予知夢
正造はいつも洟を垂らして、ぼーっと空を見上げているような子供だった。生まれて五年にも満たない彼はいつも母親の後をついて歩き、両親が働きに出ている昼間は、近所の農家の縁側で、寝転んでばかりいた。
その地方にはまだ幼稚園などと言う高尚なものはなく、小さな子供は近所の人間が面倒を見るのが普通だった。そのため、正造も家の近くの農家の周りで遊び、疲れればその農家に帰ってきて休憩したりするのだった。
正造の両親は隣町に新しく建てられた紡績工場で働いており、正造には兄弟が無かった。親しい友達もいなかった。そのためか、彼は一人遊びが得意になり、外にいても内にいても、ぼんやりしていることが多かった。そしていつからか、「夢」の話をしだすようになったのだ。
「おらな、いつも寝とるとき、面白いもん、見るんよ」
舌足らずな喋り方で、正造は母親に話した。それによると、田圃にイナゴが大量に押し寄せ、近所の農家も遠くの農家も、一度に全て駄目になってしまうという夢を、繰り返し見るのだという。母親は子供の夢と思い一笑に付したが、一週間もその夢のことを訴えられ、とうとう不安を感じ始めた。
「世の中には予知夢ゆうもんがあるっちゅうけん、もしかしたらそういうこともあるかもしれんよ」
「しかしそうは言ってもなあ。子供の言うことやけん、そない本気にせんでも」
両親はああだこうだと話し合ったが、結局どうすることもできずに放っておくことにした。しかし、正造は自分が見る「面白いもん」の話を、近所でも吹聴して回っていたのだ。小さな村のこととて、正造が不気味な夢を見るらしいという話は瞬く間に村中に知れ渡った。因習の残る村の人々は、もしかしたら正造はお狐様に憑かれているのではないか、予言の能力を持っているのではないか、と口々に噂しあい、当の正造がふらふらと道を歩いているのを指差しては、今日もその夢を見たのかと話しかけるのだった。
正造自身は、最初自分が見る「面白いもん」のことを何とも思っていなかったらしい。しかし、ある時、村人からいつものように夢の話を尋ねられた時、こんなことを言った。
「おら、いつも見とる面白いもん、きっと本当のことだと思うんよ」
「そら、どういうことや正坊」
「いつか本当になるゆう気がするんじゃ」
そんな会話があったせいで、村人たちはますます、正造の夢に恐れを抱くようになった。特に、紡績工場に人手を取られて仕事が難儀になってきた農家の人々は、イナゴの来襲は今日か今日かと、毎日を不安の中に過ごすようになった。
しかし、イナゴは来なかった。正造が夢を見始めてから一週間、二週間と経ったが、イナゴどころか害虫の一匹さえ見当たらないほどだった。豪農の長などは、「今年は滅多にない豊作の年である」という宣言を行った。それでも怯える村人もいることにはいたが、それも一ヶ月を過ぎた頃には、正造の夢のことなど意に介さなくなっていた。
「そもそも正坊のようながきんちょに予知なんちゅう大層なことはできんかったんじゃ」
村人達はそう言い合い、一頃まで正造が通るたびに恐れ慄いていた自分の姿を思い浮かべては、あっはっはと笑うのだった。正造本人はそれでもまだその夢の話をしていたが、やがてぱったりと口にしなくなった。母親に話したところによれば、もうその夢は見なくなったのだという。だが正造は、イナゴの話の代わりのように、また違う夢の話をするようになった。
「正坊が、また新しい夢を見るようになったってよ」
「そうそう、なんでも紡績工場から火が出て、働いてる人間皆おっ死んじまうとかそんなこええ話だと」
村人たちの間に、またそんな話が飛び交った。両親は流石に顔を蒼くして、正造に、滅多な事は言うものではないと釘を刺した。そのせいか、正造は両親の前では人にその話をしなかったのだが、じきに堪えきれなくなって、いつも通っている農家の老婆に話してしまった。老婆は正造に内緒にしてくれと言われていたのをつい忘れて息子に話したのが、その日のうちに広まってしまったのだった。
「正坊、そったら夢見るたあお前、よっぽど母ちゃん父ちゃんが嫌いなんだな」
ある村人が冗談半分にそんなことを言ったことがあるが、その時、正造は目に涙をたっぷり浮かべて口を思い切りへの字に曲げ、「そったらこと、ないわいっ」と怒鳴った。
