ある引きこもりの推理1
「ふーん」
私から事件のあらましを聞いた思路の第一声は、そんな気の抜けた相槌だった。意気込んで喋っていた私は肩透かしを食らった気になる。思路はそれまでの真剣な顔つきを緩めて、普段通りの、何を考えているのか分からない表情に戻った。
「まあ、まずは確認といこうか。今朝がた、雪の降り積もった路上で男が死んでいるのが発見された……死亡推定時刻は、雪が降り積もった後の深夜一時ごろ……死因は胸部を鋭利な刃物で刺されたことによる失血死……つまり、殺人と思われる……だがしかし、犯人の足跡と、凶器が見当たらない……雪は男の死亡推定時刻より以降は降っておらず、多少溶けてはいたが結構な量が積もっていたため、足跡が消えることはあり得ない」
思路はそこで言葉を切り、私を見上げた。合っているか、という視線に、肯いて答える。
「よし。事件の概要は分かった。じゃあ、一つ聞きたいんだが、良いかな」
律儀に了承を求める思路に、また一つ肯いて見せる。
「ありがとう。その男の死体なんだが、路上の何処に倒れていたのかな。歩道? 車道? 道の真ん中? 端? 軒下?」
最後の選択肢に対して私が肯くと、思路は「ああ、やっぱり」と呟いた。
「軒下に倒れていたのか……だとすると、一つ、可能性があるな」
それはいったい何だ。私が身を乗り出すと、思路は眉をひそめて、落ち着け、と手で示した。
「待ち給えよ。君には落ち着きと言うものが足りない。少し黙って聞いてい給え。良いかい、トリックの説明をする前に、容疑者の確認だ。容疑者は三人。 一谷 一夫 二宮 雄二 、 三内 栄三 ……それぞれ被害者から金を借りていた……それで、みんなアリバイが無い。一谷は屋根の修理業を営んでいて二宮は教師、三内は不動産の営業マン。ここで一つ聞きたいんだが……ありがとう。この中に、雪国の出身者はいるかな。一谷が北海道の生まれ? ふむ。となると、彼が犯人である可能性が高い」
一谷が犯人。
これまでの話の流れから、どうやって彼を犯人だと特定したのだ。いつものことながら訳が分からず、私は思路を見つめる。思路は、これで自分の役割は果たした、というような表情で私の方を見ていたが、私が呆気にとられているのに気付き、ひとつ小さなため息をついた。
「やっぱり、分からないんだね。……いや、馬鹿にしている訳ではないよ。いいさ、説明しよう。まず、凶器は氷柱。氷柱だよ……ほら、軒下によくできるだろう。ここは雪国ではないからあまり大きな物は見たことがなくて想像がつかないかもしれないが、被害者が殺された日、彼の頭上には巨大でそれこそ殺人的な氷柱が垂れていたのさ。犯人・一谷はあらかじめ氷柱の根本に巻き付けておいた電熱線に電気を通して暫く置いたうえで、被害者をその軒下へ呼び出して立たせたのだ。被害者がどこに立っても大丈夫なように、複数の氷柱に細工をしておいたはずだよ。氷柱の根本は熱され、少しずつ溶ける。そして、最後には落ちるというわけだ」
氷柱で人を殺した? そんな馬鹿な。第一、氷柱なんかで人が死ぬのだろうか。
私の表情を見て取った思路は、生真面目な顔で続けた。
「笑っているね。氷柱なんかで人が死ぬわけがないと思うのかい。それは全く、認識が甘いとしか言えないよ。ロシアでは現に、落下した氷柱に直撃して死亡する事例が何百件もあるくらいだ。ちょっと見てみるかい」
そう言って、思路はクリスタルガイザーのペットボトルをどけてノートパソコンを開いた。そして何やらかちゃかちゃと打ち込んだかと思うと、私の方に画面を向けた。そこには、ロシアの死亡事故件数のデータが示されていた。確かに、氷柱による死亡事故がとても多い。
