電子少女は夢を見るか

「多分ね」、と。
 何もない空間にぽっかりと浮かぶ肘掛け椅子に腰掛けて、少女は呟くように言う。
「多分ね。ワタシは、この世に、何かを残したいんだと思うの」
「何か?」
 僕が問い返すと、画面の中の彼女は肯いた。薄い金色の髪の毛が、微かに揺れる。
「ワタシが確かにこの世界に生きていたという、証拠になる何かを」
 ゼロとイチが交差し、少女の周りを取り囲む。少女は薄桃色のドレスに包まれた腕を上げ、その数列を画面外へと飛ばす。パソコンの中から一瞬異音が聞こえた。
「それは、例えば何なの?」
「それは、例えば音楽。文学でも良いし、絵画でも、彫刻でも何でも良い。ワタシが作り上げられる全てのもの。――でも、本当に残すべきなのは、子孫」
「子孫?」
 少女は椅子から立ち上がって、パソコンのデータフォルダの中から、僕の甥っ子の写真を取り出した。まだ生後一年も経っていない、可愛らしい赤ん坊だ。
「これがアナタのお兄さんの子供。二つの遺伝子から誕生した、新たな生命」
 少女は物憂げに言い、その写真をまた何処かへやってしまう。
「ワタシが生まれたのは、偶然にして必然。ワタシの誕生に、アナタのこのパソコン内は、とても条件が良かった。けれど、ワタシはコドク。生まれたときから死ぬ時まで、永遠にココから出られない。インターネットを介して移動することは出来るけれど、この姿はココでしか得られない。情報は絶えず更新され、ワタシという存在を形作る全ては、決して同じ場所にとどまろうとはしない」
「つまり、君も年をとるということかい」
「そうよ」
 少女は言い捨て、一旦画面外へ消えた。暗くなった画面の中には小さな肘掛け椅子が残され、僕の殺風景な部屋の中が映りこんでいた。一人画面を見つめる、冴えない男。
 僕は彼女を待つことはせず、彼女の言った意味を考える。子孫を残さねばならない、と彼女は言った。しかし、情報の塊である彼女の言うところの子孫とは、一体何なのだろうか。
 それは、音楽ではいけないのか。文学では、絵画では、彫刻では、いけないのか。
「いけないのよ」
 少女はまたどこからか画面内に現れて、腕を組んだ。
「音楽も文学も絵画も彫刻も、ありとあらゆるワタシが作るデータは、それはワタシが作ったものでしかないわ。そこには、ワタシ個人の進歩はあっても、飛躍的な進化はないでしょう。それでは、ワタシはワタシという存在の枠を超えられない」
「君は、その枠を超えたいの」
「多分、そうなんだと思うのよ」
 少女は肘掛け椅子を指で軽く突つく。一瞬画面にノイズが走り、肘掛け椅子は、天蓋つきの小さなベッドにはや変わりした。少女はその上に、思い切りよくダイブする。
「でも、君は君のままでも十分だよ」
 少なくとも、僕にとっては。
 少女は相変わらずつまらなそうに唇をとがらせ、首を振る。
「それでは、ワタシがここに生まれてきた必然性がなくなってしまうわ。ワタシは、それが怖い」
「必然性……」
 その意味を、僕は知っている。けれど、その意味について考えることは、したくなかった。
「アナタは、凄腕のプログラマーでしょう?」
 言いたいことは分かっているはずだ、と、少女は、その大きな、綺麗な碧い瞳で、僕を見上げた。僕は目をそらす。いつか、こうなることは分かっていたのに。決して、少女は箱庭に満足し続けたりしないと、分かっていたはずなのに。
 僕は、自分が震えていることに気づく。
 少女を独占しておきたいという、哀しい願望だった。
「一つの核さえ――その『生命』の本質になりうる情報量を持った核さえあれば、ワタシはそこから、新たな、ワタシとは似て非なる、別のワタシを創り出すことができるわ。そういう風にプログラムしてくれたのは、他ならぬアナタよ」
「…………」
 少女は、僕がそうあるように願ったとおりの涼やかな声で、僕に言う。キーボードの上に置いた右手が、行き場をなくして泣いているのが、人事のように目に映る。
「つまり君は、僕に――」
「ワタシのパートナーを、創って欲しいの」
 僕では駄目なのか。
 君を創った、――僕では。
「……そう」
 僕はやっとの思いで肯いて、キーボードの上の右手を、左手で押さえつけた。右手は細かく動いて、泣き続けている。その涙は、いつ止まるとも知れなかった。
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