「見るもんは見るんじゃ。見とうのうても見るもんはしょうがないんじゃ」
そう言って、わあっと泣き出したのだという。そしてそのまましゃくりあげながら、「これもきっと本当になるんじゃ」と続けたという。
村人はそんな正造の様子に呆れて、正造は頑固者で強情な子だ、と、諦め顔に口にするようになった。一ヶ月経っても、工場から火などは出なかった。初めは興味を持って話を聞いてやっていた村人たちも、やがて正造に構うこともなくなっていった。
それでも、正造は自分が見た夢の話をして回った。そして必ず、「これも本当になるゆう気がするんじゃ」と言い張った。だが、それらは悉く、現実には起こらなかった。
働き者で有名な大工が大怪我をして引退してしまうという夢。
新築された小学校の校舎が、ある日曜日に倒壊してしまうという夢。
村の宿屋に逗留する外国人観光客が宿屋の金を盗んで消え、宿屋の一家が揃って夜逃げするという夢。
新進気鋭の舞台俳優が舞台仕掛けの誤作動によって命を失うという夢。
そして極め付けは、突如として流行り出した原因不明の病で、この地方一帯の人間が死に絶えるという夢だった。
一度ならず二度までも外れた正造の夢の話は、いつしか地方発の笑い話として、国中に広まっていた。ある時、地方新聞に小さく取り上げられたのをきっかけに、ネタに困った雑誌記者や新聞記者がどっと押し寄せてきたのだ。正造はそうした野次馬にも動ぜず、ただいつものように、「いつか本当になるけん」と繰り返すのだった。村人は、そんな正造と、正造に群がる記者達とを珍しそうに見ては、「記者っちゅうもんも物好きじゃの」と首を振るのだった。
そんなことが続いたある日、正造は風邪を引いた。最初はただ咳が出るだけだったのが、みるみる内に悪くなり、やがて肺炎になって、外を歩くこともできなくなった。正造は床に臥せり、こんこんと眠り続けては、時折目を覚まして水を飲んだ。記者達は波が引いたように来なくなり、両親は悲嘆にくれ、村人達はヒソヒソと噂を交わした。
やがて、正造は死んだ。五歳と一ヶ月になったばかりだった。正造が床に臥せっている間は寄り付きもしなかった記者達は、正造が死ぬと『予知夢少年死亡! 自らの死は予知できず』という見出しをつけて騒ぎ立てた。両親は隣近所に挨拶だけして、間も無くその土地を出て行った。正造もその両親もいなくなって、村に静寂が戻ってきた。
正造が死んで一年が過ぎた頃、正造達一家の近所に住んでいた住民が、土地を離れる準備を始めた。どことなくそわそわした様子の彼らは、先祖代々続いていた田圃を手放し、家も売り払った。不審に思った一人の村人が彼らに理由を問い質したところ、返って来たのはこんな言葉だった。
「正造の遺言なんだ。自分が生きとる間に見たと話していた予知夢は全て、自分が死んだ数年後に起きる、っちゅう夢を、正坊は死ぬ前の日に見たっちゅうんじゃ。だからわしらも、今の内に逃げておくつもりなんじゃ」
しかし、生きていた頃、正造の夢は尽く外れたではないか、と反問され、その村人は声を顰めて答えた。
「正造の夢はな、ちょくちょく当たっとったんじゃ。ほんの小さい頃からな。あの子はよくウチで預かって面倒見てたから分かるんだが、昼寝している時の正坊がよくしとった寝言は、いつも現実になっとった。あの子は死ぬ前も、昼寝中に、胸が熱い、苦しい、と寝言を言っとった。今思うと、あれは自分が死ぬ夢を見とったんじゃな……。分かるか。正坊が口にしとったのは、あくまであの子が覚えとった夢の話でしかない。でも、あの子が覚えとらんかった夢も現実になっていたっちゅうことは……あの子が見た夢は、全て、実現するっちゅうことなんじゃ」
この話は瞬く間に村中に広がり、人々は半信半疑ながら、正造が生きていた時よりも強い不安に苛まれることになった。怯えた村人のうち何人かは、そそくさとその土地を出たが、大半の村人はそのような行動に出ることはできず、そのまま村に留まった。
それからまた一年が過ぎ、村人達が再び正造のことを忘れ始めた頃、一年前に村から逃げ出した村人の一人が、ある正造の寝言を思い出した。彼は頭を抱えた。
