ワンルーム・トラベラー

 それから、おれはもう五日連続でずっと、『ポートルーム』を解除せずに過ごしている。少女……カーチャは、毎朝毎晩必ずやって来て、本当に少ししか通じていない筈の会話で、心底楽しそうに笑った。当初の推測どおり大学生らしいカーチャは、その日大学で学んだことを書きためたノートを見せてくれながら、色んなジェスチャーを交えて話をしてくれた。雪が降り続いた日もあったが、寒そうな素振りも見せず、むしろまだ話し足りないというように名残惜しそうな表情で帰って行った夜もあった。
 彼女の背中を見送る度に胸を締め付ける寂しさの意味を、おれが理解したのは昨晩のことだ。
「かくどるごでぃすてぃす」
 カーチャはこの数日、よくそう尋ねてくるようになった。何と言っているのか分からないので曖昧に笑っていると、少し怒ったように頬を膨らませ、しきりにおれの腕を引っ張ろうとする。そんなことが、数回あった。
「や・はちゅふしぐだぶぃちすたぼーい」
「うーん……ごめんね、それ以上は行けないんだ……」
 そう謝ると、カーチャは酷く悲しそうに項垂れてしまう。それを見て、おれも悲しくなって、二人して黙ってしまうのだった。
「てぃむにぇぬらゔぃししゃ」
 カーチャは今日、開口一番、そう言った。
「うーん?」
 旅行ガイドブックの巻末に載っていない言葉は何も分からない。しかし、カーチャが何かに挑みかかるような、真剣そのものの顔つきなので、昨日までのやり取りのように曖昧に笑って済ませることも出来ない気がした。それに、言葉がよく通じないのは、カーチャも分かっている筈だ。それを分かりながら、こうして真剣に何かを伝えようとしてくれているのだ。おれも、何と言われたのか、真剣に考えなくてはいけない。
 そう思って身を乗り出したところを、カーチャに抱きしめられるように引き寄せられた。顔が近い、と思う間も無く、口付けをされた。
 カーチャはすぐに体を離したが、そのまま悪戯っぽく上目遣いで、おれを見上げた。さっきの言葉の意味が、よく分かった。
「カーチャ……!」
 おれはもう居ても立ってもいられず、窓枠を乗り越えて、カーチャの隣に降りようとした。
「カーチャ、おれも……」
 足が地面に着くより早く、おれの手が窓枠から離れた。その途端、とても嫌な感じがした。視界が歪む。耳の中に、今まで聞いたことのないノイズが捻じ込まれる。しかしそれは一瞬で治まった。何だったのだろう、と思いながら広場の方へ身を捩ると、そこには何も無かった。
住宅街が向こうに見える、空き地が広がっているだけだ。
『技術上の致命的なバグ』
 紫スーツの言葉を、今になって思い出す。
 やってしまった。
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