128話 天使と悪魔と不可視のピラミッド
一時間ほど歩いたろうか。ウスマーンの指示に従って通路に張り巡らされた呪術的・物理的罠を掻い潜りながら、私は自分の計画について一通りのことを喋っていた。そこまで喋るつもりのなかったことまでいつの間にか口にしていたので、自分で自分の唇を覆ってしまった程だ。
なんなんだ、この男は。何か特別話しやすい雰囲気を持っている訳でもなく、むしろ無愛想なほどで、私の話にもそれほど大した相槌を打つ訳でもない。それなのに気がつけば、私の口はペラペラと、私が作るつもりの新しい宗教について話し続けていた。
「ビシャーラ様、珍妙な仕草だな。唇をどうかしたか」
「い、いや、なんでも」
ウスマーンは面白そうに眉を上げたが、そのまま向き直って再び歩き始めた。
「まだ先があるのか……」
私が嘆息すると、ウスマーンは「いや」と声を上げた。
「そろそろだと思うぜ。風が吹き抜けている。外の出口が近いんだろう」
言われてみれば確かに、私の前髪を、風が揺らしていた。……ということは、そろそろ。
「そう。財宝の隠し場所もすぐそこだ。急ごうか」
ウスマーンが足早になりながら、私をチラリと見た。
「ところで、ビシャーラ様。あんたの話だと、あんたが作る新しい宗教で、得をするのはあんただけのように思ったが」
それはそうだ。そのように作るのだから。
私はこのピラミッドを顕現してみせることで奇跡の能力を人々に信じさせる。正当な神の奇跡は私に受け継がれたのだとして、信者には寄進をさせる。現世の欲を捨て去ることで来世の幸福が約束されるなんて、どこの宗教でも言っていることだ。私の宗教において根本的にこれまでの宗教と違う部分など全くないし、むしろ、あってはならない。これまで多くの信者を獲得してきた宗教にあやかるところはあやかって、実際に私が行使する霊能力もうまくパフォーマンスとして活用して、絞れるものを絞るのだ。財宝はそのための資金にするつもりだ。
「ふふん。それはなかなかの悪だくみだ」
ウスマーンの言葉に、ハッとした。私は今、全て話していたのか? いや、歯を食いしばって、喋ってしまいたい欲望に抗っていたのだ、恐らく口にはしていない。だがまるで、私の心中を全て聞いていたようではないか。
「ウスマーン、お前は……」
ゾッとしながら呼びかけると、相手はふと立ち止まった。一瞬、何かされるのではないかと恐ろしさに総毛だったが、そうではなかった。私たちの前方に、空間が広がっていたのだ。空間といってもピラミッドの内部だ、それほど広い訳ではない。人が十人ほどは入れるだろうスペースでしかない。つまり、ここがこのピラミッドの心臓部。
「王の棺だ」
ウスマーンが示した先、スペースの中央部に、考古学博物館なんかにも展示されているような、立派な棺が横たえられていた。そしてその棺を取り囲むように、黄金の光を放つ宝飾品が……。
「財宝だ!」
私はウスマーンの横をすり抜けて、その輝きの元へ走り寄った。膝をついて、それらをかき集める。腕輪や首輪、王冠のような物から、加工されていない金塊まで、数えきれないほどだ。私は手当たり次第に、持ってきたバックパックにそれらを詰め込もうとして、そこでウスマーンの存在を思い出した。
ウスマーンは懐中電灯を床に置いて腕を組み、壁にもたれかかって私を見ていた。
「さて、ビシャーラ様。報酬は?」
私はバックパックの中に手を突っ込み、ぬるりとしたものを掴んだ。そして、それをウスマーンに向かって投げつけた……猛毒を持った黒蛇を。
「これが報酬だ!」
黒蛇は牙を剥き出しにして男へ飛びかかって行った……が、不思議なことに、男の胸元に着地してから、それまでの怒りが嘘のようにおとなしくなり、男の首に緩く巻きついてしまった。
「……は」
どんな猛々しい偉丈夫でもすぐに倒れてしまうような恐ろしい毒を持った蛇が、一度怒らせれば噛み付かずにはいないはずの獰猛な生き物が、まるで無害なペットのように男に撫でられているのを見て、口があんぐりと開いた。
「これはこれは、ビシャーラ様。なんとも可愛らしい報酬を、ありがとうございます」
ウスマーンは優雅に一礼し、うっすらと笑った。とたん、あたりが急に寒くなった。砂漠の夜は確かに冷えるが、このピラミッド内の温度は一定に保たれていたはずだ。それが今、男が笑ったと同時に、息が白く見えそうなほどに冷え切った。
「う、ウスマーン、お前は」
歯の根がガチガチと震えて合わない。私は何を相手にしているのだ。
「俺は? なんだい、ビシャーラ様?」
ウスマーンが、すっと手を上げた。懐中電灯の明かりが、ひゅうと消えてしまった。
「ひ、ヒィ…………!」