「分かっただろう? ……なに、でもこの地域でそこまでの氷柱なんてできない? ……そうだね、そこがネックなんだけれど、でも氷柱は人工的に作ることができるんだよ。氷柱というものがどうして出来るのか、知っているかい。雪の積もった屋根から垂れた水が重力に引っ張られて下へ向かう、その水滴の側面がまず凍る。それから中心部分の水滴の部分が徐々に垂れ、と同時に凍る……この繰り返しだ。そしてこの時、気温が低ければ低いほど、氷柱は長くなっていく。つまり、人工的に氷柱を作ろうと思ったなら、屋根の上から少しずつ、形成されつつある氷柱の側面に、一定の量の水を流し続けなくてはいけない。それも、昼と夜の寒暖の差を利用して、効率よく氷柱が成長するように計算する必要がある。だがね、ちょっと調べればそんな計算式はすぐに出て来るのさ。ほら」
そう言って思路がまたも見せてくれたノートパソコンの画面には、どこかの大学の論文が掲載されている。思路はその中の一つのデータを指でさしてくれたが、見ても何のことやらさっぱり分からなかった。
「こうして氷柱を落として被害者を殺した犯人は、さっさと電熱線を回収してしまう。そうすれば、氷柱が直撃して事故死したということで処理される……はずだった」
そこで思路は言葉を切った。そして、またパソコンに何か打ち込んで、画面をこちらに向けた。Yahoo!の天気予報画面だ。
「ここにある通り、昨日の夜から今朝にかけて、急激に気温が上がっている。そのスーツを見るに、大方、君もぬかるんだ道に苦労した口だろう。この気温の変化によって、事故死と断定されるために被害者に刺さったまま残るはずだった氷柱は、被害者に刺さってから、溶けてしまったんだ。まだまだ雪が積もっている屋根に接している氷柱は零下に接しているのと同様だから早々溶けたりはしないし、路上に積もった雪も、周りの雪に冷やされているから溶けきってしまうにはもっと時間がかかる。だがしかし、落ちた氷柱は被害者に刺さり、被害者に残っていた体温と朝日との相乗効果で溶けてしまう……。それで、凶器も消えてしまったというわけさ」
成程。
確かに、事故死を目論んでいたのなら、氷柱が残ってくれていた方が話が早い。不審死でない限り、警察は事故死で処理するだろう。だが、氷柱が解けてしまったせいで、こうして私が動いている……。
私は、気温の変化に礼を言いたくなった。
「これが一連の事件の流れだ。氷柱を作るのはそりゃあ気の長い作業だし、雪解けが始まる前に作業しなくてはいけない。でも一谷は屋根の修理業者だから何かと理由をつけて人の屋根の上に上ることができるし、その間に氷柱を成長させる仕掛けを作ることもできたはずだ。さらに、雪国出身の彼は、氷柱が成長したら凶器になりうるということも分かっていた。もちろん失敗する可能性だって大きい。言ってみれば賭けのようなものだ。でも、彼は分かっていて賭けてみたんだろう。失敗したって、彼自身に損が生じるわけではない。まあ、彼の計算よりも今年の雪解けが早かったのが運の尽きだったけれど」
思路は長く息をついた。そして、少し疲れたように首を回した。
「さて、以上が私の推理だよ。納得してくれたかな」
私は思い切り首肯した。ありがとうありがとう、と思路の細い手首を握って上下に振る。思路は迷惑そうに眉をひそめて手を引っ込めた。私はまだ感謝したりなかったが、やがて重要なことを思い出した。証拠だ、証拠が無い。
「ああ、物証か。それなら心配ない。まだ事件現場の軒下には、他にも大きな氷柱があるはずだ。その氷柱の根本を見てごらん。恐らくまだ、電熱線の後が残っているはずだ。ひょっとしたら回収しきれていない電熱線自体が残っているかもしれない。電熱線なんて個人で用意することは殆ど無いはずだから、近所の店に聞き込みして回れば、一谷が買ったと判明するだろう。それに、その家の屋根を調べるのも良いね。私の推理通りであれば、氷柱を成長させるために、屋根の上の雪を少しずつ溶かす仕掛けが施された跡があるはずだ」
その言葉を聞いた直後、私は画板から腰を上げた。先ほど入る時に辿った道筋をそのまま逆戻りして、脱兎のごとく部屋を飛び出す。いや、兎ではない。今の私は、見つけた獲物を追う、ハウンド・ドッグである。
