ワンルーム・トラベラー

「キホヨーハイムの超・最新技術を駆使した室内旅行可能物件、『ポートルーム』の居住権当選、おめでとうございます!」
 目に痛い紫色のスーツを着た男が弾む声でそう叫び、過剰なまでに恭しく一礼した時、おれは古アパートの共用玄関で、小さく飛び跳ねた。まず確実に当選する筈が無いと思っていた……東アジア圏では三枠、全世界合わせても十枠しか無い、国内の宝くじよりも遥かに倍率の高い抽選だったからだ。
「ほ、本当に……? 詐欺じゃなくて?」
 そんな馬鹿みたいな質問をしてしまったが、紫スーツの男を取り囲んでおれを撮影する数十機のメディアドローンの存在が、何よりの証拠に思われた。男は目を細めて笑い、「当選した皆さん、そう仰います」と頷く。
「しかし本当ですよ。それでは引越準備が終わり次第、弊社にご連絡ください」
 そう言って、さっさと男は帰ってしまった。
『ポートルーム』は、二〇四〇年代から急激に研究の進んだ亜空間技術を建築物に転用することで、室内旅行が出来るというハイテクな居住空間だ。それまでは小さな不動産会社に過ぎなかったキホヨーハイムが会社の命運を賭して開発し、今年ようやく十棟の完成に漕ぎ着けたのだ。その居住権は世界中の希望者からの抽選となり、当選するなど文字通り天文学的確率だと言われていた。

 しかし、当たってしまったんだよなあ……。
 テーブルの上の、小さな機械を見やる。掌にすっぽり収まる、数センチ厚のころんとした円形のコレが、この『ポートルーム』の操作盤だ。盤面には「実行」を示す赤ボタンと「解除」を示す青ボタンとがあるきりで、それ以外には何の飾りも無い。
「この赤ボタンを押すことで『ポートルーム』は、弊社が保有する、全世界に通じる亜空間へのアクセスが可能になります。押すと同時に、行きたい場所を念じてください」
 今朝、引越を終えて休憩している時にやって来た紫スーツは、そう言っていた。本当に世界のどこでも「旅行」可能なのか聞くと、男はニヤリと笑って答えた。
「公序良俗に反しない範囲でなら、どこでも、です。弊社にも責任というものがございますから、法に反するような使い方は出来ませんよ」
 別にそういう意味で聞きたかったわけではなかったが、とりあえず旅行で出かけられるような範囲ならどこでも可能だということが分かって、安心した。
 手順書も貰い、それじゃあとドアを閉めようとした時に、「注意点が一つございます」という紫スーツの声が聞こえた。おれは慌てて手を止め、耳を傾ける。
「この『ポートルーム』は、あくまで『室内旅行』のためのもの……窓を開いて外のものに触れることや人と会話すること、外気に触れ、香りを嗅ぐことは可能ですが、こちらから外に出たり、外のものを招き入れることは出来ません。現在の技術では不可能なのです。ですから、窓やドアから外に出たり、逆に外のものを中に引き入れるなどなさいませんように。赤ボタンを押してから青ボタンを押して解除するまでの間にそのようなことをなさいますと、技術上の致命的なバグが発生し、以降二度と『室内旅行』は出来なくなりますので、お気をつけを」
 かなり重要な話だった。
 それだけ言って男が帰ってから、もう一時間が経過した。元々そんなに荷物は無いので片付けも殆ど終わってしまい、備え付けの家電にも何ら問題は無いことを確認した。あと確認すべきなのは、本当にこの部屋で『室内旅行』を出来るのかどうか、ということだ。
『ポートルーム』……港の部屋とは言うが、外観も室内も、普通のアパートと全く変わらない。1LDKで、ダイニングを間仕切りで仕切って寝室スペースを作ることが出来る、特に変哲のない居住空間だ。まあ、キホヨーハイムの所有する、だだっ広い土地の真ん中にポツンと一室分だけ建っているという一点においては、多少変わっていると言えなくもないが。紫スーツによると、『ポートルーム』が亜空間を発生させる段階で、周りにそれなりの空き地が必要になるかららしいが……住宅街では悪目立ちしている気もする。
 そんな、外から見た時に少し目立つくらいの普通の部屋にいながらにして「旅行」できる、というのは……本当に本当だろうか。
 おれは子どもの頃から旅行が好きで、働き出してからは休日の殆どを旅行に費やす生活を送ってきた。近隣の県から始めて国内ほぼ全ての都道府県を踏破し、海外主要観光地も、ツアーなどで巡り終えている。だが、なかなか休みを取れない時期もある。そんな時でも家で旅行気分を味わいたい……そう思って『ポートルーム』居住権クジを購入したのだ。
 期待が大きいだけに、もし何も起こらなかったら……という不安に駆られる。
しかし、これ以上逡巡していても、何も確認することは出来ない。試してみる以外には無いのだ。
