83話 翼を持ったスノーマン
「お兄様、天使様! 私やってみたいことがあるの!」
公園に着くなり、コートに帽子に手袋にマフラーという暖かそうすぎる服装に身を包んだダイアナが目を輝かせた。
良家の令嬢として育てられた少女がどんなことを言うのかと興味深く思った俺の耳に飛び込んできたのは、「雪だるまを作りたいのよ!」という平凡な願いだった。
「なんだ、スキーとかスケートとか言い出すかと思った」
俺の言葉に、ダイアナは金色のツインテールをなびかせながら首を横に振った。
「流石にこの雪でそれはできないもの。でもギリギリ雪だるまくらいなら何とかなりそうだし、……それに、今まで雪だるまってあまり作ったことないの」
そうだった。あまりに普通に使い魔たちに混じっているものだから時々忘れてしまうが、ダイアナは元人間で、見た目通りのティーンエイジャーなのだ。物心ついてから今までで通過してきた冬の数が、俺や天使と比べて圧倒的に少ないのだ。
「そうか。オーケー、それなら雪だるまを作って見せてくれ」
ダイアナはきょとんと首を傾げた。
「お兄様も作るのよ」
「あ?」
「みんなでひとつずつ作って、公園に飾るのよ! ついでに誰が一番上手いか勝負しましょう!」
単純に面倒だった。悪魔は全ての技術において人間が到達可能な最高レベルを再現することができるから雪だるまを作るくらい造作もないが、だからこそ、そんな勝負には意味を感じられないというのもある。
だが……。
「お兄様と天使サマと一緒に雪遊びできるなんて、嬉しいわ!」とはしゃぐダイアナに、そんなことは言えそうもない。
「それじゃあダイアナちゃん、ルールはどうする?」
すんなりと勝負を受け入れた俺の天使は、柔らかい笑みを浮かべて少女の使い魔を見つめた。
「別にスノーマンでなくてもいいの、大きさもデザインも各自自由よ! ただ、この公園の中に並べられる物であること!」
朝早く寒さに包まれた公園には、まだ俺たちの姿しかない。もともと遊具などはない、ほとんどグラウンドのような場所なので、ある程度の大きさのものを作っても邪魔にはなるまい。
「よし、分かった。そうとなれば真剣勝負だ」
俺の言葉が合図となったのか、ダイアナは手袋をとり、天使も鼻歌を歌いながら(讃美歌かと思ってギョッとしたがどうやら天使のオリジナルらしくホッとした)、それぞれの作品作りに取り掛かった。
数十分後、俺たちはそれぞれの作品を自分の体で隠しながら集まった。
「あの……師匠 に呼ばれて急いで来たんですけど……ぼくは何をすれば」
あの後すぐに俺が呼び出したマイケルだけ、事情を把握し切れずにきょときょとしている。
「すまないね、マイケル。君も忙しいだろうに」
天使が申し訳なさそうに頭を下げるが、マイケルは人の良さそうな笑みを童顔に浮かべた。
「いえ、大丈夫です、先輩。教会の仕事はほぼ終わりましたし、ぼくは年末年始も街中のパトロールをする予定ですから!」
「そんなエクソシストの見本とも言えるマイケル神父に聴きたいんだが……お前は審美眼に自信があるか?」
俺の突然の質問に、マイケルは胸を張った。
「それは勿論です! 各地の教会に足を運んで礼拝してきましたからね……様々な巨匠の作品を目にしてきたので、美術作品への造詣は深いですよ」
「ほう。それなら安心して任せられるな」
どんな仕事かと緊張した様子のマイケルに、俺は言う。
「俺たちが作った雪だるまの審査をしてほしい」
「へっ……雪だるま?」
簡単に事情を話すと、マイケルは先ほどまでの肩肘張った姿勢を解いた。
「なんだ、そういうことでしたか。ぼくはまたてっきり悪魔退治に協力するのかと。分かりました、お引き受けいたしましょう。それでは、誰から見せてくださるんです?」
「さっきジャンケンして順番は決めた。俺のから見てくれ」
俺は体をずらし、隠していた作品を見せた。途端に三人が感嘆の声を上げた。
