130話 彼女は悪魔に向いてない

 結局、弱虫ダイアナは今日一日、学校で俺たち三人を無視し続けた。幽霊が怖いなら、そう言えばいいんだ。ちょっと目立って発言力があるからって、いつも調子に乗りやがって。
「アーサー、屋敷が見えてきたぜ」
 ジョージが指差す先には、思ったより新しめの屋敷があった。俺の家に比べればみすぼらしいけど、まあまあ立派な部類に入るんじゃないか。ハロウィンの仮装の格好のまま入るのは、ちょっと目立ちそうな気もするけど。
「誰も通ってないから今がチャンスだな」
 マイクが、フランケンシュタインの怪物のマスクを脱ぎながら言う。
「かさばるやつは前庭に置いてこう。鍵は……」
 言いながら見ると、業者がつけて行ったらしい錠前が、綺麗に割れていた。きっと肝試しに来た他の奴らが壊したんだろう。
「ラッキー。一応金槌持ってきといたけど、使わず済んだな」
 扉は簡単に開き、俺たちはそっと中に忍び入った。
「失礼しまーす」
「ばか、肝試しに来てなんで挨拶してんだよ」
「だってママにいつも言われてて……癖なんだよ」
「しっ。お前ら、静かにしろよ」
 俺が持ってきた懐中電灯で、辺りを照らしながら進む。窓から月光が差し込むので、想像していたより全然不気味じゃない。ちょっと薄暗い程度だ。少しほっとしながら、俺たちは一階をうろついた。……特に何もない。
「何もないなあ。もう帰ろうぜ、アーサー」
 ジョージが言うが、明日学校で冒険譚を話すつもりなのだ。もしも誰かが同じように屋敷に入ったことがあったりして内部をよく知っていたら、二階を見ていないことがバレてしまう。
「ジョージ、お前ビビってんの? 見ろよ、アーサーは二階に行くつもりだぜ」
 マイクのフォローに感謝しながら、俺は二階へ続く階段に足をかけた。
「全部見て回ってこその肝試しだろ」
「わかったよ」
 ギシギシ軋む階段をゆっくり上っていく。明日はどんな風に、クラスの奴らを驚かせよう。けむくじゃらの化け物がいたけど俺たち三人で勇敢に戦って倒した、とか? ハロウィンなんだし、吸血鬼がいたってのもいいよな。そんなことを考えながら階段を上り切って、二人の方へ振り返った。
「じゃあ手分けして……え? ジョージは?」
「へ?」
 そこにいたのはマイクだけだった。俺が先頭で次にマイク、一番後ろにジョージ、という隊形で上ってきたはずで、誰かがいなくなったら近くにいる奴が気づかないわけがないのに。
「おい、ジョージ? 転んだのか?」
 階段の下は暗がりになってしまって、よく見えない。誰の言葉も返ってこない。呻き声すら聞こえない。
「ジョージ……」
「き、きっとあいつ、逃げ出したんだよ! さっきだってビビってたし!」
 マイクはそう言うが、ジョージは俺たちに何も言わず逃げ出すような奴じゃない。でも、シンと静まり返った階段を今すぐ降りる気になれず、俺たちは二人だけで肝試しを続行することにした。
 階段の踊り場に近い方から扉を開けて行って、中を照らしてみる。それを、左右の廊下の端にたどり着くまで、二手に分かれてやっていくのだ。
「こっちは何もないよ」
「こっちも」
 声を掛け合いながら進んでいって、あとは左端の部屋だけとなった時、あれ、と思った。さっきからマイクの声がしない。それどころか足音も、……気配も。
「……マイク?」
 恐る恐る、暗くなった廊下に懐中電灯の明かりを向ける。そこには誰もいなかった。
「おい、冗談よせよ。面白くねえよ」
 笑いながら言ってみたけど、ヘラヘラしながら出てくるはずのマイクは見当たらない。
「おいおい、マジかよ」
 俺の声は暗闇に吸い込まれていくばかりだ。相変わらず物音はしないし、誰の気配もない。最初から俺一人だったみたいに。
「……いや、いやいや。あれか、マイクもジョージと同じく怖くなって逃げ出したんだな。そうに決まってる。……ハハ、なんだよあいつら、だっせえなあ。それじゃあ俺だけで続けるからな!」
 階段の下に聞こえるように言ってみたけれど、ただ自分が心細くなっただけだった。とにかく、最後の部屋も確認して、何か証拠になるものを……窓ガラスに何か跡でもつけてこよう。それだけ、それだけやったら、俺も走って帰るんだ……。
 左端の扉を開いた。
 びゅうっと風が吹いて、それがまた戻ってくるようにして俺の背中を押し、……俺が部屋によろめき入ると同時に、背後で扉がバタンと閉まった。
「……へ……、え、」
 すっと体温が下がったのがわかった。部屋の空気が、これまでとは全然違う。やばい、ここはやばい。懐中電灯で扉を確認してノブを握るが、びくともしない。おかしい、さっきはちゃんと開いたのに。
 扉に体当たりしてみても何にもならず、どうしようと部屋の内部に向き直った時、それに気がついた。部屋の中心部に、何か、ぼうっと光るものがある。あれは……人の形。
「ひっ」
 光は、見たことのない少女の形をしていた。髪を長く垂らし、ぼたぼたと泣き続ける、少女の形を。
「…………っ!」
 声が喉に張り付いてしまったようで、叫び声さえ出なかった。ただバタバタともがくように扉の方へ後ずさって、幽霊を凝視する。懐中電灯を取り落としてしまって真っ暗な部屋の中で、少女だけがぼんやり光って辺りを照らしている。
 とたん、ごうっと風が巻き起こる音がした。少女の周りで、椅子や本や小物が渦をなして浮かんでいる。あんなのに当たったら大怪我するに決まってる。風切り音が耳をつんざいて、俺は唇を噛み締めた。どうにか言葉を絞り出す。
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい、俺が悪かったです、肝試しになんて来て騒いで、本当に悪かったです許して……」
 少女が、飛び交う家具の渦が、俺に近寄ってきて……
 ばあん! とすごい勢いで、扉が開いた。呆気に取られて目を向けると、信じ難いことに、そこには……。
「タラー! 弱虫アーサー、来てやったわよ!」
 金髪を靡かせ、シスターの仮装をしたダイアナが立っていた。
「は……? ダイアナ……?」
 腰が抜けて立てない俺を見下ろして、ダイアナはにっこり笑った。
「助けてあげるから感謝なさい」
「え」
 状況が飲み込めない俺の目の前で、ダイアナが身につけていたクロスのペンダントを掲げた。そして、少女の霊に向かって祈りの言葉を唱え始めた。
「天にまします我らが主よ、この苦しめる魂を安らげたまえ……」
 ダイアナが唱え始めると同時に、幽霊は苦しそうなそぶりを見せ始めた。椅子も本もその他の道具も、その場に落ちてしまった。少女が発する光が明滅し、やがて薄れて、……彼女と共に、消えてしまった。
「よし、これで大丈夫!」
 ポカンと口を開けていると、ダイアナが手を差し出した。
「ほら、いつまでそうやって座ってるの」
「……あ、ありがとう」
 その手に縋るようにして立ち上がる。まだ膝がガクガクするけど、なんとか立っていられそうだ。
「全く、あなたたち私を弱虫だなんだって散々言ってたくせに、だらしがないわね」
「…………」
 言い返す言葉がなかった。
「あ、そうだ! マイクとジョージが」
「ああ、あの二人なら、ここに来る途中で気絶してたのを見つけたから、入り口まで運んでおいたわよ。起こして一緒に帰ってあげて」
 俺はダイアナの顔をまじまじと見つめた。……なんだ、こいつ。
「私には霊感があるの。わかったら、もうくだらない絡み方はしてこないでちょうだい」
「……うん……」
 まだ全然、何がどうなったのか、わからない。ダイアナが言っている意味も、あまり頭に入ってこない。
「じゃあ、俺、帰るわ……」
「そうしてちょうだい。気をつけてね」
 ダイアナに見送られながら、俺は部屋を後にした。扉が閉まる直前、「ハッピーハロウィン!」という明るい声が聞こえた。

