光芒

 あの日、俺は一体どんな出来事に関わっていたのだろう。うちの社長から聞いた話では取引先の社長に会いに山奥の村へ単身赴いたそうだが、そこで何があったのか、何の記憶もないのだ。
 何かがあったはずなのだ。たった数日にして、恐怖で髪が真っ白になるほどの何かが。俺が赴いた村は、ひと晩にして崩れ去ったと聞く。きっと俺はその何事かに巻き込まれて……逃げ出したのだ。
 誰かを連れて。
 警察に保護されるまで、この手に誰かを抱えていた記憶が、それだけは確かにある。大切な人だったんだ。俺にとってではなく、俺の……。
 思い出そうとすると頭が痛んで、どうしてもそれ以上思考が続かない。忘れちゃいけないことを忘れてしまった。誰かと何か、約束したような気がするのに。
 血を吸ったような、赤い、桜……。
 こんな静かすぎる夜は、どうにもならないことを考えてしまう。寝付けない。
 寝返りを打った時、窓の外に人魂が流れるのを見た。この科学の時代に人魂なんて、そんなバカな……なんて思わなかった。なぜだろう、青い光を発するそれが、懐かしい気がした。前にもあんな光を、炎を見た気がした。
 気がついた時には、それを追って走り出していた。自宅の近く、誰も寄りつかないような古寺に、人魂は入っていく。誘われるように中へ入って行くと、そこに……人影があった。いひひ、とでも形容すべきなのか、不思議な笑いを漏らしたのは長い髪の女だった。
 ギョッとしたのはその外見だ。みすぼらしい着物で俺を見上げるその顔は、重い病でも患っているのだろうか、目元が腫れて痛々しさすら感じるような有様だった。しかしなぜだろう、いつもなら不気味と感じるであろうその顔貌を、俺は少しも嫌だとは思わなかった。それどころか彼女が今ここにこうしていてくれることに深い安堵を覚えたくらいで、俺はそれに戸惑った。
 次の瞬間、女の外見に対する感興など吹き飛ぶほどの衝撃が俺を襲った。女が嬉しそうに声を上げたのだ。
「水木さん。水木さんですね」
 水木。確かに、俺の名前だ。だが、それをなぜこの女が知っている。
 狼狽えていると、女は暗すぎる部屋の奥に声をかけた。
「あなた! 水木さんがいらしたわよ! この近辺に住んでらっしゃったというのは本当だったのね」
「だ、誰に……それに、なぜ俺のこと……」
 思わず疑問が声に出ていた。
「水木さん……? まさか貴方、記憶を」
 女がハッとしたように口を押さえた時、暗がりからにゆっと出てきた者がある。全身を包帯でぐるぐる巻きにした、大男だった。
 男は体躯に似合わない高めの声を上げた。
「水木ィ! おお、おお、よく来たの! その節は本当に世話になった」
「や、いや……俺は」
 どこかで聞いた声だ。何か、忘れてしまった大事なことを思い出せるような。
 体がふらつく。
「水木、あの後無事に帰れたんじゃな。よかった、本当によかった。あの時受けた怨みの念のおかげでわしの体は不治の病に侵されてしまったが、お前が約束を守ってくれたお陰で、妻とこうして……」
「ま、待ってくれ! 俺は……」
 包帯男の声を聞いていると、頭が痛む。暗がりの中、まるで人間ではないような二人から、俺のことらしいのに記憶にない話をされて、ぐらぐらする。考えがまとまらない。この二人のことを思い出したら、一緒に、思い出したくないことまで思い出してしまいそうな気がする。怖い、恐ろしい。歯の根ががちがちと音を立てた。
「……水木?」
 包帯男が不思議そうに俺の肩に触れようとして、俺は反射的にそれを振り解いた。
「あなた、水木さんは……」
「わからない、俺はお前らのことなんて知らない……!」
 記憶の蓋が開くのが恐ろしい。俺は彼らに背を向け、走り出した。
「水木……」
 後ろで悲しげな声が聞こえた気がしたが、もう振り返ることもできなかった。
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