115話 愛を囀る

 従来あまり高層建築に興味のなかったこの国でも、最近になって多くの高層ビルが建設され始めている。俺と天使は休日の昼間、その一つの展望フロアへ赴き、食事を摂っていた。それほどいい天気でもないが、天使はいつものように嬉しそうだ。
「こうして見ると、人類は着実に天に近づいているんだなあと思うね」
「ふん……しかし、大昔、それをよしとしなかったのがお前のご主人サマじゃなかったか」
 人々が己の権威を誇示するため天に向かって塔を建て、結局使っていた言語を乱されて離散した話は、まあ色々な脚色や誇張がなされてはいるが、現代の人類の間にも伝わっている。天使はちょっと困ったように笑った。
「はは、そうだったね。……でも実は、私はあの時その塔の近くにいなかったものでね。本当には何が起きたのか、よくわかっていないんだ」
 天使がラディッシュを頬張るのを眺めながら、俺は言う。
「実はあれも悪魔の仕業なんだ」
「え!?」
 天使はむせそうになったのか、慌てて口の中にあったラディッシュを消滅させてしまった。
「悪魔の仕業だって? そんな」
「驚くべきことに、そうなのさ。俺もその件にはノータッチなんだが、知り合いの悪魔がやったらしい」
「それはまた、どうして。別に人類が天に届いたところで……」
 天の楽園は生きた人間には開放されない。どうせ天使たちに追い返されることになるだけなので、悪魔にも関係はないはずだ。
 天使はそう言いたいのだろう。だが、これはそういう問題ではないのだ。
「知り合いの悪魔はな、鳥が好きだったんだ」
「……ん。鳥……?」
 話の流れがわからなくなった天使は首をかしげる。その白い頬にドレッシングがついているのを指で取ってやりながら、俺は話を続ける。
「そいつは鳥の鳴き声が様々なのを、特に気に入っていたんだ。だから、人間たちもいろんな『鳴き声』を出すようになったら素敵だと……」
「それで!?」
 天使は目を瞬かせた。
「ああ。それで」
 天使は祈りでも捧げるように両手を組み、天井を見上げた。大方、言語の違いから起きる人間たちの悲しいすれ違いに思いを馳せているのだろう。
「だが、天使サマ。俺は人間の言語が一様でないことを、結構気に入っているんだぜ」
「そうなのか」
「ああ」
 大きな驚きに打たれて曇ったその目を見ながら、笑いかける。
「世界中のあらゆる言語で、お前に愛を伝えられる」
 青く大きな澄んだ瞳に、光が戻った。キラキラと輝くそれもまた、笑った。
「ふふ。それは私も嬉しいな」
 それから食事中、俺たちはそれこそ世界中の言語で、互いへの想いを囁き交わした。
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