128話 天使と悪魔と不可視のピラミッド
「まさか天使サマもこの国に来ていたとはね」
昨晩の現地人の姿ではない、よく見慣れた姿の悪魔は、呆れたように声を上げた。太陽が今日も眩しく、有名なピラミッド群が見えるゲートの前で。観光客が非常に多い通りだ。この男と会うことがなければ、ここに来ることはなかった。
「私のほうこそ、驚いたよ。ピラミッドの中を歩いている間に、お前だと気がついたけれど……お前の方は私には気がついていなかったね」
「あの時まで、全く気が付かなかったな。流石に蠍なんて小さい生き物に変身されて、それも後ろをこっそりつけられていたんじゃあな」
あの時。彼がビシャーラの計略を無効にして蛇をけしかけた時、私は飛び出していって、彼を止めた。だが、もしも相手が彼でなかったら、私はビシャーラを助けられなかったかもしれない。天使と悪魔が不用意にぶつかるようなことは、厳に避けなくてはいけないのだから。
「……ビシャーラのことを考えると、相手がお前だったのは幸運だった」
「ふん。まあ、それはそうだな」
だがまあ今回は、俺以外の悪魔にお鉢が回ることはなかったろうがな、と悪魔は笑う。
「あの堕落神父の魂を頂けなかったのは残念だが、ピラミッドの封印は守ることができた。こいつらも喜んでいるよ。天使サマには礼を言いたいとさ」
悪魔の脚をするすると登ってきた可愛い白蛇が、私に舌を出した。
「ふふ。可愛いな。使い魔じゃないから触っても大丈夫かい」
「ああ、問題ないだろう。魔性のものではあるが、こいつらは俺たちとは契約していない、ただのキュートな生き物さ」
白蛇がツヤツヤの頭を差し出してくれたので、指で撫でる。ひんやりしていて、気持ちがいい。目の前の男と同じ体温だ。スベスベした皮膚が心地よくて、思わず頬擦りしてしまった。蛇は大人しく、されるがままになっている。
「ところで、あの堕落神父だが……」
「ああ。彼なら、同僚の調査で余罪が見つかってね。詐欺だよ。いわゆる霊感商法というやつを、田舎でずいぶんやっていたらしい。まあ、彼の場合、霊感は確かに本物だったのかもしれないけれど……けれど、病気の治療なんてのはまやかしさ。それで金品を巻き上げていたのだから、おそらく立件されるだろう」
「霊感商法ね。まあ、あいつが目指していた新興宗教立ち上げに比べれば、被害は少なく済んだと言えるのかもしれないが……。しかし天使サマ、今回も残念だったな」
どういう意味かと首を傾げた私に、悪魔は言う。
「今回のも、本物の奇跡じゃなかったわけだろ。しかも、奇跡を騙って詐欺を働く司祭なんてのを見たわけだし」
私がかねてより主による『本物の奇跡』を見たいと願っていることを、この男はよく知っている。本来なら純粋な信仰心を持って人々を啓蒙しなくてはならない司祭が邪道に突き進んだことを、私が残念がっているだろうことも。
私は白蛇を彼の元に帰して、彼を思い切り抱きしめた。
「ありがとう、ラブ。本当にお前はいつも、私のことを考えてくれるね」
「あ、ああ……そりゃあもちろん」
急に抱きしめられて驚いたのだろう、悪魔は少し固まっているようだ。解放すると、ようやく笑顔になった。
「ところで、天使サマ。せっかく滅多に来られない国に来たんだ。ちょっとは観光して行ってもバチは当たらないんじゃないか」
「おや。ふふ。それは誘惑かな」
今頃は私と同僚の報告を聞いて、アースィムをはじめとした教会の人間たちが警察への連絡を行なっていることだろう。それが落ち着くまでは、どうせこの国にいなくてはならない。
「うん、観光しようか。きっと今日一日は私の出る幕もないだろう」
悪魔は嬉しそうに、私の手を取った。
「それなら、ラクダに乗らないか。俺はあいつらが結構好きなんだよ。見事に砂漠に適応してる。……あ、それとも、動物に乗るなんて、天使サマには野蛮な行為だったか」
彼の言い方が面白くて、私は笑いながら首を振った。
「いいや、彼らは寛容だから。私も彼らと一緒に行動するのは好きだから、彼らの寛容さに甘えることにしているんだ。まつ毛が長くて可愛いし、コブがあるのも愛嬌があるよね。とても足が速くて、素敵だし……ああ、考えたらワクワクしてきたな!」
明るい太陽の下で、活気に溢れた場所にいるからかもしれない、いてもたってもいられなくなって、私は悪魔の手を握ったまま走り出した。
「ははっ。天使サマが楽しそうで何よりだ」