 おれはようやく決心して、操作盤を取り上げた。本棚に並べた旅行ガイドブックの中から、何度か行ったことのあるハワイのものを選び出して、パラパラとめくる。最も親しみのあるワイキキビーチの項目を開いて見つめながら、赤ボタンを押した。
「カチリ」、と音がしたと思うと、一瞬、部屋が揺れた……ような気がした。しかし机に置いた小物類は微動だにせず、床の上の空箱も全く移動していない。地震が起きたということではなさそうだ。
 気を取り直して、窓の外を確認する。 そこには、広々とした海が広がっていた。
 海だけではない。なるべくひと気の無い所をと思いカピオラニ公園付近をイメージしたが、まばらながら、観光客と地元住民があちこちにいるのが見える。突如として顔を出したおれに、不思議そうな表情を浮かべてこちらを眺めている。
「Hey! Are you a tourist? Why are you only showing your face from that place?」
 突然、窓越しに、軽装の旅行客に声を掛けられた。うお、と声を上げて驚いてしまったが、多分、驚き具合では向こうの方が勝っているだろう。日に灼けた上半身を晒した短パンの男に、おれは慌てて事情を説明した。カタコトの英語でも通じたらしく、男は「that's nice」と笑いながら繰り返して行ってしまった。
 しかし、今の男にも「そんなところから」と言われたが、おれは今、他の人からどのように見えているのだろうか。空間の裂け目のようなところから顔を出しているのか、何か建物などから顔を出しているように見えるのか。まさかこの部屋自体がそのまま、出現したということは無いだろう。そんな、現地の人にとって迷惑極まりないやり方が、許されるとも思えない。
ここは公園と海との境目の歩道近辺のようだから、近くに建物などは無いはずだ。とすると、やはりおれは、何も無いところから顔だけニョキッと出している状態なのかもしれない。
 まあ兎も角、こうして『室内旅行』が可能であるということは分かった。またいつでも来られるのだから、ひとまず撤収して、分かったことや疑問点を整理しよう。
 青ボタンを押すと、先ほどと同じように軽い振動を感じた。それが収まってから窓の外を確認する。海は無い。ただ空き地が広がり、その向こうに車道を挟んで住宅街が、何事もなかったように静まり返っている。いや、事実、この部屋の外では何事もなかったのだろう。
 時計を見ると、たった数分しか経っていないことが分かった。あまりに新鮮な体験だったので逆に長かったように思えたが、そうではなかったようだ。
 そう言えば、貰った手順書をまだ最後まで読んでいなかった。引っ越した時に手渡される家電取扱説明書のような、A4サイズの小冊子をパラパラめくり、Q&Aの項目を確認する。どうやら、二週間前の当選者発表から毎日、キホヨーハイムは世界各国のメディアを通して『ポートルーム』の存在を喧伝し、『ポートルーム』居住者が世界中の観光地に出現する可能性を人々に周知しているらしい。と言うことは、先程ハワイでこちらを見ていた人たちも、ある程度の事情は知っていたのかもしれない。
 更に読み進めると、ビザやパスポートの取得といった、本来海外旅行をする際に行わなくてはならない諸々の手続きは全てキホヨーハイムが(どのようにしてかはいくら読んでもよく分からなかったが)終えているということや、亜空間を介して旅行先の物質や空気に触れることは実質的にはバーチャル空間への接触と同じなので予防接種なども必要ない、ということが分かった。最新の技術というものは凄い。仕組みを説明されても分からない素人にとっては、まるで魔法のようだ。
 また、気になっていた「現地の人から自分がどう見えているのか」という疑問についても、当然のように答えが載っていた。どうやら『ポートルーム』の窓枠が額縁のように空間に出現し、その内部が向こうから見えているということらしい。一部屋分の奥行きが見えるのに、回り込んでもそこには何も無い、という状態だ。さぞかし頭が混乱することだろう。
 手順書を読み終えた頃には、『ポートルーム』についてのおおよその知識が頭に入っていた。紫スーツが最後に言っていた注意事項さえしっかり守れば、この部屋は半永久的に旅行が可能なのだ。
 本当に凄いものを手に入れてしまった。
 今更こみ上げてくる実感に、おれは身震いした。もちろん、これからも休日の旅行は続けるつもりだが、この部屋はその下見にも活用出来るだろう。実際に行くには危険が伴う景勝地にも、気軽に行ける。こんなに凄い物件なのに、家賃はそれほど高くない。
 あまりにも良すぎる運に少々怖くなりつつも、おれは再び、本棚に並べた旅行ガイドブックの前に立った。今度は一度も行ったことのない憧れの場所へ、下見がてら行ってみるとしよう。
2/8ページ
スキ