78話 Like an angel.
今日は朝からツイていた。昨晩の記憶がないのはいつものことだが一緒に寝ていたのは美人だったし、毎朝見ているテレビ番組の星占いで、蠍座が一位だった。胸の大きいアナウンサーが「蠍座の皆さんへのアドバイス。美味しい話には気をつけましょう」と述べるのを聞きながらテーブルに残っていたピザを食べてのんびりとした朝を過ごしているところへ、兄貴がやって来た。
「うまい話がある」
兄貴はいつも、うまい話を持ってくる。まずくなるギリギリのところを狙って持ってくるから、まずくなったことは一度もない。今度はどうやら金持ちのボンボンをかっさらってしこたまふんだくろうって腹らしい。
「他にも二人に声かけといた。お前もやるよな?」
一も二もなく頷いて、オレはそのままその計画に名を連ねることになった。先に使用人として忍び込んだ仲間の手引きでガキを捕まえ、オレが車をとっとと出してずらかって、安全な場所から電話で身代金の交渉を行う。屋敷の中では金持ちの道楽パーティーの真っ最中で、誰もオレたちに気づかないという寸法だ。
計画の前半はうまくいった。生まれてこの方乱暴なものなんて見たことがないみたいな顔をした金髪のガキがああだこうだと講釈をたれたが、オレたちは車の中で祝杯をあげんばかりだった。上手くいけばこれで数年は遊び暮らせるだけの金を手に入れられる。と言うか、ここまで上手くいけば、もうあとは上手くいかない理由も見当たらなかった。ほとぼりが冷めるまでは住み心地のいいアジアにでも行くか、なんてことを言い合っていた時だった。
「ごめんあそばせ」
廃モーテルのドアを蹴倒して、黒髪を三つ編みにしたメイドが入って来た。こんな状況じゃなけりゃ押し倒したくなるほど色気のある美人で、人を小馬鹿にしたような目つきがよく似合っている。こんな美人が着てなけりや野暮ったく見えそうな長いメイド服の裾をひらりと翻しながら、突如現れたメイドは両手を組み、銃の形に指を立て、……それを、ガキを捕まえている弟分の方に向けた。
「バン」
場違いにも程がある人間の登場で呆気に取られていたオレたちは、その声と共に後方に吹っ飛んだ弟分を見て我に返った。う、だか何だか、小さな悲鳴だけ上げて、弟分はそのまま壁にめり込んで気を失ってしまった。
「おいこのアマァ! 何してくれてん……」
凄まじい音と共に、兄貴がジャケットの懐から取り出そうとした銃が、その手元で暴発した。耳がおかしくなりそうな悲鳴があがり、兄貴は床に転がった。
何が何だか分からない間に弟分も兄貴も戦意を喪失して、ガキが急に元気を取り戻した。
「メアリ・アン!」
「御坊ちゃま! こちらへ!」
メイドの呼びかけに、ガキが走り出す。金蔓が。オレは慌ててその首根っこを捕まえようとしたが、見えない何かに鋭く噛みつかれたような痛みに襲われ、手を引っ込めた。
「おい! 早く連れ戻せ! いや、もういい始末しちまえ!」
もうひとりの弟分に叫んだが、返事がない。キョロキョロしていると、メイドがそのスカートの裾を持ち上げた。
「ご友人なら、こちらに」
一体いつの間にやられたのか、オレが呼びかけた相手は女の足元で倒れている。まさか死んではいないだろうが、……。
ゾッとして、オレは思わず後ずさった。今まで不良同士の抗争に巻き込まれたりジャパニーズヤクザと対決したりと血を見ることは多かった。が、銃ひとつ持ち出さない相手に蹂躙されるようなことは初めてだ。それも、華奢な美人のメイドひとりに。
「お、お前は何だ……? 何でこんな……」
声が震えるが、どうしようもない。口の中がカラカラに渇いて、涙が勝手に溢れ出てきた。
メイドは小首を傾げて、艶然と微笑んだ。