「師匠、これ……これ本当に雪で作ったんですか?」
「ああ」
「お兄様、本当に私たちと同じ時間で作ったの? 魔法でズルしたんじゃ」
「そんなことする必要あるか」
「ラブ、やっぱりお前はすごいね!」
「まあ、悪魔なら普通だがな」
俺が作ったのはサモトラケのニケのミニチュア版、手のひらに乗るくらいのサイズの縮尺版だ。雪像を作るのは久々だったが、女神像の翼を削り出すのはなかなかに楽しい作業だった。
「これじゃあお兄様の勝ち決定だわ」
自分の作品を見せる前からしょんぼりしてしまったダイアナに、天使が微笑みながら声をかける。
「大丈夫だよ、ダイアナちゃん。これはあくまでマイケルの審美眼による審査だからね。世界基準ではないのだから」
「そ、そうよね! 私だって頑張ったんだもの」
マイケルの審美眼に対する期待がやたらと跳ね上がっている。しかし天使の言う通りだ。人のいいマイケルを審査員に選んだのは、決していい加減な選択ではない。マイケルは下手な忖度をする奴ではないが、単純な造詣の良し悪しで順位を決めてしまうような人間でもない。
「それじゃあ次は私だね。ラブの雪像の後だとちょっと恥ずかしいけれど、結構可愛く出来たから見てほしいな」
そう言って天使が差し出したものは、……。
「先輩……、それ何ですか」
場に降りた沈黙を恐る恐る破ったのはマイケルだった。天使の掌の上にあったのは、どう贔屓目に見てもべしょべしょに溶けかけた雪塊、それも何の意味があるのか判別のつかない木の実や枝が刺さっている。
「ふふ、これは雪うさぎというやつだよ! 前に本で読んだんだ。ほら、ここが目でこれが鼻、この辺りが耳だよ」
俺たちの反応にも何ら動揺を見せない天使のその精神力は、流石としか言いようがない。
「あ、ああ……なるほどな、雪うさぎか! 確かに日本なんかではよく作られると聞く。うん、可愛いな!」
俺の言葉に、マイケルとダイアナはそれでも言葉が見つからないのか、ただうんうんと頷いて同意を示した。天使は褒められて嬉しそうだ。
「それじゃあ最後は私の番ね!」
天使の作品を見て多少自信を取り戻したのか、ダイアナは明るい声を上げた。彼女が体をずらすと、隠れていた作品が見えてきた。
雪を丸めた塊を三つずつ使った、それこそ「スノーマン」が三つ並んでいる。天使のものと同様に木の実や枝を使っているが、天使のものよりはしっかりその意味が把握できる。
「それは……家族のスノーマンか」
両端に並ぶのはほぼ同じサイズのスノーマンで、それに挟まれるようにして小さめのスノーマンが立っている。赤くて可愛らしい木の実が目や口を示し、木の枝は腕を表しているのだろう。どのスノーマンも笑顔で、幸せそうだ。
「ダイアナちゃん……」
ダイアナが俺の使い魔になった事情を知る天使は、彼女に慈愛の眼差しを注いでいる。しかしそれを知る由もないマイケルは、色んな角度から家族スノーマンを眺め、やがて大きく頷いた。
「師匠の妹さん、可愛らしいスノーマンをお作りになりましたね! よく見たらこの『親スノーマン』、背中に翼があるんですね。創意工夫が素晴らしい」
「背中に翼?」
俺と天使は慌ててスノーマンの後ろに回った。二つのスノーマンの背中に、大きな翼。マイケルは見落としたようだが、『子スノーマン』の背中にも、小さな翼が刻まれていた。
「ダイアナ……」
天使と悪魔、そして使い魔の背中には翼がある。
「マイケル、せっかくここまで付き合ってもらって悪いが、もうお前にジャッジしてもらう必要はなくなった」
「え?」
俺と天使が顔を見合わせダイアナの頭を撫でると、少女は照れて俯いてしまった。
「ダイアナの作品が優勝だ」
「ダイアナちゃん、今日はお祝いに何か美味しいもの食べに行こうか」
上機嫌の天使と悪魔に挟まれて、ダイアナの顔が真っ赤になってゆく。
「まったく……。じゃあぼくはパトロールに行ってきます。三人とも、良い新年をお迎えください」
