夜を知る

 色々な星を渡り歩いているという旅人が、私の宿に泊まった。星間旅行者なんて泊めるのは初めてで戸惑ったけれど、彼の持っていた翻訳機が素晴らしい性能で、何ひとつ滞りなく、滞在の手配が進んだ。
「この星には、夜がないと聞きましたが」
 旅人は、ここらでは珍しい、宇宙の闇のような色の目を、窓の外に向けた。いつもの通りの強い陽光が、小さな庭の隅々まで照らしている。
「夜……っていうと、太陽が沈む期間のことだよな。それなら、ないよ。自転公転の周期や恒星の数の問題で、この星には昼しかないんだ」
 子どものころに学校で習ったきりの知識を総動員して答えると、旅人は「そうですか」と、寂しげに視線を落とした。
「旅人さんは、夜を知ってるのかい」
「ええ」
 旅人はフロントカウンターの側に腰掛けて、大きな鞄からスケッチブックを取り出した。今どき紙のスケッチブックなんて、珍しい。渡されて、中身を見て、私は息を呑んだ。そこには、僅かな星の光に照らされた、数々の夜の情景が描かれていた。基本的には鉛筆ひとつで描かれたのだろう。空の暗がり、それだけに浮かび上がる、人々の営みの美しさが、そこにはあった。盛り場、街路、宿からの風景。そのどれもが、昼の光のもとでは感じたことのない、胸が濡れるような感覚を起こさせた。
「人のいない場所の絵もありますよ」
 そう示されたのは、ひとけのない、大きな湖のスケッチだった。鏡のような湖面に空の星々がそのまま映って、まるで夜空が二つあるみたいだ。静けさが、耳に響いてくるようだった。
「どうです。夜は美しいでしょう」
 旅人の言葉に、私は泣きたくなりながら頷いた。先程の旅人の表情の意味を、心の底から理解した。
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