望遠鏡なんて要らない

「しかし、入学式の日にお前を見つけた時はびっくりしたよ。まさかうちの学校に入学してくるとはね」
 相変わらず静かな屋上で、おれは柚木に言う。柚木も負けじと、言葉を返してくる。
「ぼくだって驚きましたよ。まさか、ぼくが入学する学校に先輩がいたなんて。しかも先輩、ぼくが言うのもなんですけど、あの頃、結構浮いてましたよね」
「お前な。気にしてることを掘り返すんじゃないよ」
「すみません」
 そう、ユズキと出会ってから柚木が入学してくるまで、おれは相変わらず学校で浮いていた。だが、柚木がわざわざ二年生の教室までやって来て、同好会の設立を提案してくれたあの日から、全ては変わったのだ。居場所を感じられなかった学校は、暖かくおれを迎えてくれる場所になった。部室に行けばいつだって柚木がいて、何を話すでもなく、一緒にいてくれた。そのお陰で、それまでつるんでいた悪い仲間との縁も切れ、おれは本当にただの高校生に戻ることができたのだ。
「おれさ、柚木には感謝してるんだぜ」
「なんですか突然」
「いや、そういえば言ったことなかったなあと思って」
「やめてくださいよ……気持ち悪い」
「あっ、ひでえ。本心で言ってるのに」
 おれと柚木は笑いながら、同じ夜空を見上げ続ける。まだ、星は流れない。
「先輩。ぼくも、先輩には感謝しているんです。笑わないで聞いてくださいよ?」
 前置きしてから、柚木は言う。
「あの夜、あそこで出逢ったのが先輩じゃなかったら、きっとぼくはすぐに病院に逆戻りさせられていたと思います。ぼくの話を黙って聞いて、一緒になって星を見てくれる人なんて、きっと先輩くらいしかいません。もしかしたら、あの夜ぼくに勇気をくれたのは、流れ星じゃなくて先輩の存在だったのかもしれない、って……今はそう思うんです」
「…………」
「ぼくはあの夜先輩に逢えて、本当に良かったと思っています。今もこうして一緒に星を見ることができて、本当に嬉しいです。それと……ぼく、望遠鏡が欲しい、って言ったじゃないですか」
 柚木は、自分の両手で作った円筒を右目に当てて、夜空を覗いた。
「でも、そんな物は要らないって、今日分かりました。こうして先輩と一緒に星を見ることができれば、他には何も要らない……望遠鏡なんて要らないんです」
「……そうか」
 おれはそれだけ言って、柚木の真似をして夜空を覗いた。そうして見る夜空は、なぜだか水の底のように潤んでいた。水の底に沈んだ空の端を、星の欠片が弧を描いて流れていくのが、見えたような気がした。
5/5ページ
スキ