マイケルが元気よく走って行き、俺たちはそのまま街へ繰り出したのだった。
公園に着くなり、コートに帽子に手袋にマフラーという暖かそうすぎる服装に身を包んだダイアナが目を輝かせた。
良家の令嬢として育てられた少女がどんなことを言うのかと興味深く思った俺の耳に飛び込んできたのは、「雪だるまを作りたいのよ!」という平凡な願いだった。
「なんだ、スキーとかスケートとか言い出すかと思った」
俺の言葉に、ダイアナは金色のツインテールをなびかせながら首を横に振った。
「流石にこの雪でそれはできないもの。でもギリギリ雪だるまくらいなら何とかなりそうだし、……それに、今まで雪だるまってあまり作ったことないの」
そうだった。あまりに普通に使い魔たちに混じっているものだから時々忘れてしまうが、ダイアナは元人間で、見た目通りのティーンエイジャーなのだ。物心ついてから今までで通過してきた冬の数が、俺や天使と比べて圧倒的に少ないのだ。
「そうか。オーケー、それなら雪だるまを作って見せてくれ」
ダイアナはきょとんと首を傾げた。
「お兄様も作るのよ」
「あ?」
「みんなでひとつずつ作って、公園に飾るのよ! ついでに誰が一番上手いか勝負しましょう!」
単純に面倒だった。悪魔は全ての技術において人間が到達可能な最高レベルを再現することができるから雪だるまを作るくらい造作もないが、だからこそ、そんな勝負には意味を感じられないというのもある。
だが……。
「お兄様と天使サマと一緒に雪遊びできるなんて、嬉しいわ!」とはしゃぐダイアナに、そんなことは言えそうもない。
「それじゃあダイアナちゃん、ルールはどうする?」
すんなりと勝負を受け入れた俺の天使は、柔らかい笑みを浮かべて少女の使い魔を見つめた。
「別にスノーマンでなくてもいいの、大きさもデザインも各自自由よ! ただ、この公園の中に並べられる物であること!」
朝早く寒さに包まれた公園には、まだ俺たちの姿しかない。もともと遊具などはない、ほとんどグラウンドのような場所なので、ある程度の大きさのものを作っても邪魔にはなるまい。
「よし、分かった。そうとなれば真剣勝負だ」
俺の言葉が合図となったのか、ダイアナは手袋をとり、天使も鼻歌を歌いながら(讃美歌かと思ってギョッとしたがどうやら天使のオリジナルらしくホッとした)、それぞれの作品作りに取り掛かった。
数十分後、俺たちはそれぞれの作品を自分の体で隠しながら集まった。
「あの……
あの後すぐに俺が呼び出したマイケルだけ、事情を把握し切れずにきょときょとしている。
「すまないね、マイケル。君も忙しいだろうに」
天使が申し訳なさそうに頭を下げるが、マイケルは人の良さそうな笑みを童顔に浮かべた。
「いえ、大丈夫です、先輩。教会の仕事はほぼ終わりましたし、ぼくは年末年始も街中のパトロールをする予定ですから!」
「そんなエクソシストの見本とも言えるマイケル神父に聴きたいんだが……お前は審美眼に自信があるか?」
俺の突然の質問に、マイケルは胸を張った。
「それは勿論です! 各地の教会に足を運んで礼拝してきましたからね……様々な巨匠の作品を目にしてきたので、美術作品への造詣は深いですよ」
「ほう。それなら安心して任せられるな」
どんな仕事かと緊張した様子のマイケルに、俺は言う。
「俺たちが作った雪だるまの審査をしてほしい」
「へっ……雪だるま?」
簡単に事情を話すと、マイケルは先ほどまでの肩肘張った姿勢を解いた。
「なんだ、そういうことでしたか。ぼくはまたてっきり悪魔退治に協力するのかと。分かりました、お引き受けいたしましょう。それでは、誰から見せてくださるんです?」
「さっきジャンケンして順番は決めた。俺のから見てくれ」
俺は体をずらし、隠していた作品を見せた。途端に三人が感嘆の声を上げた。
「師匠、これ……これ本当に雪で作ったんですか?」
「ああ」
