78話 Like an angel.

 大邸宅の主人は、ロマンスグレーの、上品な初老の男だった。代々続く資産家らしく、汗水垂らして働いたことなどなさそうな、細く、やわな体つきをしている。面接で数分会話しただけでも、その魂がほとんど白を保っていることがよく分かる、善良な人間だ。
 ともあれ、新入りメイドのメアリ・アンは瞬く間にその働きを認められ、雇用後二週間にしてメイド長に抜擢されることとなった。別に長になどならなくとも、記憶を失った天使の様子を近くで見ていられればそれで十分だったのだが、前メイド長がどうしてもと言うので引き受けた。まあ、悪魔としての常の仕事量から考えれば遊びのようなものではあるし、上に立って指示できる立場になれば、それだけ自分の仕事の調整もきく。
 問題は、ここに来てそろそろひと月が経とうというのに、一向に天使の記憶が戻らないことだ。
「御坊ちゃま、何か思い出したことはありませんか」
 毎朝、着替えを持って行く度に聴くようにしているが、天使は困ったような顔で首を振るばかりだ。
「メアリ・アン、ぼくはおじさまの迷惑になっているよね」
「いいえ、御坊ちゃま。迷惑など、とんでもございません。ご主人サマは御坊ちゃまがいらっしゃることをとても嬉しくお思いなのですよ」
 これまた毎朝交わす言葉だ。そしてそれは、まごうことなき事実だった。
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