10話 my evil valentine.

 店を出ると、すでに夕暮れだった。冬は日が短い。沈む太陽のオレンジが空全体を覆ったかのような金色の輝きに、思わず目を奪われる。
「マジックアワーか。こういうところ、お前のご主人サマの趣味は悪くない」
「主の御業は細部に至るまで完璧だからな」
 悪魔でも、空を美しく思うのか。
 新鮮な驚きに打たれながら、夜闇に紛れて消えてしまいそうな男の、整った横顔の輪郭をなぞる。空に向けられていたその視線が不意にこちらを向いたので、慌てて目を逸らした。
「名残惜しいがさよならだ、天使サマ。今日は楽しかった」
「……そうか」
 危なく、同意するところだった。……そう、この感情は何なのかと思っていたが、これは……「楽しい」というものだ。今まで何百年もの間、疑問に感じていたことを、初めて他者と共有して話し合うことができて……私は楽しかったのだ。悪魔と話して楽しかった、などという罪深い感情を、なぜこうもすんなり受け入れてしまえたのかは分からないが、そんなことは最早どうでも良かった。人間に関して私たちより理解しているこの男は、普通に話をする分には仲間の天使たちよりもよほど……。
「じゃあ、またな」
 悪魔は行ってしまった。本当に、話をしただけで。ここ最近、誰ともしなかった弾む会話をし、新たな知見を得て。
 ……本当に、それだけだった。
 喫茶店に入る前に腕を握られたのと、髪に少し触れられた程度で、それ以上のことは、何も起きなかった。警戒していたようなことは、何も。
 男が消えた方向から目を離せないまま、私は楽しさとはまた違った罪深い感情が胸を叩くのを感じていた。
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