日本に戦争の空気が漂い始めたのは、それから間も無くのことだった。
その地方にはまだ幼稚園などと言う高尚なものはなく、小さな子供は近所の人間が面倒を見るのが普通だった。そのため、正造も家の近くの農家の周りで遊び、疲れればその農家に帰ってきて休憩したりするのだった。
正造の両親は隣町に新しく建てられた紡績工場で働いており、正造には兄弟が無かった。親しい友達もいなかった。そのためか、彼は一人遊びが得意になり、外にいても内にいても、ぼんやりしていることが多かった。そしていつからか、「夢」の話をしだすようになったのだ。
「おらな、いつも寝とるとき、面白いもん、見るんよ」
舌足らずな喋り方で、正造は母親に話した。それによると、田圃にイナゴが大量に押し寄せ、近所の農家も遠くの農家も、一度に全て駄目になってしまうという夢を、繰り返し見るのだという。母親は子供の夢と思い一笑に付したが、一週間もその夢のことを訴えられ、とうとう不安を感じ始めた。
「世の中には予知夢ゆうもんがあるっちゅうけん、もしかしたらそういうこともあるかもしれんよ」
「しかしそうは言ってもなあ。子供の言うことやけん、そない本気にせんでも」
両親はああだこうだと話し合ったが、結局どうすることもできずに放っておくことにした。しかし、正造は自分が見る「面白いもん」の話を、近所でも吹聴して回っていたのだ。小さな村のこととて、正造が不気味な夢を見るらしいという話は瞬く間に村中に知れ渡った。因習の残る村の人々は、もしかしたら正造はお狐様に憑かれているのではないか、予言の能力を持っているのではないか、と口々に噂しあい、当の正造がふらふらと道を歩いているのを指差しては、今日もその夢を見たのかと話しかけるのだった。
正造自身は、最初自分が見る「面白いもん」のことを何とも思っていなかったらしい。しかし、ある時、村人からいつものように夢の話を尋ねられた時、こんなことを言った。
「おら、いつも見とる面白いもん、きっと本当のことだと思うんよ」
「そら、どういうことや正坊」
「いつか本当になるゆう気がするんじゃ」
そんな会話があったせいで、村人たちはますます、正造の夢に恐れを抱くようになった。特に、紡績工場に人手を取られて仕事が難儀になってきた農家の人々は、イナゴの来襲は今日か今日かと、毎日を不安の中に過ごすようになった。
しかし、イナゴは来なかった。正造が夢を見始めてから一週間、二週間と経ったが、イナゴどころか害虫の一匹さえ見当たらないほどだった。豪農の長などは、「今年は滅多にない豊作の年である」という宣言を行った。それでも怯える村人もいることにはいたが、それも一ヶ月を過ぎた頃には、正造の夢のことなど意に介さなくなっていた。
「そもそも正坊のようながきんちょに予知なんちゅう大層なことはできんかったんじゃ」
村人達はそう言い合い、一頃まで正造が通るたびに恐れ慄いていた自分の姿を思い浮かべては、あっはっはと笑うのだった。正造本人はそれでもまだその夢の話をしていたが、やがてぱったりと口にしなくなった。母親に話したところによれば、もうその夢は見なくなったのだという。だが正造は、イナゴの話の代わりのように、また違う夢の話をするようになった。
「正坊が、また新しい夢を見るようになったってよ」
「そうそう、なんでも紡績工場から火が出て、働いてる人間皆おっ死んじまうとかそんなこええ話だと」
村人たちの間に、またそんな話が飛び交った。両親は流石に顔を蒼くして、正造に、滅多な事は言うものではないと釘を刺した。そのせいか、正造は両親の前では人にその話をしなかったのだが、じきに堪えきれなくなって、いつも通っている農家の老婆に話してしまった。老婆は正造に内緒にしてくれと言われていたのをつい忘れて息子に話したのが、その日のうちに広まってしまったのだった。
「正坊、そったら夢見るたあお前、よっぽど母ちゃん父ちゃんが嫌いなんだな」
ある村人が冗談半分にそんなことを言ったことがあるが、その時、正造は目に涙をたっぷり浮かべて口を思い切りへの字に曲げ、「そったらこと、ないわいっ」と怒鳴った。
「見るもんは見るんじゃ。見とうのうても見るもんはしょうがないんじゃ」