 お屋敷の二階、ローラの部屋の窓から、私はアーサーたち三人が走って帰っていくのを見送った。
「……帰った?」
 背後で、ローラが尋ねる。私は笑いながら振り向いて、頷いた。
「ええ、帰ったわ! 一目散にね。ふふふ、大成功よ!」
 私たちはハイタッチを交わした。ローラの目から、涙が消えていた。

 翌朝、クラスの話題はハロウィンでどんな仮装をしたか、どれだけお菓子をもらえたかでもちきりだった。みんな自分の仮装写真を見せあったり、SNSに投稿したりと楽しんでいる。そんな中、アーサーは黙りこくって自分の席に座っていた。
「ダイアナ、昨日は私と別れた後、そのまま帰ったの?」
 マツリカの問いに、私は「ええ、そうよ」と頷く。多分アーサーは私と会ったことを誰にも話していないだろう。
「弱虫ダイアナ! お前、結局昨日は俺らの肝試しに来なかったじゃんよ」
 ほら、やっぱり。
 私は声の主、ジョージに視線を向けた。隣にいるマイクも一緒になって何か言いかけて……「お前ら、黙れ」とアーサーに止められた。
「ええっ? アーサー、なんで」
「ダイアナが来なかったのは本当じゃないか」
「いいから、もうそういうの、やめろ。もうあいつに構うな」
 アーサーが一度もこちらを見ようとしないのが面白い。ジョージもマイクも文句を言いながら、絡むのをやめた。
「ダイアナ、何かあったの? アーサーと」
 マツリカが目を丸くする。今日もマツリカはかわいいなあ、と思いながら、私はにっこり答えた。
「いいえ、何にも」
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