喉が引き攣った。ウスマーンの立っていたところに、彼の目だけが赤く光っている。蛇の目、縦長の瞳孔を持った目だ。それだけではない、彼を中心に、無数の怪しく光る目玉がいくつも、いくつもそこらじゅうに蠢いているではないか。そのどれも、男のものと同様、蛇の目だ。男のように赤いのはないが、緑や黄色、紫色などに発光し、ゆらめきながら、どれも真っ直ぐ『私を見ている』。
ウスマーンの笑い声が響いた。
「あんたは俺が魂をいただくに値する堕落者だと、よーくわかったよ。俺としては、あんたが新興宗教を立ち上げて、さらに犠牲を増やしてくれるのを待っていても別に良かったんだが……可愛いこいつらの頼みとあっちゃあな」
「た、たす……」
指を鳴らす音が響き、私の体は微動だにできなくなった。
「かかれ」
冷酷な声と共に、暗闇の中、無数の蛇が私に飛びかかってきたのがわかり、……瞬きできない私の目は次の瞬間、懐中電灯のものではない光が辺りを照らしたのを捉えた。
「ストップ。そこまでだ」
ウスマーンのものとは違う、どこか聞き覚えのある声。澄んだ、穏やかな風のような声が、この状況を静止させた。蛇たちは空中を私に向かってまさに躍りかかってきているところだったが、途端にパッと霧消した。
「な……」
絶句する私の前に現れたのは、夕方に会った、外国の司祭だった。名前はなんといったか思い出せないが、金髪で細身で、突けば倒れてしまいそうな体つきをしている。その司祭が、青い目で、ウスマーンを見つめている。
「な、んでお前が」
ウスマーンが、初めてたじろいだ様子を見せた。先ほどの赤い輝きがどこかに失せた黒目が、あちこちに泳ぐ。対して金髪の司祭は落ち着いた様子でそれに対峙している。一体、この二人はどういう関係なのだ。いや、それ以上に、この司祭はどこから。
ウスマーンの言葉を受けて、司祭は冷静に言葉を返した。
「それはこっちのセリフだよ。……とはいえ、ここまでの道中で大体の事情は把握した。ひとまず、お前は去れ」
「…………」
ウスマーンは躊躇しながらも、来た道へ姿を消した。最後に、私をひと睨みして。
男が立ち去って、私はへなへなとその場にしゃがみ込んだ。体から力が抜けて、どうしようもない。先ほど感じた恐怖が、今頃足の先から襲ってきているような。
「……た、助かった……? あ、あなたはもしや、本物の神の使いなのですか」
私の言葉に、司祭はゆっくりと振り向いた。その顔には笑顔が浮かんでいるが、温度がない。……怒っているのか。
「その通りです。私は本物の、神の使いですよ。ですから、ビシャーラ。私はあなたの此度の企みを、看過できないのです」
言葉の意味はわからないままに、私はその語気に気を失った。
なんなんだ、この男は。何か特別話しやすい雰囲気を持っている訳でもなく、むしろ無愛想なほどで、私の話にもそれほど大した相槌を打つ訳でもない。それなのに気がつけば、私の口はペラペラと、私が作るつもりの新しい宗教について話し続けていた。
「ビシャーラ様、珍妙な仕草だな。唇をどうかしたか」
「い、いや、なんでも」
ウスマーンは面白そうに眉を上げたが、そのまま向き直って再び歩き始めた。
「まだ先があるのか……」
私が嘆息すると、ウスマーンは「いや」と声を上げた。
「そろそろだと思うぜ。風が吹き抜けている。外の出口が近いんだろう」
言われてみれば確かに、私の前髪を、風が揺らしていた。……ということは、そろそろ。
「そう。財宝の隠し場所もすぐそこだ。急ごうか」
ウスマーンが足早になりながら、私をチラリと見た。
「ところで、ビシャーラ様。あんたの話だと、あんたが作る新しい宗教で、得をするのはあんただけのように思ったが」
それはそうだ。そのように作るのだから。
私はこのピラミッドを顕現してみせることで奇跡の能力を人々に信じさせる。正当な神の奇跡は私に受け継がれたのだとして、信者には寄進をさせる。現世の欲を捨て去ることで来世の幸福が約束されるなんて、どこの宗教でも言っていることだ。私の宗教において根本的にこれまでの宗教と違う部分など全くないし、むしろ、あってはならない。これまで多くの信者を獲得してきた宗教にあやかるところはあやかって、実際に私が行使する霊能力もうまくパフォーマンスとして活用して、絞れるものを絞るのだ。財宝はそのための資金にするつもりだ。
「ふふん。それはなかなかの悪だくみだ」
ウスマーンの言葉に、ハッとした。私は今、全て話していたのか? いや、歯を食いしばって、喋ってしまいたい欲望に抗っていたのだ、恐らく口にはしていない。だがまるで、私の心中を全て聞いていたようではないか。
「ウスマーン、お前は……」
ゾッとしながら呼びかけると、相手はふと立ち止まった。一瞬、何かされるのではないかと恐ろしさに総毛だったが、そうではなかった。私たちの前方に、空間が広がっていたのだ。空間といってもピラミッドの内部だ、それほど広い訳ではない。人が十人ほどは入れるだろうスペースでしかない。つまり、ここがこのピラミッドの心臓部。
