55話 新しい光
「いいかダイアナ。まず、外に出て行くときは必ず変身すること。髪型を変えるとか服装を変えるとか年齢だけ変えるとか、そういう話じゃない。完全に別人になるんだ」
私の命を救ってくれた悪魔のお兄様は、連れ帰ってくれたお家で、そう言った。私に基本的な魔法の使い方を教えてくれた後で、美味しい紅茶を淹れてくれながら、真剣な顔で。
「お前はもう、人間のダイアナ・エバ・クラークじゃない、俺の使い魔であるダイアナだ。酷なことを言うようだが、人間としてのお前と入れ替わった偽者が、既にお前の代わりに生活している。それと関わりのある者に見つかってはいけないし、……特に、お前の家を襲った悪魔には見つかってはいけない。絶対にだ」
「分かってるわ、お兄様」
私が素直に頷くと、お兄様は「賢いな」と笑った。
「あと、もうひとつ。両親と住んでいた家には、絶対に近づくんじゃない。何が起こるか、……俺にも分からないからな」
何でも分かっているお兄様がそう言うのだから、多分、本当にそうなのだろう。絶対に守る、と約束して、その話はそこで終わった。後で他の使い魔のみんなに聞いたところでは、私の家を使い魔に襲わせた眼鏡の怖いお兄さんは、お兄様と同じくらいに力が強く、地位もある悪魔らしい。もっと格下であればお兄様も気にせず強気で出られるらしいけれど、眼鏡の怖いお兄さんには、そうもいかないのだとか。だから、私を保護していることも、絶対に外部には漏らさないように気をつけているのだという。
『ダイアナは、運がよかったよ。ご両親のことは気の毒だったけれども、ご主人様のような変わり者がいなかったら、君はもうこの世にはいなかった。それどころか、あの眼鏡の悪魔に魂を握られていただろう』
そう教えてくれた使い魔のカラス(彼はカラス仲間から「リーダー」と呼ばれていた)は、そこまで言って、ぶるぶると身を震わせた。
『使い魔として仕えることと、魂を握られることとは、似ているようで全く違う。ダイアナは人間だったから、僅かの差で、そんな運命に絡め取られていたかもしれない。……本当に、運がよかったよ』
お兄様が変わり者だということは、この数ヶ月で分かってきていたことだった。本当なら人間の子供のことなんて、見捨ててしまってもよかったのだ。でも、お兄様はそうしなかった。それはひとえに、私がお兄様の想い人である天使様と似ていたから。その偶然に、私は心底、感謝している。もう二度と、以前通っていた学校に通ったり、親友と楽しくお話したりはできないのだとしても……こうして生きていられることが、何よりもありがたいことなのだ。
でも、ちょっと待って。
私はカラスの言葉のひとつに引っかかって、その翼を撫でた。
「あの眼鏡の怖いお兄さんに、魂を握られていただろう、って言ったわよね。それってどういうこと? 人間として死んでいても、私は天国には行けなかったってことなの?」
私はてっきり、何も悪いことさえしていなければ、死んだら天国に行けるものと思っていた。本当に何も知らなかった頃は、使い魔になった後でさえ、いつか天国に行けるのだと、ぼんやり信じていたほど。最近では「使い魔になる」ということが「悪魔の一員になる」という意味で、私が天国に行けるということは絶対にないのだと分かってきたのだけれど……人間として死んでいたとしても、それができなかっただろうなんて、聞いたのは初めてだった。
カラスはちょっと答えに窮したように、鳥類特有の動かし方で、首を傾けた。
『ご主人様から聞いているものと思っていたよ。殺された人間の魂というのは、大きな無念を抱えるものなんだ。死の間際に天に祈りを捧げたり、もしくは周りにいる人が祈ることができれば、天界の扉が開かれるのだが……殺されるってときに、そんな暇は普通ないものだろう。天界の扉が開かれなければ、天使も迎えには来ない。無念を抱えた魂は、その重みによって天界への道を見つけられない。天使に偶然見つけてもらったりしない限りは、地上を彷徨うことになる。そういう彷徨える魂は、悪魔に捕らえられて、悪霊にまで貶められるのさ』
「え……」
それは、つまり、私だけが特別そうだという話ではない、ということだ。殺された人間はみんな、そうなるということだ。それって、だから、ええっと……。
「ってことは、パパママは、天国には行けてないかもしれないってこと……?」
抑えたつもりだったのに、うまくいかず、声が震えてしまった。
『ああ……』
カラスは、彼ら独特のため息をついた。
『そうなるね』
まあ、もしかしたら天国に行くことができているかもしれないし、そう気落ちしないことだ、と言って、カラスは去って行った。でも、そんな話を聞いて、気落ちせずになんていられない。今の今まで、私は……。
おばあちゃまおじいちゃまよりもっと昔の代から、私の家族は信仰を守ってきた。毎朝毎晩の祈りを欠かしたことはなかったし、定められた日に教会へ通って、神父様のお説教を拝聴した。聖人の祝日も、主要なものはいつもお祝いしてきた。それなのに、パパママは、天国に行けなかったかもしれない。そんな。
「そんなことって……」
リンゴが木から落ちるのを止められないように、天界に行く方法も、昔から決められて、変えることはできないのだろう。どうしようもないし、仕方ない。それは分かっているけれど、そんな悲しいこと、あって欲しくない。パパママには、天国で楽しく暮らしていて欲しい。
カラスが言うように、パパママが天国に行けた可能性も、もちろんある。でも、そうでなかったなら、二人の魂は。