「ああ、部屋のドアは閉めてくれ給え……」
微かに聞こえた思路の声に、慌てて数歩引き返してドアを閉め、再び廊下を走り、階段を駆け下りる。
待っていろ、犯人め。今すぐ私が捕まえてくれる。
私から事件のあらましを聞いた思路の第一声は、そんな気の抜けた相槌だった。意気込んで喋っていた私は肩透かしを食らった気になる。思路はそれまでの真剣な顔つきを緩めて、普段通りの、何を考えているのか分からない表情に戻った。
「まあ、まずは確認といこうか。今朝がた、雪の降り積もった路上で男が死んでいるのが発見された……死亡推定時刻は、雪が降り積もった後の深夜一時ごろ……死因は胸部を鋭利な刃物で刺されたことによる失血死……つまり、殺人と思われる……だがしかし、犯人の足跡と、凶器が見当たらない……雪は男の死亡推定時刻より以降は降っておらず、多少溶けてはいたが結構な量が積もっていたため、足跡が消えることはあり得ない」
思路はそこで言葉を切り、私を見上げた。合っているか、という視線に、肯いて答える。
「よし。事件の概要は分かった。じゃあ、一つ聞きたいんだが、良いかな」
律儀に了承を求める思路に、また一つ肯いて見せる。
「ありがとう。その男の死体なんだが、路上の何処に倒れていたのかな。歩道? 車道? 道の真ん中? 端? 軒下?」
最後の選択肢に対して私が肯くと、思路は「ああ、やっぱり」と呟いた。
「軒下に倒れていたのか……だとすると、一つ、可能性があるな」
それはいったい何だ。私が身を乗り出すと、思路は眉をひそめて、落ち着け、と手で示した。
「待ち給えよ。君には落ち着きと言うものが足りない。少し黙って聞いてい給え。良いかい、トリックの説明をする前に、容疑者の確認だ。容疑者は三人。
一谷が犯人。
これまでの話の流れから、どうやって彼を犯人だと特定したのだ。いつものことながら訳が分からず、私は思路を見つめる。思路は、これで自分の役割は果たした、というような表情で私の方を見ていたが、私が呆気にとられているのに気付き、ひとつ小さなため息をついた。
「やっぱり、分からないんだね。……いや、馬鹿にしている訳ではないよ。いいさ、説明しよう。まず、凶器は氷柱。氷柱だよ……ほら、軒下によくできるだろう。ここは雪国ではないからあまり大きな物は見たことがなくて想像がつかないかもしれないが、被害者が殺された日、彼の頭上には巨大でそれこそ殺人的な氷柱が垂れていたのさ。犯人・一谷はあらかじめ氷柱の根本に巻き付けておいた電熱線に電気を通して暫く置いたうえで、被害者をその軒下へ呼び出して立たせたのだ。被害者がどこに立っても大丈夫なように、複数の氷柱に細工をしておいたはずだよ。氷柱の根本は熱され、少しずつ溶ける。そして、最後には落ちるというわけだ」
氷柱で人を殺した? そんな馬鹿な。第一、氷柱なんかで人が死ぬのだろうか。
私の表情を見て取った思路は、生真面目な顔で続けた。
「笑っているね。氷柱なんかで人が死ぬわけがないと思うのかい。それは全く、認識が甘いとしか言えないよ。ロシアでは現に、落下した氷柱に直撃して死亡する事例が何百件もあるくらいだ。ちょっと見てみるかい」
そう言って、思路はクリスタルガイザーのペットボトルをどけてノートパソコンを開いた。そして何やらかちゃかちゃと打ち込んだかと思うと、私の方に画面を向けた。そこには、ロシアの死亡事故件数のデータが示されていた。確かに、氷柱による死亡事故がとても多い。
「分かっただろう? ……なに、でもこの地域でそこまでの氷柱なんてできない? ……そうだね、そこがネックなんだけれど、でも氷柱は人工的に作ることができるんだよ。氷柱というものがどうして出来るのか、知っているかい。雪の積もった屋根から垂れた水が重力に引っ張られて下へ向かう、その水滴の側面がまず凍る。それから中心部分の水滴の部分が徐々に垂れ、と同時に凍る……この繰り返しだ。そしてこの時、気温が低ければ低いほど、氷柱は長くなっていく。つまり、人工的に氷柱を作ろうと思ったなら、屋根の上から少しずつ、形成されつつある氷柱の側面に、一定の量の水を流し続けなくてはいけない。それも、昼と夜の寒暖の差を利用して、効率よく氷柱が成長するように計算する必要がある。だがね、ちょっと調べればそんな計算式はすぐに出て来るのさ。ほら」