「私は、ただのメイドですわ」
一歩踏み出したハイヒールがカツッと音を立てる。黒く吸い込まれるような瞳でオレをしっかり見つめて、メイドが囁いた。
「バン」
オレの記憶はそこで途切れている。
「うまい話がある」
兄貴はいつも、うまい話を持ってくる。まずくなるギリギリのところを狙って持ってくるから、まずくなったことは一度もない。今度はどうやら金持ちのボンボンをかっさらってしこたまふんだくろうって腹らしい。
「他にも二人に声かけといた。お前もやるよな?」
一も二もなく頷いて、オレはそのままその計画に名を連ねることになった。先に使用人として忍び込んだ仲間の手引きでガキを捕まえ、オレが車をとっとと出してずらかって、安全な場所から電話で身代金の交渉を行う。屋敷の中では金持ちの道楽パーティーの真っ最中で、誰もオレたちに気づかないという寸法だ。
計画の前半はうまくいった。生まれてこの方乱暴なものなんて見たことがないみたいな顔をした金髪のガキがああだこうだと講釈をたれたが、オレたちは車の中で祝杯をあげんばかりだった。上手くいけばこれで数年は遊び暮らせるだけの金を手に入れられる。と言うか、ここまで上手くいけば、もうあとは上手くいかない理由も見当たらなかった。ほとぼりが冷めるまでは住み心地のいいアジアにでも行くか、なんてことを言い合っていた時だった。
「ごめんあそばせ」
廃モーテルのドアを蹴倒して、黒髪を三つ編みにしたメイドが入って来た。こんな状況じゃなけりゃ押し倒したくなるほど色気のある美人で、人を小馬鹿にしたような目つきがよく似合っている。こんな美人が着てなけりや野暮ったく見えそうな長いメイド服の裾をひらりと翻しながら、突如現れたメイドは両手を組み、銃の形に指を立て、……それを、ガキを捕まえている弟分の方に向けた。
「バン」
場違いにも程がある人間の登場で呆気に取られていたオレたちは、その声と共に後方に吹っ飛んだ弟分を見て我に返った。う、だか何だか、小さな悲鳴だけ上げて、弟分はそのまま壁にめり込んで気を失ってしまった。
「おいこのアマァ! 何してくれてん……」
凄まじい音と共に、兄貴がジャケットの懐から取り出そうとした銃が、その手元で暴発した。耳がおかしくなりそうな悲鳴があがり、兄貴は床に転がった。
何が何だか分からない間に弟分も兄貴も戦意を喪失して、ガキが急に元気を取り戻した。
「メアリ・アン!」
「御坊ちゃま! こちらへ!」
メイドの呼びかけに、ガキが走り出す。金蔓が。オレは慌ててその首根っこを捕まえようとしたが、見えない何かに鋭く噛みつかれたような痛みに襲われ、手を引っ込めた。
「おい! 早く連れ戻せ! いや、もういい始末しちまえ!」
もうひとりの弟分に叫んだが、返事がない。キョロキョロしていると、メイドがそのスカートの裾を持ち上げた。
「ご友人なら、こちらに」
一体いつの間にやられたのか、オレが呼びかけた相手は女の足元で倒れている。まさか死んではいないだろうが、……。
ゾッとして、オレは思わず後ずさった。今まで不良同士の抗争に巻き込まれたりジャパニーズヤクザと対決したりと血を見ることは多かった。が、銃ひとつ持ち出さない相手に蹂躙されるようなことは初めてだ。それも、華奢な美人のメイドひとりに。
「お、お前は何だ……? 何でこんな……」
声が震えるが、どうしようもない。口の中がカラカラに渇いて、涙が勝手に溢れ出てきた。
メイドは小首を傾げて、艶然と微笑んだ。
「私は、ただのメイドですわ」
一歩踏み出したハイヒールがカツッと音を立てる。黒く吸い込まれるような瞳でオレをしっかり見つめて、メイドが囁いた。
「バン」
オレの記憶はそこで途切れている。