そう言って、わあっと泣き出したのだという。そしてそのまましゃくりあげながら、「これもきっと本当になるんじゃ」と続けたという。
村人はそんな正造の様子に呆れて、正造は頑固者で強情な子だ、と、諦め顔に口にするようになった。一ヶ月経っても、工場から火などは出なかった。初めは興味を持って話を聞いてやっていた村人たちも、やがて正造に構うこともなくなっていった。
それでも、正造は自分が見た夢の話をして回った。そして必ず、「これも本当になるゆう気がするんじゃ」と言い張った。だが、それらは悉く、現実には起こらなかった。
働き者で有名な大工が大怪我をして引退してしまうという夢。
新築された小学校の校舎が、ある日曜日に倒壊してしまうという夢。
村の宿屋に逗留する外国人観光客が宿屋の金を盗んで消え、宿屋の一家が揃って夜逃げするという夢。
新進気鋭の舞台俳優が舞台仕掛けの誤作動によって命を失うという夢。
そして極め付けは、突如として流行り出した原因不明の病で、この地方一帯の人間が死に絶えるという夢だった。
一度ならず二度までも外れた正造の夢の話は、いつしか地方発の笑い話として、国中に広まっていた。ある時、地方新聞に小さく取り上げられたのをきっかけに、ネタに困った雑誌記者や新聞記者がどっと押し寄せてきたのだ。正造はそうした野次馬にも動ぜず、ただいつものように、「いつか本当になるけん」と繰り返すのだった。村人は、そんな正造と、正造に群がる記者達とを珍しそうに見ては、「記者っちゅうもんも物好きじゃの」と首を振るのだった。
そんなことが続いたある日、正造は風邪を引いた。最初はただ咳が出るだけだったのが、みるみる内に悪くなり、やがて肺炎になって、外を歩くこともできなくなった。正造は床に臥せり、こんこんと眠り続けては、時折目を覚まして水を飲んだ。記者達は波が引いたように来なくなり、両親は悲嘆にくれ、村人達はヒソヒソと噂を交わした。
やがて、正造は死んだ。五歳と一ヶ月になったばかりだった。正造が床に臥せっている間は寄り付きもしなかった記者達は、正造が死ぬと『予知夢少年死亡! 自らの死は予知できず』という見出しをつけて騒ぎ立てた。両親は隣近所に挨拶だけして、間も無くその土地を出て行った。正造もその両親もいなくなって、村に静寂が戻ってきた。
正造が死んで一年が過ぎた頃、正造達一家の近所に住んでいた住民が、土地を離れる準備を始めた。どことなくそわそわした様子の彼らは、先祖代々続いていた田圃を手放し、家も売り払った。不審に思った一人の村人が彼らに理由を問い質したところ、返って来たのはこんな言葉だった。
「正造の遺言なんだ。自分が生きとる間に見たと話していた予知夢は全て、自分が死んだ数年後に起きる、っちゅう夢を、正坊は死ぬ前の日に見たっちゅうんじゃ。だからわしらも、今の内に逃げておくつもりなんじゃ」
しかし、生きていた頃、正造の夢は尽く外れたではないか、と反問され、その村人は声を顰めて答えた。
「正造の夢はな、ちょくちょく当たっとったんじゃ。ほんの小さい頃からな。あの子はよくウチで預かって面倒見てたから分かるんだが、昼寝している時の正坊がよくしとった寝言は、いつも現実になっとった。あの子は死ぬ前も、昼寝中に、胸が熱い、苦しい、と寝言を言っとった。今思うと、あれは自分が死ぬ夢を見とったんじゃな……。分かるか。正坊が口にしとったのは、あくまであの子が覚えとった夢の話でしかない。でも、あの子が覚えとらんかった夢も現実になっていたっちゅうことは……あの子が見た夢は、全て、実現するっちゅうことなんじゃ」
この話は瞬く間に村中に広がり、人々は半信半疑ながら、正造が生きていた時よりも強い不安に苛まれることになった。怯えた村人のうち何人かは、そそくさとその土地を出たが、大半の村人はそのような行動に出ることはできず、そのまま村に留まった。
それからまた一年が過ぎ、村人達が再び正造のことを忘れ始めた頃、一年前に村から逃げ出した村人の一人が、ある正造の寝言を思い出した。彼は頭を抱えた。
日本に戦争の空気が漂い始めたのは、それから間も無くのことだった。
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