そう言って思路がまたも見せてくれたノートパソコンの画面には、どこかの大学の論文が掲載されている。思路はその中の一つのデータを指でさしてくれたが、見ても何のことやらさっぱり分からなかった。
「こうして氷柱を落として被害者を殺した犯人は、さっさと電熱線を回収してしまう。そうすれば、氷柱が直撃して事故死したということで処理される……はずだった」
そこで思路は言葉を切った。そして、またパソコンに何か打ち込んで、画面をこちらに向けた。Yahoo!の天気予報画面だ。
「ここにある通り、昨日の夜から今朝にかけて、急激に気温が上がっている。そのスーツを見るに、大方、君もぬかるんだ道に苦労した口だろう。この気温の変化によって、事故死と断定されるために被害者に刺さったまま残るはずだった氷柱は、被害者に刺さってから、溶けてしまったんだ。まだまだ雪が積もっている屋根に接している氷柱は零下に接しているのと同様だから早々溶けたりはしないし、路上に積もった雪も、周りの雪に冷やされているから溶けきってしまうにはもっと時間がかかる。だがしかし、落ちた氷柱は被害者に刺さり、被害者に残っていた体温と朝日との相乗効果で溶けてしまう……。それで、凶器も消えてしまったというわけさ」
成程。
確かに、事故死を目論んでいたのなら、氷柱が残ってくれていた方が話が早い。不審死でない限り、警察は事故死で処理するだろう。だが、氷柱が解けてしまったせいで、こうして私が動いている……。
私は、気温の変化に礼を言いたくなった。
「これが一連の事件の流れだ。氷柱を作るのはそりゃあ気の長い作業だし、雪解けが始まる前に作業しなくてはいけない。でも一谷は屋根の修理業者だから何かと理由をつけて人の屋根の上に上ることができるし、その間に氷柱を成長させる仕掛けを作ることもできたはずだ。さらに、雪国出身の彼は、氷柱が成長したら凶器になりうるということも分かっていた。もちろん失敗する可能性だって大きい。言ってみれば賭けのようなものだ。でも、彼は分かっていて賭けてみたんだろう。失敗したって、彼自身に損が生じるわけではない。まあ、彼の計算よりも今年の雪解けが早かったのが運の尽きだったけれど」
思路は長く息をついた。そして、少し疲れたように首を回した。
「さて、以上が私の推理だよ。納得してくれたかな」
私は思い切り首肯した。ありがとうありがとう、と思路の細い手首を握って上下に振る。思路は迷惑そうに眉をひそめて手を引っ込めた。私はまだ感謝したりなかったが、やがて重要なことを思い出した。証拠だ、証拠が無い。
「ああ、物証か。それなら心配ない。まだ事件現場の軒下には、他にも大きな氷柱があるはずだ。その氷柱の根本を見てごらん。恐らくまだ、電熱線の後が残っているはずだ。ひょっとしたら回収しきれていない電熱線自体が残っているかもしれない。電熱線なんて個人で用意することは殆ど無いはずだから、近所の店に聞き込みして回れば、一谷が買ったと判明するだろう。それに、その家の屋根を調べるのも良いね。私の推理通りであれば、氷柱を成長させるために、屋根の上の雪を少しずつ溶かす仕掛けが施された跡があるはずだ」
その言葉を聞いた直後、私は画板から腰を上げた。先ほど入る時に辿った道筋をそのまま逆戻りして、脱兎のごとく部屋を飛び出す。いや、兎ではない。今の私は、見つけた獲物を追う、ハウンド・ドッグである。
「ああ、部屋のドアは閉めてくれ給え……」
微かに聞こえた思路の声に、慌てて数歩引き返してドアを閉め、再び廊下を走り、階段を駆け下りる。
待っていろ、犯人め。今すぐ私が捕まえてくれる。