クロイ・ヒト

「それでは、こちらの女子高生の方に、お話を聞いて見ましょう~! そうそうそちらの、髪の毛の茶色い方の子、そうそう、貴女。『怖い話』、何か知ってませんか?」
「え~、『怖い話』ですかぁ? そうですね~。じゃあ、こんなのどう、こんなの。えっとぉ、スクランブル交差点、ってあるじゃないですか。その交差点に、まだ車も人も通らないような朝早くに行って、渡るんですよ。そしたらぁ、自分の行こうとしてる方角から、全身黒ずくめのヒトが歩いてくることがあってぇ。それは、人間じゃないらしいですよ~」
「おお、それは怖い! では次に……」
 VTRは、そこで一時停止した。画面に映るのは、にやけた顔のアナウンサーと、髪の毛を金に近い茶で染めた女子高生。画面下の方に、『夏のひんやり特集! みんなも知ってる、こわ~い話』と、おどろおどろしいフォントで書かれている。
「で、塔呉とうごちゃん。今回は、この話で行こうと思ってるわけよ」
 リモコンを片手に持った、サングラスの男が、俺にそう言った。俺はそいつ――自称天才プロデューサー、森野県一に、返答する。
「この間は何やったんだったっけ、森野っち」
「ん、あぁ……。確か、小学校のグラウンドに夜な夜な出没する、幽霊野球選手の怪談、だったかな」
「ふーん、ああそういえばそんなの、やったっけ」
 俺は肯いて、それからVTRを見直す。
「でもこれ、インパクトに欠けないか?」
「ええぇ~、そういうこと言っちゃうわけ? 大丈夫だって、塔呉ちゃんと森野様の手にかかれば、どんなへなちょこい怪談話だってちょちょいのちょいだよ」
「そうかぁ?」
 俺はため息混じりに言う。
 森野と組んで深夜番組を作り始めたのは、もう二年ほど前になる。その頃俺たちはまだ若くて、野心に溢れていて、そして「マスコミは真実を報道するもの」だと、固く信じて止まなかった。
 けれど、そんな青臭い若者も、一年荒波に揉まれれば自然と考えも変わってくるものだ。良く言えば、経験を積んで、世間の何たるかを知ったのである。悪く言えば、うがった見方を覚え、報道すべき「真実」なんてこの世には皆無だと気付いてしまったのだった。
 森野と俺は、そうして所謂「やらせ」というやつに手を出した。どうせ深夜番組だ、誰も見てやいないさ。そういう軽い考えの下、その当時流行っていた怪談話を再現し、それがあたかも極々自然なシチュエーションで撮影されたものかのように演出したのだった。
しかし、俺たちの予想は素敵に裏切られ、その回をきっかけに、番組の視聴率は急上昇した。ただそれだけならまだ良かったものの、深夜帯では異例の高視聴率をたたき出してしまったおかげで、俺たち日陰者は、急に日の当たる場所へ、引っ張り出されてしまった。確か、日曜の朝のワイドショーだったか。『この頃流行の、あの番組!』というコーナーで、番組の頭文字だけの紹介ではあったが、絶賛されてしまったのだ。そのおかげで、もしくはそのせいで、というべきかもしれないが……それが放送されてからこの方、番組の視聴率は一定をキープし続けている。
 それというのも、俺と森野に、中途半端に才能があったせいだろうと、俺は思う。森野はプロデューサー兼カメラマン、またあるときには脚本家までこなし、必要な機器類や金の工面まで、全て一人でやってしまうような、そういう奴だった。また、そういう森野と組んでいる俺も、アナウンサー兼俳優、時には女優までをも引き受け、あらゆる猿芝居、茶番劇を、ほとんど一人で行った。勿論例外的に人を雇うことだってあったが、子供の演技が必要となる時以外は、大概俺が全ての役を担っていた。実は俺は昔、劇団の役者になりたくて、一時は本気で演劇の学校に通い、こつこつと勉強し、稽古を重ねていた。その成果がこんなところで活かされてしまっているのがどうも腑に落ちないが、まあ、それを仕事にしてしまったのだから、もう仕方ないと割り切って考えることにしている。
 そうして俺たちは、既に一年を、やらせ番組と共に過ごしてきたわけだ。
 今俺の目の前にいるこの男、森野は、俺とは旧知の仲であり、腹を割って話すことの出来た、唯一の男であった。しかし、それも今は昔。やらせ番組の思わぬ人気に味を占めた森野は、当初の「マスコミ魂」を、どこかに置き忘れてきてしまった。それはきっと、一番最初にやらせを敢行した、河童が出るという噂の、沼のほとりであろうと、俺は睨んでいる。
 森野は、当初罪悪感を抱きながら恐る恐る実行したやらせを、今では何の疑念も抱かず、それが当然であるかのごとく行う男に、成り下がってしまっていた。番組名が売れた今、自分たちがそのクルーであることを取材相手に告げるとき、俺は作り笑顔の裏で、酷い自己嫌悪に陥っていた。こんなことをするために、この業界に入ったわけではない。けれど、今や「都市伝説や怪談の真実を伝える」として評判を得てしまったこの番組を、潰すわけにはいかなかった。何せ、潰して得をする奴はどこかにいるかもしれないが、俺たち二人にとっては、損でしかないのだから。
 そう、俺は、今更「やらせなんて駄目だ」、と言えるだけの権利も動機も、持ち合わせてはいなかった。森野はまるで悟ったみたいに、俺のそういう意識を軽く飛び越えて、この状況を目一杯楽しもうとしているようだが。
 だから、俺はため息をついたのだった。
「それで……、この怪談話の発祥元は?」
「渋谷」
「あー、久しぶりの都会だな」
「そだねぇー。このところ、北海道のどこだかとか、比叡山のほとりとか、そういう辺鄙な場所ばっかり回ってたから」
 元はといえば、そういう場所の怪談ばかりに食いついた、こいつの責任でもある。しかし、こいつ自身には「辺鄙な場所はいやだ」という意識は毛頭ないらしいので、責任も何も、感じちゃいないだろうが。だが、俺は久しぶりに都会らしい都会へ足を運ぶことが出来るとあって、長らく感じていなかった新鮮さを、例えスプーン一杯程度のささやかなものであれ、感じることが出来た。
「塔呉ちゃん、嬉しそうだね」
「まあね」
 俺は一つ肯いて、それで、と先を続けた。
「それで、いつ『取材』に行くんだ?」
「そうだなあ……。この間までに撮りだめしておいたフィルム、まだあと一か月分以上あるから――、じゃあ十月四日の火曜日、空けといて。そうそう、撮影は早朝……、朝の四時にでも敢行するから」
「十月四日の火曜日か。オッケー、了解」
 早朝の撮影は、楽な部類に入る。深夜だと警察の目があるし、昼日中からやらせの撮影をするのは、いろいろな面で面倒だからだ。
 そのあと簡単な打ち合わせをして、俺たちは解散した。
1/2ページ
スキ