「王の棺だ」
ウスマーンが示した先、スペースの中央部に、考古学博物館なんかにも展示されているような、立派な棺が横たえられていた。そしてその棺を取り囲むように、黄金の光を放つ宝飾品が……。
「財宝だ!」
私はウスマーンの横をすり抜けて、その輝きの元へ走り寄った。膝をついて、それらをかき集める。腕輪や首輪、王冠のような物から、加工されていない金塊まで、数えきれないほどだ。私は手当たり次第に、持ってきたバックパックにそれらを詰め込もうとして、そこでウスマーンの存在を思い出した。
ウスマーンは懐中電灯を床に置いて腕を組み、壁にもたれかかって私を見ていた。
「さて、ビシャーラ様。報酬は?」
私はバックパックの中に手を突っ込み、ぬるりとしたものを掴んだ。そして、それをウスマーンに向かって投げつけた……猛毒を持った黒蛇を。
「これが報酬だ!」
黒蛇は牙を剥き出しにして男へ飛びかかって行った……が、不思議なことに、男の胸元に着地してから、それまでの怒りが嘘のようにおとなしくなり、男の首に緩く巻きついてしまった。
「……は」
どんな猛々しい偉丈夫でもすぐに倒れてしまうような恐ろしい毒を持った蛇が、一度怒らせれば噛み付かずにはいないはずの獰猛な生き物が、まるで無害なペットのように男に撫でられているのを見て、口があんぐりと開いた。
「これはこれは、ビシャーラ様。なんとも可愛らしい報酬を、ありがとうございます」
ウスマーンは優雅に一礼し、うっすらと笑った。とたん、あたりが急に寒くなった。砂漠の夜は確かに冷えるが、このピラミッド内の温度は一定に保たれていたはずだ。それが今、男が笑ったと同時に、息が白く見えそうなほどに冷え切った。
「う、ウスマーン、お前は」
歯の根がガチガチと震えて合わない。私は何を相手にしているのだ。
「俺は? なんだい、ビシャーラ様?」
ウスマーンが、すっと手を上げた。懐中電灯の明かりが、ひゅうと消えてしまった。
「ひ、ヒィ…………!」
喉が引き攣った。ウスマーンの立っていたところに、彼の目だけが赤く光っている。蛇の目、縦長の瞳孔を持った目だ。それだけではない、彼を中心に、無数の怪しく光る目玉がいくつも、いくつもそこらじゅうに蠢いているではないか。そのどれも、男のものと同様、蛇の目だ。男のように赤いのはないが、緑や黄色、紫色などに発光し、ゆらめきながら、どれも真っ直ぐ『私を見ている』。
ウスマーンの笑い声が響いた。
「あんたは俺が魂をいただくに値する堕落者だと、よーくわかったよ。俺としては、あんたが新興宗教を立ち上げて、さらに犠牲を増やしてくれるのを待っていても別に良かったんだが……可愛いこいつらの頼みとあっちゃあな」
「た、たす……」
指を鳴らす音が響き、私の体は微動だにできなくなった。
「かかれ」
冷酷な声と共に、暗闇の中、無数の蛇が私に飛びかかってきたのがわかり、……瞬きできない私の目は次の瞬間、懐中電灯のものではない光が辺りを照らしたのを捉えた。
「ストップ。そこまでだ」
ウスマーンのものとは違う、どこか聞き覚えのある声。澄んだ、穏やかな風のような声が、この状況を静止させた。蛇たちは空中を私に向かってまさに躍りかかってきているところだったが、途端にパッと霧消した。
「な……」
絶句する私の前に現れたのは、夕方に会った、外国の司祭だった。名前はなんといったか思い出せないが、金髪で細身で、突けば倒れてしまいそうな体つきをしている。その司祭が、青い目で、ウスマーンを見つめている。
「な、んでお前が」
ウスマーンが、初めてたじろいだ様子を見せた。先ほどの赤い輝きがどこかに失せた黒目が、あちこちに泳ぐ。対して金髪の司祭は落ち着いた様子でそれに対峙している。一体、この二人はどういう関係なのだ。いや、それ以上に、この司祭はどこから。
ウスマーンの言葉を受けて、司祭は冷静に言葉を返した。
「それはこっちのセリフだよ。……とはいえ、ここまでの道中で大体の事情は把握した。ひとまず、お前は去れ」
「…………」
ウスマーンは躊躇しながらも、来た道へ姿を消した。最後に、私をひと睨みして。
男が立ち去って、私はへなへなとその場にしゃがみ込んだ。体から力が抜けて、どうしようもない。先ほど感じた恐怖が、今頃足の先から襲ってきているような。
「……た、助かった……? あ、あなたはもしや、本物の神の使いなのですか」
私の言葉に、司祭はゆっくりと振り向いた。その顔には笑顔が浮かんでいるが、温度がない。……怒っているのか。
「その通りです。私は本物の、神の使いですよ。ですから、ビシャーラ。私はあなたの此度の企みを、看過できないのです」
言葉の意味はわからないままに、私はその語気に気を失った。