117話 人は呪いすらも

 教会の仕事が終わって帰宅すると、天使見習いのアダムとダイアナちゃんが、二人仲良くタブレットを覗き込んでいるところだった。
「夏休みに入って早々アダムの勉強に付き合ってくれて、ありがとう。ダイアナちゃん」
 声をかけると、ダイアナちゃんはにっこりと笑った。
「私も新しいお友達ができてとっても楽しいわ。こちらこそありがとう、天使様。ところで、今アダムと話していて気になったことがあるのだけど……天使様に聞いても良いかしら」
「もちろん。どんなことかな」
 紅茶の茶葉を取り出してポットに入れながら聞くと、「人が奇跡を起こしたことってあるの?」という意外な質問が飛んできた。てっきり、もっと一般的な質問かと思ったので驚いたけれど、アダムと話していたということだから、そういう疑問にたどり着くこともあるのだろう。
「そうだねえ。私の経験になるけれど……」
 ヤカンを火にかけて、私は昔話を始める。

 その頃はまだ、私は教会の奇跡調査に携わってはおらず、あちこちの教会を渡り歩いてはその監査をする業務に就いていた。あれも今日のように暑い季節のことだ。とある地方の小さな村に滞在した時、不思議な噂を聞いた。
「神父様は雨女って信じるかい。いやね、その女が滞在した場所には、数日内に必ず雨が降るって話なのよ」
 宿の主人は聞いてもいないのにひとしきりそんな話をして、その話題の女性がこの宿に泊まっているという個人情報まで教えてくれた。私の仕事には直接関わりのない話ではあったが、かねてより個人的に、主の奇跡を目の当たりにしてみたいという願望を持っていた私は俄然、気になった。それで、宿の一階にある食堂でその女性を探して、話しかけたのだった。
「私が雨女、ですか」
 私は最初に彼女を見た時からある違和感を抱いていたのだが、彼女の落ち着いた話しぶりから、それがますます深まるのを感じた。彼女はただの人間が纏うには強すぎる邪気を漂わせていたのだ。
 彼女は伏し目がちにぽつりぽつりと言葉を落とした。
「左様でございます。私が滞在した場所には、必ず数日のうちに雨が降るのです」
「それは素晴らしい。旱魃に悩む人たちにとっては奇跡のような話ですね」
 私の言葉に、彼女はようやく白い歯を見せた。
「そうおっしゃっていただけると、この呪われた身も報われます」
「呪われた?」
 奇跡とは正反対の言葉に反応すると、女性は頷いた。
「どうやら私の先祖は、その地方随一の魔法使いから、恨まれるようなことをしたらしいのです。それで、末代まで雨に降られる呪いを」
 悪魔と契約した人間は、魔法を使うことができる。彼女の先祖は恐らく、そういう人間から呪いを受けたのだろう。
 彼女は私が神父だからか、それまで誰にも話したことがなかったという気持ちを打ち明けてくれた。生まれてからこのかた、どこにも定住したことのない身の憂いを。晴れが続くということも経験したことがなく、太陽への憧れをずっと心に抱いているのだと。
「お話してくださって、どうもありがとうございます。……しかしあなたの行いは、主が必ず見ています。日照りに悩まされる地方を主に旅する、あなたの紛れもない善行を」
 彼女は細い体を震わせて、顔を隠した。
「ありがとうございます、神父様……ありがとう」

「その女の人の体質は奇跡ではなくて、呪いによるものだった、ということですよね?」
 アダムが首を傾げる。
「ああ、そうだね。でも私はこの経験から、こう思うようになったんだ。人は、呪いを奇跡に変えることすらできるのだと」
 あの女性は、あの後も、雨の気配を引き連れて歩き続けたのだろう。雨不足に悩む人たちの救いとして。
 遠い記憶の中の面影に、想いを馳せる。願わくは、天上の彼女に、陽光のように温かな幸が降り注いでいますように。
1/1ページ
スキ