれて、ただのプールのような見た目になっていた。
「何だか不思議なルートを辿って来たように思うけれど、ここはダイアナのお兄様のお家の中なの?」
 がらんとした大きな温室のような部屋を見渡しながら、授業で使う水着を身につけたマツリカが尋ねる。
「まあ、そんなような感じよ。ここには私たちだけしかいないわ。楽しみましょう!」
 お兄様は忙しいとか言いながら、しっかり色々な水遊びの道具を用意してくれていた。拳銃型のものからタンク付きのものまで様々な形の水鉄砲に、二人分の浮き輪や、二人で乗れるボート、水中で光る可愛いライトに水風船、大きな水槽もといプールに使えるだけの数の……
「遊泳剤? 何かしら」
 私が手に取ったそれは、パッと見た感じでは大きな輸血用のパックのようだった。けれど、中の液体の色は鮮やかな青色だ。
「もしかして、それプール用の入浴剤じゃないかしら。日本で売ってるのを見たことあるわ」
「あら! 面白そうね!」
 プールの中に入れてみると、透明だった水が青色に変わった。
「綺麗ね」
「ふふ。これは公共のプールでは絶対にできなかったわ。ダイアナのお兄様にお礼を言わなきゃね」
 それから半日ほど、私とマツリカはプールで遊んだ。流石にもう十分ね、と体を拭いている段になって、そういえば泳ぐ練習をしていなかったわね、と気がついた。
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