親交
翌朝からは、また慌ただしくも楽しい日々が続いた。新しい学年とは言っても、受ける授業が被ればこれまでの仲良したちとも顔を合わせるし、食堂や談話室でいくらでも話すことができた。ルームメイトのブラックとも毎日楽しく過ごせているし、寮長をはじめとした年長組の生徒たちも優しくて、幸先のいいスタートを切ることができたと思っていた。
のだけれど。
「なあ、ホワイト。文法の宿題、出来具合はどうだ」
毎晩、九時から十一時の間は、私もブラックも机に向かって課題に勤しむ時間と決めていた。机に向かうと、互いに背を向け合う形になる。ブラックは要領がいいらしく、いつも私より早く課題を終えて、その具合を尋ねてくるのだった。
「ううん、まだまだ終わりそうにないかな……」
ブラックが椅子から立ち上がる音がして、私は少しだけ身を固くする。これも毎晩のことだけれど、ブラックは課題を先に終えて、必ず私に教えてくれるのだ。
「ああ、ここか。これはこの間習った構文だから……」
教えてくれるのはいいのだ。ブラックは頭が良くて、しかも教え方も上手だから、昨年までよりも格段に、課題の出来は良くなっていると思う。けれど。……距離が、近い。パーソナルスペースが狭いのかもしれない、ブラックは遠慮なしに私の肩のあたりに顔を近づけて、耳元で囁くようにして教えてくれるのだ。時には私がペンを握っている手に、自分の手を被せてスペルを直したりしてくれる。単純に、口で言ってくれれば十分なのだけれど。
「ホワイト、聞いてるか」
「ん、ああ。うん、聞いてる……」
聞いてはいるけれど、整った顔がすぐ近くにあるというだけで、不要な緊張をしてしまう。今までの友達には、こういうタイプの子はいなかった。
「ね、ねえブラック。ちょっと、近い」
私の言葉に、ブラックは「ああ、悪い」と言いつつ、少し離れてくれた。
「嫌だったかな。悪かった。気をつけるよ」
「いや、そういうわけではないんだ。ただ、あまり近いと緊張してしまうよ」
「緊張?」
ブラックは、ちょっと首を傾げた。
「俺といるのは、緊張するか?」
その言葉に、ほんの僅かな落胆を感じてしまって、私は慌てて首を振った。
「いや、君といると、というわけではなくて。あまり、人と近く接することがないものだから」
ブラックは、ほっとしたように目元を緩めた。人の心を見透かしてしまいそうな切長の目が和んだだけで、なぜだろう、胸の奥がざわめいた。
「そうか、それはよかった。俺はどうも、人から距離を置かれがちでね。ルームメイトにも、あまり好かれたことがないんだ。だから、今回もそうなったら嫌だなと思ってた」
「君が、好かれたことがない?」
意外すぎて、思わず復唱していた。頭が良くて気遣いができて、確かに少々、整いすぎている顔立ちや綺麗な声が少しばかり緊張を誘うけれども、でも。
「そんなわけはないよ。ブラック、君はいい人だ」
今度はブラックの方が目を丸くして、私の言葉をおうむ返しした。
「いい人……? はは、そんなこと言われたのは初めてだ」
「どうして?」
本当に不思議で尋ねたのに、ブラックはそれには答えず、「さて」と次の問題の解説を始めてしまった。白く長い指が、テキストの上を滑り出す。私に気を遣ってくれているのだろう、距離を空けてくれていることが嬉しいけれど、先ほどの言葉がどうも気になってしまう。
「ブラック」
「ん」
「何か困ったことがあったら、何でも言ってくれ。私にできることなら協力するから」
今取り組んでいる課題についての質問がくると思っていたのか、ブラックは虚を突かれたように黙ってしまった。心配になって、その顔を見る。いつもほとんど血の気のない白い頬に、僅かに赤みが差していた。このひと月ほどで初めて見る表情だった。
「……あ、ああ。ありがとう、ホワイト」
その反応に、私の方が面食らった。ルームメイトなら、困った時に助け合うのは当然だと思うのだけれど、彼にとっては違ったのだろうか。
「ちょっと用事を思い出した。すまないが、あとは自力でやってくれ」
そう言って部屋を出て行こうとするので、私は慌ててその背中に声をかけた。
「もう就寝時刻になるよ」
