103話 雷は歌う

 学校からの帰り道、突然空が暗くなったかと思ったらバケツをひっくり返したような雨が降り出した。風も強くて、折り畳み傘なんて使えない。魔法を使って帰ることもできるけれど、ここは人通りが多すぎて無理。とりあえずどこか、人のいない路地裏にでも入って……。
 そう思って大通りから抜けられる細道へ足を向けた時だった。
 ピカっと、暗い空が光った。数秒遅れて、轟くような雷の音が鳴り響く。
「きゃあっ!」
 思わずしゃがみ込んでいた。もう小さな子供ではないのに、強い光と大きな音に襲われると、どうしても体が勝手に反応してしまう。恥ずかしさを感じながら立ち上がり、細道を駆け抜ける。するとまた雷が近くに落ちた。本当に近くだ。閃光が目に見えたし、音が聞こえてくるのだってとても速かった。
 胸がどきどきして、体がこわばる。こんな状態ではうまく魔法が使えない、落ち着かないと。
 と、また紫電が走った。私は自分の体を抱くようにしてうずくまった。冷たい雨が身体中に打ちつけて、とても寒い。どこかで雨宿りでもして落ち着きたい……私は身震いしながら周りを見渡した。古い家と家の間の道で、私が入ってもおかしくない店は見当たらない。もうこうなったら走って家に、でも雷が。
 そんな時だった。細道の先から、女の人の歌声が聞こえてきた。歌詞はよく聞き取れないけれど、とても澄んだ綺麗な声だ。近所の人が窓辺で歌っているのだろうか。それにしても、こんなに強く雨が打ちつけて雷の音もゴロゴロと物凄いのに、なぜこうもクリアに聞こえてくるのだろう。
 どんな人が歌っているのか知りたくなったのと、心細くてとにかく誰かと一緒にいたかったのとで、私の足はフラフラとそちらに向かっていった。
 そこにはとても背の高い、黒髪の女の人が立っていた。身長はもしかしたら、百九十センチのお兄様くらいあるかもしれない。一見すると日本人のような、東洋的な顔は横を向いて口を開けている。降りしきる雨を飲もうとしてでもいるかのようだ。長い髪が派手な黄色いシャツの腰まで伸びて、蛇のようにうねっているのがなんだか不思議に思える。そして一番不思議なことは、傘も刺していないのに、女の人は全く雨に濡れていないということ。
「ん?」
 女の人がそこで初めて私に気がついて、形のいい眉を上げた。
「え、あたしが見えてるわけか? おっかしいなあ」
 ツカツカとヒールの音を鳴らしながら近づいてきて、驚くばかりの私を見下ろした。近くで見ると、迫力があるすごい美人。女の人は私の頭から足先までじっくり見て呟いた。
「同属、いや、使い魔だね。だがそれにしても」
 その言葉をかき消すように雷鳴が響き渡り、私はまた小さく叫んで耳を塞ぎ、体を小さくした。
「なんだい嬢ちゃん、使い魔の癖に雷が怖いのか? あたしが鳴らす雷だってのに」
「あなたが鳴らす……?」
「ああ、これはあたしの『仕事』だ。あたしも悪魔なんだよ。天候専門のね」
 私は顔を上げて、女の人を見つめた。考えてみたら、私はお兄様の他には一人しか悪魔を見たことがない。
「まあ直接魔法で天候を操ってるわけじゃあないんだけどね。あたしがやってるのは大気中の成分操作なんだ。大まかな操作なら並の悪魔や天使たちでもできるけど、こんな繊細な仕事はあたしにしかできないよ」
 自慢げな口調だ。私がぽかんとしていると、女の人はちょっと眉を顰めた。
「でも嬢ちゃんみたいに可愛い使い魔が怖がるのはかわいそうだ。もうだいぶ降らせたことだし、切り上げようかね」
 女の人は一声、綺麗な声を響かせた。するとぱあっと空は晴れ、先ほどまでの土砂降りは嘘のように収まってしまった。
「すごい」
「ふふん。時に嬢ちゃん、今の主人に不満はないかい。あたしの下につけば、今みたいな天候操作術をたくさん教えてあげられるよ」
 思いがけない言葉だったけれど、考える余地はない。私は首を横に振った。
「せっかくのお誘いだけど、私はお兄様が大好きなの」
 女の人は「そうかい」と肩を落とした。
「まあいいさ。気が変わったらいつでも呼ぶんだよ」
 そうしてさっと消えてしまった。濡れていたはずの髪や衣服まですっかり乾いていることに気がついたのは、しばらく経ってからだった。
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