悪魔の弾んだ声を後ろに聞きながら、風を頬で感じる。
昨晩の現地人の姿ではない、よく見慣れた姿の悪魔は、呆れたように声を上げた。太陽が今日も眩しく、有名なピラミッド群が見えるゲートの前で。観光客が非常に多い通りだ。この男と会うことがなければ、ここに来ることはなかった。
「私のほうこそ、驚いたよ。ピラミッドの中を歩いている間に、お前だと気がついたけれど……お前の方は私には気がついていなかったね」
「あの時まで、全く気が付かなかったな。流石に蠍なんて小さい生き物に変身されて、それも後ろをこっそりつけられていたんじゃあな」
あの時。彼がビシャーラの計略を無効にして蛇をけしかけた時、私は飛び出していって、彼を止めた。だが、もしも相手が彼でなかったら、私はビシャーラを助けられなかったかもしれない。天使と悪魔が不用意にぶつかるようなことは、厳に避けなくてはいけないのだから。
「……ビシャーラのことを考えると、相手がお前だったのは幸運だった」
「ふん。まあ、それはそうだな」
だがまあ今回は、俺以外の悪魔にお鉢が回ることはなかったろうがな、と悪魔は笑う。
「あの堕落神父の魂を頂けなかったのは残念だが、ピラミッドの封印は守ることができた。こいつらも喜んでいるよ。天使サマには礼を言いたいとさ」
悪魔の脚をするすると登ってきた可愛い白蛇が、私に舌を出した。
「ふふ。可愛いな。使い魔じゃないから触っても大丈夫かい」
「ああ、問題ないだろう。魔性のものではあるが、こいつらは俺たちとは契約していない、ただのキュートな生き物さ」
白蛇がツヤツヤの頭を差し出してくれたので、指で撫でる。ひんやりしていて、気持ちがいい。目の前の男と同じ体温だ。スベスベした皮膚が心地よくて、思わず頬擦りしてしまった。蛇は大人しく、されるがままになっている。
「ところで、あの堕落神父だが……」
「ああ。彼なら、同僚の調査で余罪が見つかってね。詐欺だよ。いわゆる霊感商法というやつを、田舎でずいぶんやっていたらしい。まあ、彼の場合、霊感は確かに本物だったのかもしれないけれど……けれど、病気の治療なんてのはまやかしさ。それで金品を巻き上げていたのだから、おそらく立件されるだろう」
「霊感商法ね。まあ、あいつが目指していた新興宗教立ち上げに比べれば、被害は少なく済んだと言えるのかもしれないが……。しかし天使サマ、今回も残念だったな」
どういう意味かと首を傾げた私に、悪魔は言う。
「今回のも、本物の奇跡じゃなかったわけだろ。しかも、奇跡を騙って詐欺を働く司祭なんてのを見たわけだし」
私がかねてより主による『本物の奇跡』を見たいと願っていることを、この男はよく知っている。本来なら純粋な信仰心を持って人々を啓蒙しなくてはならない司祭が邪道に突き進んだことを、私が残念がっているだろうことも。
私は白蛇を彼の元に帰して、彼を思い切り抱きしめた。
「ありがとう、ラブ。本当にお前はいつも、私のことを考えてくれるね」
「あ、ああ……そりゃあもちろん」
急に抱きしめられて驚いたのだろう、悪魔は少し固まっているようだ。解放すると、ようやく笑顔になった。
「ところで、天使サマ。せっかく滅多に来られない国に来たんだ。ちょっとは観光して行ってもバチは当たらないんじゃないか」
「おや。ふふ。それは誘惑かな」
今頃は私と同僚の報告を聞いて、アースィムをはじめとした教会の人間たちが警察への連絡を行なっていることだろう。それが落ち着くまでは、どうせこの国にいなくてはならない。
「うん、観光しようか。きっと今日一日は私の出る幕もないだろう」
悪魔は嬉しそうに、私の手を取った。
「それなら、ラクダに乗らないか。俺はあいつらが結構好きなんだよ。見事に砂漠に適応してる。……あ、それとも、動物に乗るなんて、天使サマには野蛮な行為だったか」
彼の言い方が面白くて、私は笑いながら首を振った。
「いいや、彼らは寛容だから。私も彼らと一緒に行動するのは好きだから、彼らの寛容さに甘えることにしているんだ。まつ毛が長くて可愛いし、コブがあるのも愛嬌があるよね。とても足が速くて、素敵だし……ああ、考えたらワクワクしてきたな!」
明るい太陽の下で、活気に溢れた場所にいるからかもしれない、いてもたってもいられなくなって、私は悪魔の手を握ったまま走り出した。
「ははっ。天使サマが楽しそうで何よりだ」
悪魔の弾んだ声を後ろに聞きながら、風を頬で感じる。