自分の部屋でひとり、椅子の上で膝を抱えて、ぐるぐる考える。ぐるぐる、ぐるぐる。
私の命を救ってくれた悪魔のお兄様は、連れ帰ってくれたお家で、そう言った。私に基本的な魔法の使い方を教えてくれた後で、美味しい紅茶を淹れてくれながら、真剣な顔で。
「お前はもう、人間のダイアナ・エバ・クラークじゃない、俺の使い魔であるダイアナだ。酷なことを言うようだが、人間としてのお前と入れ替わった偽者が、既にお前の代わりに生活している。それと関わりのある者に見つかってはいけないし、……特に、お前の家を襲った悪魔には見つかってはいけない。絶対にだ」
「分かってるわ、お兄様」
私が素直に頷くと、お兄様は「賢いな」と笑った。
「あと、もうひとつ。両親と住んでいた家には、絶対に近づくんじゃない。何が起こるか、……俺にも分からないからな」
何でも分かっているお兄様がそう言うのだから、多分、本当にそうなのだろう。絶対に守る、と約束して、その話はそこで終わった。後で他の使い魔のみんなに聞いたところでは、私の家を使い魔に襲わせた眼鏡の怖いお兄さんは、お兄様と同じくらいに力が強く、地位もある悪魔らしい。もっと格下であればお兄様も気にせず強気で出られるらしいけれど、眼鏡の怖いお兄さんには、そうもいかないのだとか。だから、私を保護していることも、絶対に外部には漏らさないように気をつけているのだという。
『ダイアナは、運がよかったよ。ご両親のことは気の毒だったけれども、ご主人様のような変わり者がいなかったら、君はもうこの世にはいなかった。それどころか、あの眼鏡の悪魔に魂を握られていただろう』
そう教えてくれた使い魔のカラス(彼はカラス仲間から「リーダー」と呼ばれていた)は、そこまで言って、ぶるぶると身を震わせた。
『使い魔として仕えることと、魂を握られることとは、似ているようで全く違う。ダイアナは人間だったから、僅かの差で、そんな運命に絡め取られていたかもしれない。……本当に、運がよかったよ』
お兄様が変わり者だということは、この数ヶ月で分かってきていたことだった。本当なら人間の子供のことなんて、見捨ててしまってもよかったのだ。でも、お兄様はそうしなかった。それはひとえに、私がお兄様の想い人である天使様と似ていたから。その偶然に、私は心底、感謝している。もう二度と、以前通っていた学校に通ったり、親友と楽しくお話したりはできないのだとしても……こうして生きていられることが、何よりもありがたいことなのだ。
でも、ちょっと待って。
私はカラスの言葉のひとつに引っかかって、その翼を撫でた。
「あの眼鏡の怖いお兄さんに、魂を握られていただろう、って言ったわよね。それってどういうこと? 人間として死んでいても、私は天国には行けなかったってことなの?」
私はてっきり、何も悪いことさえしていなければ、死んだら天国に行けるものと思っていた。本当に何も知らなかった頃は、使い魔になった後でさえ、いつか天国に行けるのだと、ぼんやり信じていたほど。最近では「使い魔になる」ということが「悪魔の一員になる」という意味で、私が天国に行けるということは絶対にないのだと分かってきたのだけれど……人間として死んでいたとしても、それができなかっただろうなんて、聞いたのは初めてだった。
カラスはちょっと答えに窮したように、鳥類特有の動かし方で、首を傾けた。
『ご主人様から聞いているものと思っていたよ。殺された人間の魂というのは、大きな無念を抱えるものなんだ。死の間際に天に祈りを捧げたり、もしくは周りにいる人が祈ることができれば、天界の扉が開かれるのだが……殺されるってときに、そんな暇は普通ないものだろう。天界の扉が開かれなければ、天使も迎えには来ない。無念を抱えた魂は、その重みによって天界への道を見つけられない。天使に偶然見つけてもらったりしない限りは、地上を彷徨うことになる。そういう彷徨える魂は、悪魔に捕らえられて、悪霊にまで貶められるのさ』
「え……」
それは、つまり、私だけが特別そうだという話ではない、ということだ。殺された人間はみんな、そうなるということだ。それって、だから、ええっと……。
「ってことは、パパママは、天国には行けてないかもしれないってこと……?」
抑えたつもりだったのに、うまくいかず、声が震えてしまった。
『ああ……』
カラスは、彼ら独特のため息をついた。
『そうなるね』
まあ、もしかしたら天国に行くことができているかもしれないし、そう気落ちしないことだ、と言って、カラスは去って行った。でも、そんな話を聞いて、気落ちせずになんていられない。今の今まで、私は……。
おばあちゃまおじいちゃまよりもっと昔の代から、私の家族は信仰を守ってきた。毎朝毎晩の祈りを欠かしたことはなかったし、定められた日に教会へ通って、神父様のお説教を拝聴した。聖人の祝日も、主要なものはいつもお祝いしてきた。それなのに、パパママは、天国に行けなかったかもしれない。そんな。
「そんなことって……」
リンゴが木から落ちるのを止められないように、天界に行く方法も、昔から決められて、変えることはできないのだろう。どうしようもないし、仕方ない。それは分かっているけれど、そんな悲しいこと、あって欲しくない。パパママには、天国で楽しく暮らしていて欲しい。
カラスが言うように、パパママが天国に行けた可能性も、もちろんある。でも、そうでなかったなら、二人の魂は。
自分の部屋でひとり、椅子の上で膝を抱えて、ぐるぐる考える。ぐるぐる、ぐるぐる。