「お兄様、本当に私たちと同じ時間で作ったの? 魔法でズルしたんじゃ」
「そんなことする必要あるか」
「ラブ、やっぱりお前はすごいね!」
「まあ、悪魔なら普通だがな」
俺が作ったのはサモトラケのニケのミニチュア版、手のひらに乗るくらいのサイズの縮尺版だ。雪像を作るのは久々だったが、女神像の翼を削り出すのはなかなかに楽しい作業だった。
「これじゃあお兄様の勝ち決定だわ」
自分の作品を見せる前からしょんぼりしてしまったダイアナに、天使が微笑みながら声をかける。
「大丈夫だよ、ダイアナちゃん。これはあくまでマイケルの審美眼による審査だからね。世界基準ではないのだから」
「そ、そうよね! 私だって頑張ったんだもの」
マイケルの審美眼に対する期待がやたらと跳ね上がっている。しかし天使の言う通りだ。人のいいマイケルを審査員に選んだのは、決していい加減な選択ではない。マイケルは下手な忖度をする奴ではないが、単純な造詣の良し悪しで順位を決めてしまうような人間でもない。
「それじゃあ次は私だね。ラブの雪像の後だとちょっと恥ずかしいけれど、結構可愛く出来たから見てほしいな」
そう言って天使が差し出したものは、……。
「先輩……、それ何ですか」
場に降りた沈黙を恐る恐る破ったのはマイケルだった。天使の掌の上にあったのは、どう贔屓目に見てもべしょべしょに溶けかけた雪塊、それも何の意味があるのか判別のつかない木の実や枝が刺さっている。
「ふふ、これは雪うさぎというやつだよ! 前に本で読んだんだ。ほら、ここが目でこれが鼻、この辺りが耳だよ」
俺たちの反応にも何ら動揺を見せない天使のその精神力は、流石としか言いようがない。
「あ、ああ……なるほどな、雪うさぎか! 確かに日本なんかではよく作られると聞く。うん、可愛いな!」
俺の言葉に、マイケルとダイアナはそれでも言葉が見つからないのか、ただうんうんと頷いて同意を示した。天使は褒められて嬉しそうだ。
「それじゃあ最後は私の番ね!」
天使の作品を見て多少自信を取り戻したのか、ダイアナは明るい声を上げた。彼女が体をずらすと、隠れていた作品が見えてきた。
雪を丸めた塊を三つずつ使った、それこそ「スノーマン」が三つ並んでいる。天使のものと同様に木の実や枝を使っているが、天使のものよりはしっかりその意味が把握できる。
「それは……家族のスノーマンか」
両端に並ぶのはほぼ同じサイズのスノーマンで、それに挟まれるようにして小さめのスノーマンが立っている。赤くて可愛らしい木の実が目や口を示し、木の枝は腕を表しているのだろう。どのスノーマンも笑顔で、幸せそうだ。
「ダイアナちゃん……」
ダイアナが俺の使い魔になった事情を知る天使は、彼女に慈愛の眼差しを注いでいる。しかしそれを知る由もないマイケルは、色んな角度から家族スノーマンを眺め、やがて大きく頷いた。
「師匠の妹さん、可愛らしいスノーマンをお作りになりましたね! よく見たらこの『親スノーマン』、背中に翼があるんですね。創意工夫が素晴らしい」
「背中に翼?」
俺と天使は慌ててスノーマンの後ろに回った。二つのスノーマンの背中に、大きな翼。マイケルは見落としたようだが、『子スノーマン』の背中にも、小さな翼が刻まれていた。
「ダイアナ……」
天使と悪魔、そして使い魔の背中には翼がある。
「マイケル、せっかくここまで付き合ってもらって悪いが、もうお前にジャッジしてもらう必要はなくなった」
「え?」
俺と天使が顔を見合わせダイアナの頭を撫でると、少女は照れて俯いてしまった。
「ダイアナの作品が優勝だ」
「ダイアナちゃん、今日はお祝いに何か美味しいもの食べに行こうか」
上機嫌の天使と悪魔に挟まれて、ダイアナの顔が真っ赤になってゆく。
「まったく……。じゃあぼくはパトロールに行ってきます。三人とも、良い新年をお迎えください」
マイケルが元気よく走って行き、俺たちはそのまま街へ繰り出したのだった。