瞳の糸
「決してあなたの思い通りにならないけれども生きている私と、あなたの為すがままになるけれども死んでいる私――あなたは、どちらが欲しい?」
そう、彼女は言った。
彼女の瞳はくるくるとよく動く。人を引き付ける魅力を持ったその眼差しは、引き付けた視線を体よく追い払うように、もしくは糸を複雑に絡め合わせるように、てんで関係のない方向へと向かっていく。私も他の多くの人間のようにその視線を追い、その動きの無意味さにため息をつきながらも、目をそらすことが出来ない。
「ねえ、どっち?」
彼女は私の腕にもたれかかるように尋ねた。肌と肌とが触れ合いそうなほどに近いその距離は、しかし彼女によって不動だった。私がそれ以上動けないことを彼女は知っているし、私も十分承知しているのだ。つまりはこれが、私と彼女との至近距離なのだった。
「答えないつもりなのね」
彼女は声色を変えたり、無闇に怒鳴ったりはしない。いつも、落ち着いた、低いトーンで呟くように喋る。もしかしたらそれは、喋るように呟いているだけなのかもしれない。
「私はどちらでも良いのよ。生きていようが死んでいようが、私は私だから。そこに私がいるという意味では、どちらでも変わりないのだから」
でも、と私は言葉を口にしかけた。
でも、生きている君じゃないのなら、意味なんてないも同然だ。
そう言おうと口は動くが、声は出てこない。
『どちらでも良いのよ』
どちらでも良いのか。
「私はあなたのことが好きよ。だから、生きているのが申し訳ないの」
『どちらでも良いのよ』
私の頭の中で、同じ声の違う言葉が木霊する。思わず目を閉じると、彼女のよく動く瞳だけが、私の瞼の中に浮かび上がった。決してこちらを向かない瞳。
「私は生きている限り、あなたの思い通りにはならない。なれないし、ならない。でも、あなたが好きだから、思い通りにさせてあげたい。だから、あなたに決めて欲しいの」
それは、おかしな論理だ。おかしな論理の、はずだ。
『どちらでも良いのよ。生きていようが死んでいようが……』
固く瞑った目の中で、虹色に似た光が、彼女の瞳と共に踊りだす。左の耳からは彼女がうわ言のように口にする言葉が、止むことなく続く。
「あなたの好きなほうで良いの」
『どちらでも良いのよ』
耳で捕らえた言葉と頭の中を巡る言葉が綺麗にハーモニーを奏でた時、私は眼を開けて、彼女を見た。彼女の瞳を捉えることは、私には難しかった。一瞬だけ合った視線はすぐに軌道を変えてしまい、そこに何を映しているのか、見分けることも出来ない。
一度も破ったことがなかった僅かな距離を一気に縮めて、私は腕を伸ばした。彼女は、びくりともしない。私の両の掌の中には、彼女の華奢な、白い首が納まっている。なぜだかひどくしっくりくる眺めに、私は哀しくなる。
彼女は、何も言わなかった。ただ静かに微笑んで、静かな光を湛えたその黒い瞳でじっと、私を見つめていた。私が両手に力を入れても、その表情は歪まない。
永遠がとうに終わっていることに気付いたのは、私の涙が枯れ果てたときだった。
「…………愛して、いたんだ」
そう、彼女は言った。
彼女の瞳はくるくるとよく動く。人を引き付ける魅力を持ったその眼差しは、引き付けた視線を体よく追い払うように、もしくは糸を複雑に絡め合わせるように、てんで関係のない方向へと向かっていく。私も他の多くの人間のようにその視線を追い、その動きの無意味さにため息をつきながらも、目をそらすことが出来ない。
「ねえ、どっち?」
彼女は私の腕にもたれかかるように尋ねた。肌と肌とが触れ合いそうなほどに近いその距離は、しかし彼女によって不動だった。私がそれ以上動けないことを彼女は知っているし、私も十分承知しているのだ。つまりはこれが、私と彼女との至近距離なのだった。
「答えないつもりなのね」
彼女は声色を変えたり、無闇に怒鳴ったりはしない。いつも、落ち着いた、低いトーンで呟くように喋る。もしかしたらそれは、喋るように呟いているだけなのかもしれない。
「私はどちらでも良いのよ。生きていようが死んでいようが、私は私だから。そこに私がいるという意味では、どちらでも変わりないのだから」
でも、と私は言葉を口にしかけた。
でも、生きている君じゃないのなら、意味なんてないも同然だ。
そう言おうと口は動くが、声は出てこない。
『どちらでも良いのよ』
どちらでも良いのか。
「私はあなたのことが好きよ。だから、生きているのが申し訳ないの」
『どちらでも良いのよ』
私の頭の中で、同じ声の違う言葉が木霊する。思わず目を閉じると、彼女のよく動く瞳だけが、私の瞼の中に浮かび上がった。決してこちらを向かない瞳。
「私は生きている限り、あなたの思い通りにはならない。なれないし、ならない。でも、あなたが好きだから、思い通りにさせてあげたい。だから、あなたに決めて欲しいの」
それは、おかしな論理だ。おかしな論理の、はずだ。
『どちらでも良いのよ。生きていようが死んでいようが……』
固く瞑った目の中で、虹色に似た光が、彼女の瞳と共に踊りだす。左の耳からは彼女がうわ言のように口にする言葉が、止むことなく続く。
「あなたの好きなほうで良いの」
『どちらでも良いのよ』
耳で捕らえた言葉と頭の中を巡る言葉が綺麗にハーモニーを奏でた時、私は眼を開けて、彼女を見た。彼女の瞳を捉えることは、私には難しかった。一瞬だけ合った視線はすぐに軌道を変えてしまい、そこに何を映しているのか、見分けることも出来ない。
一度も破ったことがなかった僅かな距離を一気に縮めて、私は腕を伸ばした。彼女は、びくりともしない。私の両の掌の中には、彼女の華奢な、白い首が納まっている。なぜだかひどくしっくりくる眺めに、私は哀しくなる。
彼女は、何も言わなかった。ただ静かに微笑んで、静かな光を湛えたその黒い瞳でじっと、私を見つめていた。私が両手に力を入れても、その表情は歪まない。
永遠がとうに終わっていることに気付いたのは、私の涙が枯れ果てたときだった。
「…………愛して、いたんだ」
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