71話 羽と光
「天使サマ、これ、何だか分かるか」
そんな言葉と共に差し出されたのは、スマートフォンの画面だった。久々に私の部屋でのんびり過ごし、話題が互いの周りの話に移ったときだった。見ると、そこに映し出されていたのは分厚い聖書と、その上に一枚、銀色に輝く……。
「これは……天使の羽だ。一体どこで、これを?」
「……なるほど、本物だったわけか」
悪魔はちょっと目を細めて頷いた。
「これはマイケルの所持品だ」
「マイケルの?」
マイケルはエクソシストとして精力的に活動している若き司祭だが、ひょんなことから大変な勘違いをして、目の前の悪魔のことを師匠と仰いで慕っている。教会での先輩として、また天使としても非常に心配ではあるが、相手がこの男である限りは、まだ安心していられるという状況だ。
しかし、天使の羽など、なぜ所持しているのだろう。
「ラブ、触らなかっただろうね」
「ああ。本体から離れた羽一枚だろうが、聖性を残していたらコトだからな。一応、気にして感知は試したが……聖性の感知はそこまで得意でもないんでな」
たしかに、それは悪魔の専門外だろう。とにかく、触らなかったのは賢明な判断だった。
「それで……マイケルは、なぜそれを?」
「なんでも、小さい頃に自分を救ってくれた天使のもの、だそうだ」
「救う?」
「ああ。あいつは小さい頃、悪魔に母を殺されたらしくてな。それで葬儀にも出られないくらい泣いていたところを、ひとりの天使が慰めて、葬儀の場に連れて行ってくれた、らしい。そのときにその天使が落としたのが、その羽なんだと」
悪魔に母を。それは初耳だった。しかし、それならたしかに、彼はその天使に「救われた」のだろう。母親との別れの機会まで失ったなら、幼い彼は、さらに深い傷を負っていただろうから。
「あいつ、いつかその天使に会いたいとか言ってたぜ。会って、礼を言いたいんだと。だから、羽も大切に持ち歩いてるんだそうだ」
「そうか」
天使は、人を善に導くのが仕事だ。幼いマイケルが葬儀に行かず、結果的に心に傷を負って更に信心に背を向けることになる、そういう可能性を打ち消して、その天使は彼を善に導いた。それで、その天使の仕事は完了したと言ってよい。天使というのは大概、完了した仕事には興味を持たないものだ。……だから今後、マイケルがその天使と会える確率は限りなく、低い。
「天使サマ? 何を笑っているんだ?」
気がつくと、男の黒い目が、不思議そうに私を見つめていた。
「ああ、いや。例えマイケルがその天使に会えなくても、彼にその思い出があるなら、きっと大丈夫だろうなと思ったんだ」
それは、悪魔を憎み続けてきた彼にとっての光……希望なのだろうから。これから先、会えることがなかったとしても……。
「人は記憶の中の光を頼りに生きていくことができる、強い生き物だからね」
悪魔は面食らったような顔をした。
「そういうもんかね」
「ふふ。お前は悪魔だから、分からないんだな。そういうものなんだよ」
そうかな、と首を傾げる悪魔がおかしくて、私はまた笑った。
そんな言葉と共に差し出されたのは、スマートフォンの画面だった。久々に私の部屋でのんびり過ごし、話題が互いの周りの話に移ったときだった。見ると、そこに映し出されていたのは分厚い聖書と、その上に一枚、銀色に輝く……。
「これは……天使の羽だ。一体どこで、これを?」
「……なるほど、本物だったわけか」
悪魔はちょっと目を細めて頷いた。
「これはマイケルの所持品だ」
「マイケルの?」
マイケルはエクソシストとして精力的に活動している若き司祭だが、ひょんなことから大変な勘違いをして、目の前の悪魔のことを師匠と仰いで慕っている。教会での先輩として、また天使としても非常に心配ではあるが、相手がこの男である限りは、まだ安心していられるという状況だ。
しかし、天使の羽など、なぜ所持しているのだろう。
「ラブ、触らなかっただろうね」
「ああ。本体から離れた羽一枚だろうが、聖性を残していたらコトだからな。一応、気にして感知は試したが……聖性の感知はそこまで得意でもないんでな」
たしかに、それは悪魔の専門外だろう。とにかく、触らなかったのは賢明な判断だった。
「それで……マイケルは、なぜそれを?」
「なんでも、小さい頃に自分を救ってくれた天使のもの、だそうだ」
「救う?」
「ああ。あいつは小さい頃、悪魔に母を殺されたらしくてな。それで葬儀にも出られないくらい泣いていたところを、ひとりの天使が慰めて、葬儀の場に連れて行ってくれた、らしい。そのときにその天使が落としたのが、その羽なんだと」
悪魔に母を。それは初耳だった。しかし、それならたしかに、彼はその天使に「救われた」のだろう。母親との別れの機会まで失ったなら、幼い彼は、さらに深い傷を負っていただろうから。
「あいつ、いつかその天使に会いたいとか言ってたぜ。会って、礼を言いたいんだと。だから、羽も大切に持ち歩いてるんだそうだ」
「そうか」
天使は、人を善に導くのが仕事だ。幼いマイケルが葬儀に行かず、結果的に心に傷を負って更に信心に背を向けることになる、そういう可能性を打ち消して、その天使は彼を善に導いた。それで、その天使の仕事は完了したと言ってよい。天使というのは大概、完了した仕事には興味を持たないものだ。……だから今後、マイケルがその天使と会える確率は限りなく、低い。
「天使サマ? 何を笑っているんだ?」
気がつくと、男の黒い目が、不思議そうに私を見つめていた。
「ああ、いや。例えマイケルがその天使に会えなくても、彼にその思い出があるなら、きっと大丈夫だろうなと思ったんだ」
それは、悪魔を憎み続けてきた彼にとっての光……希望なのだろうから。これから先、会えることがなかったとしても……。
「人は記憶の中の光を頼りに生きていくことができる、強い生き物だからね」
悪魔は面食らったような顔をした。
「そういうもんかね」
「ふふ。お前は悪魔だから、分からないんだな。そういうものなんだよ」
そうかな、と首を傾げる悪魔がおかしくて、私はまた笑った。