ホワイトアウト・クリスマス

 空は白く、街に張り巡らされた電線によっていくつにも区切られながら、果てなく広がっている。厚着をした老若男女が忙しそうに往来を行き来する中、その少年も白い息を吐きながら早足で歩いていた。黒い耳当てをし、紺色のコートを身に付けた少年は、踏み均された雪道をぎしぎしときしんだ音を立てながら、黙々と進んで行く。
 雪は降っていないが、寒さは確実にそこにある。北国の冬は、どこまでも白い。
 クリスマスソングが風に乗って聞こえてくるのを感じながら、少年は賑やかな駅前を通り過ぎる。徐々に人通りが少なくなってくる住宅街へ入って暫く経ったころ、彼は足を止めた。そこは小さな公園だった。既に遊具は雪に埋もれて見えず、いつもなら走り回っている子供たちの姿はない。冬は日暮れが早いから、夕方になるとすぐに帰宅してしまうのだろう、と少年は思った。
 丘のようになっている部分に設置されているベンチだけが雪の中に浮き上がっていて、そこには一人の少女が座っていた。黒髪を短く切りそろえた少女は、少年よりも少しばかり年下だろうか。真っ白いコートを着ており、その裾からは黒タイツが伸びている。足元は暖かそうなもこもことしたブーツだ。少年はまっすぐ、その少女の傍へ向かって行った。
「こんにちは」
 少年が声をかけると、少女は不機嫌そうな表情を彼に向けた。
「やっと来たんだ」
「隣、良い?」
「どうぞ」
 少女は最初からそのつもりだったらしく、少年が隣に座るや否や口を開いた。
「どうも皆、勘違いしているみたい」
「何を?」
 少年が問うと、少女は腕を組んで息荒く答えた。
「クリスマスを」
「クリスマスを勘違いしている?」
「そう」
 勢い良く肯いてから、少女は続ける。
「クリスマスがイエス・キリストの誕生日だってことを、皆信じてるでしょう。あれは勘違いだよ。クリスマスは私の誕生日なんだから。イエスじゃない、私の誕生日」
「でもそれはさ」
 少年は柔らかく微笑みながら、口を挟んだ。
「それは、たまたま君がクリスマス生まれっていうだけじゃないか」
「違う」
 強く否定の意を表し、少女は口を尖らせた。
「イエスっていうのは私だもん。イエスがやったって言われてることは、皆、私がやったこと」
「へえ」
 興味深そうに、少年は相槌を打った。
「磔にされたのはすごく痛かった。でも耐えたんだから。世の中のためになるって信じて、頑張ったんだよ、私」
「そうか、それは偉かったね」
 少年の言葉に、少女は少しばかり得意そうに胸を張る。
「私のお父さんは神様だし、私だって頑張らなきゃって、そう思ったの」
「うんうん」
「信じてる?」
「君の言うことは全て信じてるよ」
「そう」
 少女は嬉しそうに笑った。少年もそれを見て、つられたように笑みをこぼす。
「ところでね、君がイエスだって話を聞けたお礼に話すんだけどさ。実は僕、サンタクロースなんだよ」
「サンタクロース?」
 少女はそこで初めて目を丸くして、少年を見つめた。
「うん、サンタクロース。子供にプレゼントを運ぶ、あのサンタクロース」
「そんなわけ」
「どうして? 僕はサンタクロースだよ。君がイエス・キリストなのと同じ様に」
「…………」
 少女は眉を寄せ、それからまた正面に向き直った。
「ちょっと難しい話をするけれどね。僕はサンタクロースであると同時に、ただの高校生なんだ。普段は高校生をやってるんだけど、クリスマスの日になるとサンタクロースになる。でもね。これは、皆やっていることなんだ。例えば僕の父親は実は仏陀なんだけど、普段はサラリーマンをやってる。母親は普段はパートに出てる主婦だけど、怒ったら鬼になる」
「…………」
「世界中を見渡してみると、実は皆そうなんだって分かるんだ。君が普段はただの女の子でその実イエス・キリストであるように、人間は皆、何かであると同時に他の何かなんだよ」
 少年は流れるように喋る。少女はただ、その話を黙って聞いているようだ。
 白い空が西から翳りだし、冷たい空気が一層その厚みを増していく。
「僕がこの考えに至ったのは、君のことを本当に信じようと思った結果なんだ。僕と君が初めて出会ったのは春のことだったけれど、その時君は、自分の事を佐保姫だと言った。春の女神の佐保姫だと。僕が信じないから、君は怒って行ってしまって、それからまた夏になるまでは会うこともなかった。でも、八月、また僕は君と出会った。あの時君は人魚姫なんだと言ったね。陸に上がってもう帰ることができないのだと。秋に会った時は竜田姫だったかな。色色なことを知っているんだね」
 少女は黙ったままだが、よく見ると下唇をぎゅっと噛んでいるのが分かる。
「僕は結構考えたんだ。君は虚言癖のある子で、今まで言っていたことは全て出鱈目なんじゃないかって思ったこともあったけど、それでも僕は君の事を信じたかった。それで考えに考えて、さっきみたいな結論に至ったんだ。君は佐保姫で人魚姫で竜田姫で、イエス・キリストだ。そして同時に、ただの女の子だ」
 少女は下唇を噛み締めて、何かに耐えるように目を瞠り、そのまま俯いて肩を震わせた。
「今日僕がここに来たのはね、君がここに来ているだろうと思ったからだよ。ただ、それだけ。僕は君に会いたかった」
 地面に盛り上がった雪の白さが、少年の笑顔を照らしている。少女は眩しそうにそれをちらりと見て、すぐに目を伏せた。彼女の上向きの睫毛の上に、一片の雪が舞い降りる。少年はそれを見つめながら、言った。
「僕は君が誰だって良いんだ。君が好きなんだ」
 少女は弾かれたように立ち上がり、そのまま駆け出そうとしたが、思い直したように、丘の中腹に立ち止まった。降り始めた雪がちらほらと空間を埋めている。
 少女は白い息を小刻みに吐き出しながら、ゆっくりと少年のほうへ体を向けた。その表情からは、感情を読み取ることが容易でない。しかし少年はそんなことには一切気を払っていなかった。言いたいことを全て言い尽くし、満足しきって少女を眺めている。少女は殆ど無表情のようなその相貌を崩し、泣き出しそうな顔になった。
「どうしたの」
 少年は相変わらずベンチに座ったままの姿勢で、のんびりと尋ねた。
 少女は足元の雪を少年に向かって蹴り上げた。だが、その僅かな雪の塊は、ベンチまで届かずに散った。細かい雪の欠片だけが、一陣の風にあおられ、そこに小さな吹雪を巻き起こした。その欠片の一つ一つがきらきらと反射し、少年の目を刺激した。降り積もった雪の白さと舞い落ちてくる雪の光、そして今巻き起こった吹雪の欠片が視界一杯に広がり、少年は今自分がどこにいるのか分からなくなった。目の前に雪原が現れたかのようだった。空も地面も白く、一点の曇りもない。天も地もなく、西も東もない。ホワイトアウトという言葉が不意に少年の脳裏をよぎる。
 やがて小さな吹雪は消え失せ、それまでちらほらと舞っていただけの雪が、いよいよ本降りになってきた。クリスマスの公園には、黒い耳当てをし、紺色のコートを着た少年がただ一人、ベンチに座っているのだった。
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