95話 天使と悪魔と忘却の悪魔
「それで、わたしのところに来たと」
司書たちが大慌てで宗教学の棚を行き来する古く美しい図書館で顔を合わせるなり、眼鏡の悪魔は俺を睨んだ。
「ああ。今回のは聖書、つまり『本』に絡んだ事件だろう。人間の本に関する知識なら、お前に敵う奴はいない。知ってることがあるなら教えてくれないか」
こいつとは以前、俺の使い魔となっている少女ダイアナを巡って色々あった仲ではあるが、それに関しては誓約書を交わして始末はついている。合理性を重んじる悪魔は、遺恨を抱きこそすれ、それを表向きに引きずるようなことは滅多にない。
眼鏡は大きなため息をつき、本棚に寄りかかった。
「まあ、それはその通りです。人間の本に関して、わたしが知らないことなどありません。……今回のは恐らく、忘却の悪魔の仕業でしょう」
「忘却の悪魔……」
直接の面識はないが、噂で聞いたことはある。その名の通り、忘却魔法を得意としている悪魔だ。確か、俺や目の前の男と同格か、もう少し古くて格上の存在だった筈だ。
「あの悪魔の使う忘却魔法は、我々のものより遥かに広範囲且つ的確に影響を及ぼします。こんなに多くの人間たちから一斉に聖書に関する認識を消し去ることができる悪魔なんてそうそういませんからね、まず間違いはないでしょう」
礼を言って背を向けた俺を引き留め、眼鏡はひそひそと囁いた。
「悪魔である私がこんなことを言うのもなんですが、聖書は人間の作ってきた書籍の中でも非常に重要で大きな位置を占めます。内容はどうでも良いですが、それが人間たちに及ぼしてきた影響は計り知れません。バージョンの多さや装丁の凝り方、解釈の多様さも、とても一朝一夕で語り尽くせるものではない。……つまり私は、聖書が永遠に失われることになるのは惜しいと思うのですよ。ですから、貴方があの悪魔を追うと言うのなら、出来る限りの助力はしましょう」
俺はまじまじと相手を見つめた。心底から嫌悪している相手に自ら助力を申し出るようなことができる奴だったとは。
「なんですか、その目は」
「いや、ありがたいと思ってな。天使サマが喜ぶ」
眼鏡はいやそうに顔を顰めた。
司書たちが大慌てで宗教学の棚を行き来する古く美しい図書館で顔を合わせるなり、眼鏡の悪魔は俺を睨んだ。
「ああ。今回のは聖書、つまり『本』に絡んだ事件だろう。人間の本に関する知識なら、お前に敵う奴はいない。知ってることがあるなら教えてくれないか」
こいつとは以前、俺の使い魔となっている少女ダイアナを巡って色々あった仲ではあるが、それに関しては誓約書を交わして始末はついている。合理性を重んじる悪魔は、遺恨を抱きこそすれ、それを表向きに引きずるようなことは滅多にない。
眼鏡は大きなため息をつき、本棚に寄りかかった。
「まあ、それはその通りです。人間の本に関して、わたしが知らないことなどありません。……今回のは恐らく、忘却の悪魔の仕業でしょう」
「忘却の悪魔……」
直接の面識はないが、噂で聞いたことはある。その名の通り、忘却魔法を得意としている悪魔だ。確か、俺や目の前の男と同格か、もう少し古くて格上の存在だった筈だ。
「あの悪魔の使う忘却魔法は、我々のものより遥かに広範囲且つ的確に影響を及ぼします。こんなに多くの人間たちから一斉に聖書に関する認識を消し去ることができる悪魔なんてそうそういませんからね、まず間違いはないでしょう」
礼を言って背を向けた俺を引き留め、眼鏡はひそひそと囁いた。
「悪魔である私がこんなことを言うのもなんですが、聖書は人間の作ってきた書籍の中でも非常に重要で大きな位置を占めます。内容はどうでも良いですが、それが人間たちに及ぼしてきた影響は計り知れません。バージョンの多さや装丁の凝り方、解釈の多様さも、とても一朝一夕で語り尽くせるものではない。……つまり私は、聖書が永遠に失われることになるのは惜しいと思うのですよ。ですから、貴方があの悪魔を追うと言うのなら、出来る限りの助力はしましょう」
俺はまじまじと相手を見つめた。心底から嫌悪している相手に自ら助力を申し出るようなことができる奴だったとは。
「なんですか、その目は」
「いや、ありがたいと思ってな。天使サマが喜ぶ」
眼鏡はいやそうに顔を顰めた。