「大丈夫」
あと十分ほどで寮長の巡回が始まるのに、彼は振り返りもせずに行ってしまった。
「……トイレかな」
多分違うなと思いながら、残された私は呟いた。
のだけれど。
「なあ、ホワイト。文法の宿題、出来具合はどうだ」
毎晩、九時から十一時の間は、私もブラックも机に向かって課題に勤しむ時間と決めていた。机に向かうと、互いに背を向け合う形になる。ブラックは要領がいいらしく、いつも私より早く課題を終えて、その具合を尋ねてくるのだった。
「ううん、まだまだ終わりそうにないかな……」
ブラックが椅子から立ち上がる音がして、私は少しだけ身を固くする。これも毎晩のことだけれど、ブラックは課題を先に終えて、必ず私に教えてくれるのだ。
「ああ、ここか。これはこの間習った構文だから……」
教えてくれるのはいいのだ。ブラックは頭が良くて、しかも教え方も上手だから、昨年までよりも格段に、課題の出来は良くなっていると思う。けれど。……距離が、近い。パーソナルスペースが狭いのかもしれない、ブラックは遠慮なしに私の肩のあたりに顔を近づけて、耳元で囁くようにして教えてくれるのだ。時には私がペンを握っている手に、自分の手を被せてスペルを直したりしてくれる。単純に、口で言ってくれれば十分なのだけれど。
「ホワイト、聞いてるか」
「ん、ああ。うん、聞いてる……」
聞いてはいるけれど、整った顔がすぐ近くにあるというだけで、不要な緊張をしてしまう。今までの友達には、こういうタイプの子はいなかった。
「ね、ねえブラック。ちょっと、近い」
私の言葉に、ブラックは「ああ、悪い」と言いつつ、少し離れてくれた。
「嫌だったかな。悪かった。気をつけるよ」
「いや、そういうわけではないんだ。ただ、あまり近いと緊張してしまうよ」
「緊張?」
ブラックは、ちょっと首を傾げた。
「俺といるのは、緊張するか?」
その言葉に、ほんの僅かな落胆を感じてしまって、私は慌てて首を振った。
「いや、君といると、というわけではなくて。あまり、人と近く接することがないものだから」
ブラックは、ほっとしたように目元を緩めた。人の心を見透かしてしまいそうな切長の目が和んだだけで、なぜだろう、胸の奥がざわめいた。
「そうか、それはよかった。俺はどうも、人から距離を置かれがちでね。ルームメイトにも、あまり好かれたことがないんだ。だから、今回もそうなったら嫌だなと思ってた」
「君が、好かれたことがない?」
意外すぎて、思わず復唱していた。頭が良くて気遣いができて、確かに少々、整いすぎている顔立ちや綺麗な声が少しばかり緊張を誘うけれども、でも。
「そんなわけはないよ。ブラック、君はいい人だ」
今度はブラックの方が目を丸くして、私の言葉をおうむ返しした。
「いい人……? はは、そんなこと言われたのは初めてだ」
「どうして?」
本当に不思議で尋ねたのに、ブラックはそれには答えず、「さて」と次の問題の解説を始めてしまった。白く長い指が、テキストの上を滑り出す。私に気を遣ってくれているのだろう、距離を空けてくれていることが嬉しいけれど、先ほどの言葉がどうも気になってしまう。
「ブラック」
「ん」
「何か困ったことがあったら、何でも言ってくれ。私にできることなら協力するから」
今取り組んでいる課題についての質問がくると思っていたのか、ブラックは虚を突かれたように黙ってしまった。心配になって、その顔を見る。いつもほとんど血の気のない白い頬に、僅かに赤みが差していた。このひと月ほどで初めて見る表情だった。
「……あ、ああ。ありがとう、ホワイト」
その反応に、私の方が面食らった。ルームメイトなら、困った時に助け合うのは当然だと思うのだけれど、彼にとっては違ったのだろうか。
「ちょっと用事を思い出した。すまないが、あとは自力でやってくれ」
そう言って部屋を出て行こうとするので、私は慌ててその背中に声をかけた。
「もう就寝時刻になるよ」
「大丈夫」
あと十分ほどで寮長の巡回が始まるのに、彼は振り返りもせずに行ってしまった。
「……トイレかな」
多分違うなと思いながら、残された私は呟いた。