84話 悪魔の専門分野

「そう言えばラブ。ダイアナちゃんから日本の年越しの話をされなかった?」
 ダイアナちゃんと話をした翌日、教会の近くの店でランチをとりながら、私は彼に尋ねた。黒髪の男は髪と同色の目を細めた。
「ああ、されたぜ。はは、確かにアレは俺たちの専門分野だ」
 グラスを傾け、悪魔は笑う。
「百八つの煩悩を消すための鐘……。しかし人間の煩悩なんて、百八つじゃきかんだろ」
「残念なことに、そうだね」
 つい苦笑いしてしまう。私たち天使は常日頃から人間たちの「煩悩」を消し去ろうと努力しているが……誰ひとりそれに成功した者はいない。けれども、それは。
「私たち天使には困りものだけれど……人間には煩悩が必要ということ、なのかもしれないね」
 男は少し目を見開いた。切れ長の双眸だが、一瞬だけ可愛らしい印象になる。
「本当に天使サマには驚かされるな。そう、その通りさ。お前以外の天使には恐らく理解などできないだろうがな。人間には煩悩が必要だ、というより、人間それ自体が煩悩の塊なんだ。これは仏教の考えにも組み込まれていることではあるが……しかし煩悩とは対極にあるお前が、すんなりそんな考えに至れるなんてな。……俺と付き合っているから、なのかな」
 半分面白そうに、半分困ったように、男は言う。その気持ちが分かったから、私はテーブルの上の彼の手に、自分の手を重ねた。
「大丈夫だよ。人間を理解することは天使の本分にも繋がることだ。お前たち悪魔や人間の思考を受け入れることが即ち、堕天に繋がるということではないさ」
 男はじっと私の瞳と、背の部分……今は不可視化して畳んでいる羽根を見つめた。そして、にっと笑った。
「そうみたいだ」
 重ねた手を、優しく握られる。悪魔の冷たい体温と私の体温が混じり合って、心地よい。
「そうだ。今年は年始に日本での仕事が入っているんだが……天使サマも一緒に行くか?」
 心躍る提案ではあるが、悪魔の仕事に同伴するというのは……。
 躊躇う私の背を押すように、男は続ける。
「仕事といっても、今回は誘惑業務じゃないんだ。それこそ、人間の煩悩が寺社仏閣への参拝で少しは清められるのかという調査業務でな。大した意味もないのに恒例となってるモニタリングなんだ。別に俺が引き受けなくてもいい瑣末な仕事なんだが、……あー、ダイアナのやつが日本の菓子を気に入っててな」
 使い魔の少女のために仕事を引き受けたということが恥ずかしいのか、男はちょっと言い淀んだ。
「ふふっ。そうか、そういうことなら私が一緒でも問題はないね。調査中は離れた所で観光してるよ」
「ありがとう」
 年末年始は仕事があると聴いていたから今回は一緒に年越しをできないかと思っていたのだが……思わぬ僥倖だ。
「せっかくだから、現地の年越しイベントにでも参加してみるか」
「いいね! あ、でもダイアナちゃんは……」
「獏や他の使い魔と留守番してもらうつもりだが、通信して、一緒に年を越せるようにしたいところだな」
 一緒に連れて行こうと思えばできるのにそうしないのは、彼女がまだ保護されるべき女の子だからだろう。深夜、多くの人で賑わうイベントごとに参加させるのは、きっと心配なのだ。
 そんなこと、きっと彼は認めないだろうけど。
「たくさんお土産を買って行ってあげなきゃね」
「そうだな」
 早速二人でスマートフォンを出し、どこへ行くかを話し始める。
 まだまだ夜は明けない。楽しみは膨らんでゆく。
2/2ページ
スキ